殿下に愛をこめて

モクジ

  殿下は手の上で踊る  

 殿下が御前会議で出した提案の反応がよくなかったとこぼしたのはゆったりした午後のひとときのことだった。
 殿下が会議の話を持ち出すなんて珍しい。そもそも、提案なんて殿下にできるのかしら?
 一抹の不安に駆られながら、殿下に話の続きを促した。
「私とアティの結婚を国の皆にも喜んでもらいたくてな。式を行う春に民から徴収する税を減らしたいと言ったのだが、貴族どもが嫌がるのだ。全く、もっと協力的になってもいいと思わぬか?」
「……それはまあ、思い切った提案ですね」
 殿下の提案を聞いた人達の気持ちが手に取るようにわかるわ。そりゃあ、驚いたでしょうね。「なんてこと言い出すんだ、この馬鹿皇子は!」って叫んだ人が一体何人いたのかしら。
「殿下が税のことに目を向けられるなんて。どうしましたの?」
「多くの者達に私達の結婚を祝福してもらいたいのと、アティを妃として好意的に受け入れてもらいたいだけだ。その方法を探していったら、税に辿り着いたのだが……」
 思わぬ言葉に心臓が大きく鳴った。
 私の為?
 私を民に妃として認めさせる為にいろいろ考えていてくれたの?
 そんなこと言われたらあまりきついことは言えなくなってしまうじゃない。
「我々貴族のことも考えてくれと懇願されてしまった。余分に取りすぎて民から不興を買っている者もいるというのに。こういう時ばかり保身に走って見苦しいではないか。クディナスのことを思うと同情したくなるな」
 ……いや、あのー……第二皇子殿下が国を継ぐことを前提に話すのはあまりよろしくないわよね。いくら人々がそれを望んでいたって、近しい人間から見てもそれがふさわしいと思ったって。
「殿下、現に困っていらっしゃるのはクディナス殿下ではなく、殿下の方では」
「そうなのだ。減税でなければ、祝儀をばらまくか、私とアティの肖像画を入れたメモリアル金貨を作らせるか……。でもいまいち平凡過ぎてつまらないだろう?」
 真顔で言われましても。
「そうですわね。それはそれで手間もかかりますし、もっとささやかなものでもよいのでは」
 どれもばらまき作戦じゃない。そう思ったのは胸にしまっておいて。
 本当は、何もしなくてもいいと思う。でもそれを言うのは殿下の気持ちを傷つけることだから。思いやりの心には思いやりを。
「要は殿下のお気持ちが大切なのですわ。気持ちがあれば、必ず伝わりますもの」
 殿下に視線を投げかけると、満足そうに頷いた。
「そうだな。しかしアティ、恐ろしいことに、この後父上に呼ばれているのだ。またお叱りを受けるのかと思うと流石に気が滅入る」
 どんな言葉で怒りを落とされるのか想像してげんなりしている殿下は、やはり御前会議のことで呼び出しを受けたと思っているみたい。そうよね。それしか原因なんて思い浮かばないわ。陛下の雷は本当に恐ろしいらしいから、殿下が今から小さくなるのも当然ね。
「逃げ出すよりはましでしょう。諦めて陛下のお言葉を一身に受けて、今日で終わりにする方が賢明ですわ」
「それもそうだな。幸い、私は怒られても次の日には忘れられる性格だ」
 それが問題なんですってば。
 これから叱られる殿下に追い打ちをかけるわけにもいかず、笑って見送る。
 散々怒られた後、ここに戻ってくるんじゃないかしら。そしたら慰めないといけないわね。仕方ないわ。一応私にも関係してることだし。
 そう思っていたものの、結局この日に殿下が訪れることはなかった。
「……どうしたのかしら」
 夜にぽつりと零すと、コーテアがすかさず反応した。
「雷どころか嵐の勢いで叱られて再起不能になってらっしゃるかもしれませんねえ」
「せめて大目玉くらいにしてくれない?殿下が落ち込んだらいろいろと面倒だわ」
「婚約者にそんな扱いされたらどんよりと沈むのも仕方ありませんわねー」
 ふふふ、と笑うコーテアは完全に遊んでいる。
 まともに取り合ったらだめね、と黙りを決め込むと、「まあ、すねてしまいました?」と笑いを含みながら窺ってくる。
「きっと大丈夫ですわよ。姫様のところに来たかったら遠慮せずに来ますわ。それがないということは、大したことない用だったか、こっぴどく叱られてすごくへこんでいるけれどあまりにかっこ悪すぎるからそんな姿を姫様に見られたくないといったところでしょう。姫様は殿下がいらした時に気を遣って差し上げれば充分です」
 コーテアの言う通りかもしれない。殿下は思い立ったらこっちの都合なんて気にせずやってくるもの。勿論、オブシェルを始めとする周囲の静止がうまく効く時だってあるけれど。
 でも、それでいいのかしら。やっぱり不安もあって。
「それとも、姫様からあちらに足を運びます?うら若き乙女が大胆なことですわねー」
 のほほんと言っているけれど、その内容は全然のんきなものでもない。
「うら若き乙女なんて歳じゃないわ」
 もう21歳。大体、殿下より5つも年上なのよ。
――――そう、年上なんだから、もっとどっしり構えていないとだめよね。
「……やめた。ここで考えたって仕方ないわよね」
 これ以上殿下のことを考えるのを放棄した私に、コーテアはにっこりと微笑んだ。


*        *        *



 殿下が来て、話が出た時に慰めればいいわ。
 そう思っていたのに殿下はなかなか来なかった。やたらと忙しいようで夕食も一緒にとれない日が続き、気づけば一週間以上顔を合わせていなかった。陛下の怒りを買って謹慎されているという話もないし、そうするとこんなことは初めてで妙に落ち着かない。
 そんな中、次の御前会議には婚礼に関わることもあるので参加せよと陛下からの命がきて、仕方なくそちらに足を向ける。いても発言なんてしないのに。ただ話を聞く為だけに何時間も取られるなんて気が乗らない。でも、そこで久しぶりに殿下と顔を合わせた。
「おお、アティ。元気にしていたか?」
 晴れ晴れとした笑顔を浮かべる殿下に拍子抜けして、「はい」以外の言葉が出なかった。当然のように殿下の横に用意された席に座ってもやもやとしたものを胸の中で巡らせる。
 なんだか心配して損した気分だわ。殿下、元気じゃない。これは文句の一つや二つ言ったって構わないわよね。
 そうこうしている内に陛下が現れて、御前会議が始まった。最初は普通に議題について話し合っていたのだけれど、不思議なことにわからないことがほとんどなかった。勉強の成果かしら?花嫁修業でやたらとあれこれ読まされたり教師をつけられているせいか、すんなり内容が頭に入ってくる。ちらりと隣の殿下を見たら、顔の向きこそいいけれど、なんとなく遠くを見ている気がする。……あの、殿下?もしかして……。
 議題は婚礼へと移り、現在の進行状況の確認や、今後の日程、細かいことの取り決めや見直しが行われていく。私は同意を求められた時にだけ頷いたけれど、殿下は幾つか口を出した。顔も先程よりは大分しっかりして見える。
 そして会議もこれで終わりかという時、殿下が陛下に提案があると言い出した。ええ、見事に見てしまったわよ。大臣達のぎょっとした顔を。こんなにあからさまに表に出されてるのね、殿下って。けれども殿下は全く気にした様子もなく、陛下の許可を得て話し出す。
「先日却下された件――春の減税の件ですが、もう一度検討していただきたく存じます」
 瞬間、周囲の空気が凍りついた。私もぎょっとしたけれど、そこまでではなかったのはきっと陛下が目を細めただけに留めたからだわ。
「申してみよ」
「先日、大臣達は貴族の生活も考えて欲しいと言いました。なるほど、確かに民のことだけ考え、この国を支える貴族を蔑ろにしてはいけません。私はあまりに無関心だったことを恥じました。そして、これはもう一度勉強し直さなければならないと決意したのです。まずは実情を知ることからだと思い、税務局を動かし、各地に様子を見に行かせたのです。その結果、程よい税率で領地を治めている者もいれば、恐ろしいほど民から税を搾り取っている者もいたことがわかったのです。国の方にはうまく誤魔化して知らぬ顔を通していたようですが――」
 殿下が一人の大臣をちらっと見る。相手の顔は見事に引き攣っていた。
 本当にクロなのね。そんな顔をしていたらもう誤魔化しようがないじゃない。
「それを踏まえて、今度は税務局の中でも陛下の信が厚い者に計算をさせました。そうしたところ、春に減税を行っても、その者達が過剰に取った税を国庫に納めれば全く支障がないというのです。これまで酷い仕打ちを受けてきた民の為に何か返せるよい機会だと思うのです。特にその領地の税は少なくし、今後も是正していくという方向が望ましいのではないでしょうか。我が帝国は貴族だけの国でもなく、平民だけの国でもないのです。どちらも守り、よき方向に導くのが我らの役目かと」
 空いた口が塞がらないっていうのはこのことかしら。
 いえ、はしたないからかろうじて閉じてはいるけれど。
 でも驚いてるのは私だけじゃないわ。みんな揃って目が点よ。普通の顔してるのは殿下と陛下くらい。
「調査報告書は無論用意してあるのだろうな」
 陛下の声がいつもに比べて冷ややかで、背筋がぞくっとする。少し違うだけなのに凄く怖いわ。
「当然です。この後すぐにお届けします」
 頭を下げる殿下は、全く平気な顔。
 一体どうなっているの?殿下が一人で考えて行動したこととは思えない。あまりに話が出来すぎてるわ。税務局の調査は信じてもいいかもしれないけれど、殿下がどうやってそこに至るまでの経緯を思いつくというの?そもそも、殿下一人で税務局を動かせるわけがないはず。
――――そうよ。いるじゃない。殿下の考えが利になる人間で、それを実行させてもいいと思える人間が……。
「ユルトディンの案件、前向きに検討しよう。不正を働くなど言語道断。厳しく処せねばなるまい」
 大臣達もきっと気づいている。でも言えるわけないわよね。相手が陛下だもの。
 なんとなくわかった気がする。あの日、殿下を呼んだ陛下は殿下に入れ知恵をしたんだわ。そして、殿下は陛下の指示通りに動き、この場で再度提案をした。きっと陛下は前々から税に関する不正も気づいていて、機会を窺っていたのよ。
 だとしたら、尚更何も言えない。だって、前々から陛下に目をつけられていたってことなんだもの。陛下が他の証拠を掴んでいないはずないわ。
 御前会議はそのままお開きになり、部屋に戻った私は一気に疲れが出て机に伏せてしまった。
「どうしましたの?」と心配するコーテアに満足な返事もできずにいると、しばらくして殿下がやってきた。
「アティ、どうしたのだ。そんなに疲れたのか?」
 駆け寄ってきた殿下の前でいつまでも伏せっているわけにもいかず、上半身を起こす。そしていてもたってもいられず、減税の件の真相を尋ねると殿下は全く隠そうともせずに打ち明けてくれた。
「すごいな、アティ。そうなのだ。父上が協力して下さるとおっしゃって、知恵を貸して下さった。税務局の方も父上の許可証があったから全く問題なかった。父上の方も、いつどんな形で罰するか考えておられたそうだ。皇帝ともなると大変だな。いや、しかしよかった。これで民にも私達の結婚を喜んでもらえるぞ」
 素晴らしいことではないか。
 朗らかに笑う殿下に、何とか頷いてみせたけど到底笑うことなんてできない。
 陛下を敵に回してはいけない。絶対に。何があっても。
 それだけが頭の中を占めていく。
 殿下の妃としてもっとしっかりしないと。
 でも、ただでさえすごく頑張っていると思うのに、これ以上何をどう頑張ればいいのよ。
 第一皇子妃のハードルがこんなに高いなんて。
モクジ
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