約束の続き

モドル | モクジ

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 ツァルク帝国第一皇子夫妻のネルフェスカ滞在日数は十日。長いようだが、あっという間の時間だった。
 祝賀行事もあり、視察も行い、国内の貴族達との交流もあり、夜会も幾つかこなす中でアティエットはそれなりに自分の時間を作っていた。そこは流石の王族だとコーテアは感心してしまう。実際のところ、一分一秒でも時間が惜しいというところだろう。コーテアを伴わないで行動する時間もあったが、恐らくアティエットにとっても人生最後の帰省になるだろうことを思うとコーテアは出来るだけ思うようにさせたいと考えるのだった。
 ネルフェスカ滞在九日目の昼、アティエットに改まって呼び出されたコーテアは突然言われたことに目を丸くした。
「あなたに仕事を任せたいの。明日からツァルク帝国に戻るまで別行動よ」
 意味がわからなかった。
 アティエットの一番の侍女であるコーテアが何故別行動をしなければならないのか。理由は問うまでもなくアティエットが話し始めた。
「あちらに一人連れて帰ることにしたわ。殿下が雇いたいと仰るのだけれど、身体に不自由がある人だから同じ旅程だと大変そうなの。だからコーテア、あなたが連れてきてちょうだい」
 アティエット達はこの後まだ二カ所程回ってからツァルク帝国に戻るが、コーテアはそちらには同行せず、別行程でそのままツァルク帝国に向かえばいいのだと言う。
「何故、私なのですか」
 当然の質問だとコーテアは思った。そもそもユルトディンの部下になるのなら、コーテアが対応しなくてもいい。
 だが、質問しながらコーテアにはある部分が引っかかっていた。
 身体に不自由がある人?
 まさか、と有り得ない予想をするコーテアにアティエットはすんなりと言ってみせた。
「スヴェン殿を連れていくわよ。殿下の領地の執務補助を任せるわ。既に手続きは進めているの。お父様は了承済みだし、マルクンド侯爵にも殿下が話をつけたわ。勿論、本人にもね。他の供もつけるけれど、一番親しいのはコーテアでしょう?だからこれはあなたの仕事なのよ」
「どういうことですか、姫様」
 ユルトディンの領地に人手が欲しいなら向こうで探せばいいだけだ。スヴェンがとてつもなく有能だということでもない筈。
 コーテアが絡んでの判断だとしか考えようがなかった。
「スヴェン様にはスヴェン様の人生があります。あの方はネルフェスカの人間ですよ……!?」
「本人も了承済みだと言ったでしょう?それに、大体ね、コーテア。あなたの人生はどうするの?私はあなたがもっと幸せになるとわかっていて見知らぬ振りをしたくない」
「私は姫様にお仕えするだけで満足しています」
「そうでしょうね。でも、どうしても埋められないものがあるでしょう?それは私では無理なのよ。コーテア、私は幼い頃から一緒にいてくれたあなたに出来る限りのことをしてあげたい。本当はこのままあなたを置いて行くことも考えた。でもあなたはそれじゃ納得しない。悩んでいた時、殿下が答えをくれたのよ。取り敢えず、連れて行ってしまえって。どうせまだ考えなければならないことも山ほどあるだろうし、それならば場所を変えて時間をじっくり取って話し合えばいいって」
「また殿下は……」
 他国の人間を簡単に連れて行くなんて言わないでもらいたい。
 コーテアは頭を抱えたくなったがアティエットは笑っていた。
「名案だわ。――後のことはスヴェン殿から直接聞いて。いい?彼の調子をよく見ながら連れてくるのよ。到着が私達より遅れるのは当然くらいに考えなさい。彼は殿下の手足となる人なのだから」
 有無を言わさぬ命令にコーテアはこれ以上の反論は無駄だと悟った。
 スヴェンに謝らなくては。
 それだけを考えていた。


*        *        *
 


 コーテアがマルクンド侯爵領に行くのにオブシェルもついてきた。見送りということだが、どうやら彼は彼で話したいことがあったらしい。
「コーテア殿に婚約者がいたとは知りませんでした」
「元、ですわ」
「それにしては随分と深い繋がりのようだ。通りで帝国の男達になびかないわけですね」
「そういうわけでは」
 いいと思う相手が現れなかっただけだ。
 見目がいい男性も、腕の立つ男性も、有能な男性も、家柄のいい男性もいたが、皆どこか物足りなかった。だからずっとかわしてきた。それだけのことなのに。
「それにしても、よりによって殿下の部下になるなんて。大層な役目を与えてくれましたこと」
 苛立ちを隠そうともせず皮肉たっぷりに言うがオブシェルは何てことない顔だ。
「ご結婚に際して殿下の領地が増えたのは事実です。人手を増やさなければならないのも本当のことで、いい口実でしたね。思いつきと言えばそれまでですが、妃殿下の悩みをなんとか無くして差し上げたいと一生懸命考えたのですよ。妃殿下にとってコーテア殿が特別な侍女であることは殿下もわかっていますから。時には嫉妬を起こして面倒に……いや、これは忘れて下さい」
 最後はあまり聞きたくない内容だったので、コーテアも忘れることにする。
 しかし、そうは言ってもだ。
「私とスヴェン様は離ればなれの恋人同士ではありません。婚約していた時だってそういう雰囲気ではなかったのに」
「そういう基準で測れることばかりではないでしょう。そもそも、そうでなくてもコーテア殿にとってスヴェン殿が大切な存在なのは明らかだ。だったらもう細かいことは気にしなくていいのでは?時間だけはたくさん有るのですから」
 今後のことはこれからでいいとオブシェルも言う。
「大丈夫です。スヴェン殿は今回の件を悪く思っていません」
「どうして言い切れるのです」
「彼に直接交渉に当たったのが私だからですよ。最初は面食らっていましたが、最後は快諾してくれましたよ」
「普通は帝国の皇子の命令なら断れないと思いますが」
「それを差し引きしても好感触でした。信じられないなら自分の目で確かめて下さい」
 やがて馬車はマルクンド侯爵領に着いた。オブシェルは別れ際に「今度は帝国で」と挨拶をした。本当にここから彼らと別行動になるのだとコーテアは溜息をついた。
 数日振りに会うスヴェンの顔は前回よりも明るいように思えた。
 それでもコーテアを姿を視界に入れると最初は苦笑していた。
「今生の別れをしてから数日後に顔を合わせることになるとは」
「それどころか今生の別れはずっと先になりそうですわね」
 何とも言えない沈黙が落ちる。
 スヴェンは書斎の机に肘をついて苦笑しているが悪い感じではない。それでもコーテアは確かめずにはいられなかった。コーテアは机に近寄ると、スヴェンを見下ろした。
「姫様達が、迷惑をかけたのではありませんか?」
 どう考えたって、帝国の皇子夫妻の命令を拒否できる立場ではない。下手をしたら外交問題だ。
「短くない時間言葉が出なかったけど、迷惑ではなかったよ」
 スヴェンはコーテアにそもそもの経緯を話し始めた。

 ほんの三日前のことだった。
 スヴェンはいつものように領地の管理に関する書類を片づけていた。そこに予定にない来客がやってきたのだ。
 身なりのいい青年はツァルク帝国第一皇子ユルトディンの使者だと告げた。
 いきなり何かとスヴェンが戸惑っていると、オブシェルと名乗った青年はまずは質問があると一枚の紙を取り出した。それを渡されるのかと思いきや、彼はそうしなかった。
「恋人及び意中の女性がこの国にいますか」
「いえ」
「ツァルク帝国が嫌いですか」
「いい思い出はありません」
「ネルフェスカは好きですか」
「それは生まれ育った地ですから」
「ここにどうしても居なければならない理由はありますか」
「……どうしてもなにも、私は不自由な身ですから。ここより他に行くところはありません」
「では、環境が整えば他の地で生活するのも構わないと?」
「……どういうことでしょうか」
 五つの質問を終えたオブシェルは新たな書状を出した。最後は答えになっていなかったが、彼にとっては問題無いことのようだった。
「条件は全て満たしていますね。ネルフェスカ王国マルクンド侯爵家三男スヴェン殿。あなたにはツァルク帝国に来ていただきます。殿下の領地を管理する者を増やしたい。あなたは既にその仕事をしているし、早々に対応出来そうだ。仕事をしやすい環境は整えましょう。殿下はあなたの為に領館の一部を改装してもいいと仰っています。ネルフェスカ国王と御父上には話を通してあります。出立は準備が出来次第で結構。今日から取りかかって下さい」
 全てはここに、とオブシェルはスヴェンに書状を渡した。そこにはツァルク帝国のユルトディンの署名があり、スヴェンを自分の家令として迎えることが書かれていた。
 それは既に決定事項で、スヴェンにしてみれば何がなんだかわからなかった。ふと閃いたのはコーテアのことだったが、彼女とは顔を合わせるのはこれが最後でこの間別れをしたばかりだ。あのコーテアがこんなことを掛け合うだろうか。何の為に?スヴェンの境遇を哀れだと思ったのか?しかし資金援助はもうしないと約束を交わした彼女が取る行動ではないと思った。
 混乱するスヴェンに答えを示したのはオブシェルだった。
「殿下は妃殿下を愛しておられます。それこそ盲目的な程に。妃殿下はそれを私欲の為に利用するような方ではありません。殿下が真っ当な道を歩めるようそれとなく導いて下さいます。皇帝陛下を始めとする皇帝御一家の信頼も厚い。そのような妃殿下が、今回は正道でないとわかりつつも殿下の助けを求めたのです。殿下がそれに応えない訳がありません」
「アティエット様が?」
「妃殿下からも手紙を預かっています」
 オブシェルがさっと取り出した手紙を受け取り、スヴェンは封を開いた。
 美しい文字が並ぶが、そこに書いてあることは美しさとはかけ離れた内容だった。
『スヴェン殿
 突然お手紙を差し上げる無礼をお許し下さい。
 こうしてあなたに手紙を書くのは二度目です。以前はあなたに申し訳なくて筆を執りました。今回も多少申し訳ないと思いつつ、けれども我慢ならないというのが本当のところです。
 数日前、コーテアと再会したようですね。とても嬉しく思いました。しかし、コーテアは一度きりの訪問で済ませ、文通は今後も続けるけれど二度と会うことはないと言っています。
 コーテアは多くを語りません。
 これでいいのだと言います。
 本人は納得しているようですが、私は納得できません。
 私はコーテアの主人として、<侍女としての幸せ>をコーテアに与えることは出来ます。その努力はしてきたつもりですし、今後ともしていくつもりです。
 でも私には<女性としての幸せ>をコーテアに与えることは出来ないのです。恐らく、それはツァルク帝国に住むままではコーテアに訪れないもののように思います。
 私にはそれが心苦しい。大事な大事な大事なコーテアですが、彼女が望むなら私は任を解いてネルフェスカにそのまま残すつもりだったのです。でもコーテアはそれを望まない。嬉しいのですが、それはある意味コーテアを不幸にすることなのです。
 人の生き方にはいろいろあるとお思いですか。
 そうでしょう。でも、手を伸ばせば掴める幸せなのに見て見ぬ振りをするコーテアを私は見ていられません。
 はっきり言いましょう。
 コーテアが女性として幸せになれないのは、半分近くは私の責任です。でも、半分以上はあなたの責任です。
 もう見ていられません。
 今後あなた達がどうなっていくのか――良き友として親睦を深めていくのか、男女の仲になるのか、それとも離れてしまうのか、私にはわかりません。
 ですがそれとて時間が必要です。
 コーテアはネルフェスカには残りません。
 ですからあなたにツァルク帝国まで来て頂きます。
 衣食住の保障はします。お給金も、生活しやすい環境も整えます。
 あなたがコーテアの為にしなければならないことは山ほどあります。
 本当は私が言いたいこともこの程度では済みませんが、今は一刻も早くあなたにツァルク帝国に来てもらいたいのでこの辺で終わりにします。
 コーテアに幸せになってもらいたいのはあなたも同じでしょう?
                                   
   アティエット』

 アティエットの言う通り、手紙をもらうのは二度目だった。しかし以前はひたすら謝り続け、スヴェンの一日でも早い回復を願う文面だったが、これはどうだ。
 スヴェンの記憶ではアティエットは芯の強さはあれど、強引さは無い姫だった。
 八年の間にそうなったか、今回だけコーテアとスヴェンがそうさせてしまったのか。後者だろうと思うのは、オブシェルのアティエット評があるからだ。
「彼女の為に帝国に行けと言うのですね」
「そういうことになります。コーテア殿の面倒を見ろというわけではないようです。それこそ、彼女にはそんなものは不要です。ただあなた方には時間が必要なのだと。頻繁でなくてもその気になればすぐに顔を合わせられる距離にと、そういうお考えのようです」
 スヴェンは不思議と嫌な感じがしなかった。
 勝手に決められた話だが、これも運命かとすんなり受け入れていた。

 事の次第を聞いたコーテアはがっくりと項垂れた。
「ああもう、姫様も殿下も、なんてことを……」
 人の人生を簡単に変えてもらっては困る。
「いいんだ。悪い話ではない。皇子殿下が主人で、待遇もいい。領地は都の端だが落ち着いていて人の気質もいいという話だから。仕事も覚えることはあっても、今とそう変わらないようだし。ここで家族の負担になることを気にしながら暮らすのも辛かったから」
 ネルフェスカでも家族の負い目に思っていたと言われてしまうと、コーテアは強く言えなくなってしまう。考え方を変えれば、スヴェンにとっては新しくやり直すチャンスになるかもしれない。
 スヴェンは迷惑ではないと言った。
 ツァルク帝国には許せない仕打ちも受けているのに。でもスヴェンがそれを言わないのなら、今コーテアがそれを口にするべきではない。
「私はスヴェン様を振り回してばかりですね」
 ここまでくればもう自嘲するしかない。
 アティエットだってユルトディンだってコーテアがいなければこんなことはしなかっただろうに。
「いいんだ。それに、この間君と別れてから本当にあれで良かったのかと後悔していたんだ。せめてこの国にいる間だけでも、もっと話をしたかったと」
「話なんて、これからいくらでも出来ますわ。姫様からスヴェン様をツァルク帝国までお届けするように言われました。道中、飽きる程喋りますわよ」
「八年離れていればきっと話も尽きない。楽しみだよ」
「それに、向こうに着いてからも。領地は遠いのですか」
「名前はまだ確認していないんだ。でも半日あれば余裕を持って城に行ける距離だと聞いている」
「ああ、心当たりがあります。とても近いですわよ」
 一日休みがあれば日帰り出来る場所だ。
 一から十まですっかりお膳立てされてしまってはもう言葉もない。
 せっかく自分は心を決めたのに、余分なことを、と思わないでもない。でもコーテアは自分でも意外な程にこの成り行きを喜んでいた。
 ネルフェスカに戻ってくる時には沈みきっていた心がとても軽くなっている。
「姫様には敵いませんわ」
「君が一生ついていくと選んだ方だろう」
「ええ。生涯で唯一の主です」
 コーテアが誇る、祖国の姫。そして帝国の皇子妃。
 振り返るのも大変なくらいいろいろあった八年なのに、その全てが丸く収まってしまったように感じるのはアティエットのお陰か、ユルトディンのお陰か。
 アティエットがユルトディンの妃になってしまったからには今後も大変なことはわかりきっているのに、それでも気持ちは変わらない。
「さて、準備は進んでいますか?お手伝いします」
「悪いね。家人を使ってるんだけど、なかなか進まなくて。そんなに荷物は多くないんだ。でも持ってこうかどうか迷ってる物もあって」
「例えば?」
「本とか」
 それは迷うところだろうか。
「向こうで揃えられるものは置いていってもいいではありませんか。でも、そうですわね。スヴェン様では判断出来ないものもあるでしょうから、私が見ます」
「頼むよ。今から書庫に案内しよう。……ところでコーテア、常々思っていたことがあるんだ」
「はい?」
「本を薦めてくれるのは有り難いが、未だに恋愛小説からは抜け出せないようだね。幅は広がったようだが、そろそろ考えた方がいいと思う」
 それは歳のことを言っているのだろうか。
 いいじゃないか、とコーテアは顔を引き攣らせる。
 いろいろな分野の本を読むようにはなったが、やはり一番好きなものは恋愛小説なのだから。
「それは私の勝手ですわ。そうそう、私もスヴェン様にずっと言いたいことがありましたの」
「何だい?」
「ずーっとお借りしてる政治書、本っ当につまらなかったですわ。退屈で退屈で仕方ありませんでした。向こうに行ったらまず本の角を頭にぶつけて差し上げますわね」
 過度に作った笑みを向けると、スヴェンは余裕の表情で受け止めた。
「その前に暗唱テストをしてからにしよう」
「後悔しても知りませんから。隅から隅まで頭の中に入ってしまいましたもの」
「それは楽しみだ」
 嬉しそうに相好を崩したスヴェンに、コーテアも目を細めた。
 それは八年前の約束。
『次に会った時、暗唱できるくらいにはなっておけ』
『ご武運をお祈りします。お帰りの際は「つまらなかった」とこの本の角で頭を打って差し上げますので心構えをお忘れ無く』
 止まっていた時が動き出す。
 コーテアの胸の奥でずっと凍っていた何かがとけていく。
 そう言えばまだかけていない言葉があるとコーテアは気づいたが、それはまだしまっておこうと口を閉ざした。
 ツァルク帝国に着いたらとびきりの笑顔でスヴェンに言おう。
 お帰りなさいませ――――と。
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