殿下に愛をこめて

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  皇妃様の刺客 4  

D皇妃

 皇妃様が殿下の気持ちを試す為に設けた10日間。
 その最終日に、殿下は皇妃様の部屋を訪れていた。
 予め約束をしていた訪問である。とはいえ時間は短い。殿下が早速侍女Aは体調管理ができないだの、侍女Bは一から茶の淹れ方を学ばせるべきだの、侍女Cは変態だ痴女だの主張すると、皇妃様の唇が僅かに固く結ばれた。
 面会の時間までに侍女達から詳しい話はされているはずだ。勿論、他の女性達の話も。
「皇子よ、それは全てあなたの気を引きたいが為の行動だったのではないでしょうか」
「私の?」
「そうです。あの者達は普段はとても優秀な侍女です。私の前だけでなく、どのような者の前でも完璧です。あなたの元であったとしてもそれは同じ。あなたに心を寄せる彼女達に、あなたは優しく振る舞うことができましたか?」
「お言葉ですが、母上。あの者達が私に気があるとは思えません」
 流石にそれは殿下にもわかったか。
 しかしその根拠が根拠になっていないかもしれない。いつもの癖で構えてしまう。それは皇妃様も同じだったようで、緊張感のある空気を纏いながら「何故です」と尋ねた。
 殿下がフッと表情を和らげる。それがエミサリル姫の前で有名な哲学者の名前を間違えた時に重なり、覚悟を決める。今度は何の復習をしなければならないんだ。そう思ったが。
「私がアティを愛しているからです。だからあの者達が私をそう見ていないこともわかるのです」
 堂々と言い放った殿下は珍しく皇子らしかった。
 皇妃様の目も僅かに大きくなっている。
「では、何故あの者達があのような行動に出たか?あの者達だけでなく、この数日間でやけに多くの女性が私に関わってきた。それは何故か?答えは簡単です」
 いくら殿下といえども、今回のことは見通していたのか。
 誰が裏で糸を引き、殿下の元へ次々と女性を送り込んでいたのか。
 皇妃様の瞳に喜びともつかない優しさが溢れ出した。それはそうだろう。あの殿下が、それを暴ける程までに成長していたのだから。不覚にも、私の目頭も熱くなりつつあった。
 殿下は真っ直ぐ皇妃様に向かって高らかに言った。
「アティを妃に迎えることを良しとしない者が、妨害せんと仕掛けたことだったのです。彼女達は利用されただけで一切悪くない」
 まさかこんな日が来ようとは。
 無能で頭のネジが一回全部外れ、適当に入れ直したんじゃないかと揶揄される程にいろいろあれな殿下だったのに。殿下に仕えるようになって十数年。これまで後悔した事、この身を恨んだこと、この国からいっそ消えたいと思ったことすらあった。殿下のいない生活が送れたらどんなに幸せだろうと――。けれども、数々の理解不能な振る舞いや言動に堪えてきただけのことはあった。
 感動に胸が震えるとはこのことだ。
 恐らく、皇妃様も似たような心持ちでいるに違いない。
「あなたの言う通りです。彼女達は誰1人悪くないのです」
 何度も頷き、目尻に滲んだ涙を指で拭っている。
 この後、殿下はどうしてこんなことをしたのかと皇妃様に聞くだろう。それさえ皇妃様にとっては嬉しいことだ。
 そうなるはずだった。
 少なくとも私はそう思っていた。
 が。
「母上。アティエットは私が守ると決めました。しかし、誰から守ればいいのかわからないのでは困ります。残念ながら私には犯人を捜すことはできない。母上、どうかお願いです。誰がアティエットのことを悪く思うのか調べていただけませんか」
「……………………」
「……………………」 
「……………………」
「……………………」
 殿下は殿下だった。
 私の感動は一気に消え去り皇妃様の涙は見事に引っ込み、部屋は重苦しい空気に包まれた。
 ただ1人、殿下だけが真剣な顔で皇妃様を見つめている。
 黒幕がいるというところまで突き止めておいて、どうしてそれが目の前の皇妃様だとわからないのだろう。皇妃様の侍女を3人も自由に動かせる人物なんて、皇妃様その人しか有り得ないではないか。
「母上、引き受けていただけませんか」
 重ねて懇願する殿下は、この微妙な空気にすら気づいていないらしい。
 もう皇妃様はうんざりした顔を隠そうともしなかった。
「……わかりました。ついでに突き止めたら今回の件を仕掛けた人物にはしっかり釘を刺しておきます。あなたは何もしなくてよいのです。その代わり、これまで以上に勉学に励むように」
「えっ」
 また勉強が増えるなんて、と殿下はショックを受けている。
 いえいえ、殿下。殿下のショックなんて私や皇妃様のショックに比べれば大したことありません。

  
*        *        *


 全てが片づいたと報告に来たオブシェルの話を聞いて、どんどん何とも言えない気持ちになっていった。
 しかし、話し終えたオブシェルの方がよっぽど疲れ切っていて、彼にとってこの10日間がかなり心臓に悪かったのだと思い知らされる。
 殿下が誘惑されるかもしれないという心配じゃなくて、殿下の新たな問題が様々な形で浮き彫りになっていったことが頭を悩ませていたのがこれまた虚しい。
 そんなオブシェルをそのまま帰すのはあまりにもかわいそうで、少しでも気休めになればとお茶を淹れ、お菓子も出す。喉を潤したオブシェルは深い溜め息をついた。
「恐らく、最後の方はわざとやっていたと思うのです。殿下がまともに取り合わないのが演技でない時もある。しかし、本気の時もあるのです。私はいまだにその区別がつかない」
「皇妃様におっしゃったことも本気だったのかしら」
「あれは本気です。間違いなく本気です」
「皇妃様のことを気遣ったのではなくて?」
「甘い。甘いですよアティエット姫。あれは間違いなく本気です。姫よりも私の方が長く殿下の傍にいるのです。断言しますよ。殿下は絶対にわかっていません」
 普段は冷静なオブシェルが珍しく拳を握り締め、熱の入った主張をする。
 その内容は残念極まりない。
「別に、殿下に期待しませんから」
 だって、期待すればする程、疲れてしまうでしょ?
 こちらは気にしていないとアピールしたつもりだったのに、オブシェルは「期待」という言葉が引っかかったようだ。
「期待しますよ。あの展開で期待しない方がおかしい。姫だってあの場にいれば同じ気持ちになりますよ。がっかりするような部分ばかり見せつけられてきたんです。少しくらい見返りがあってもいいではありませんか」
 この人が普段押さえつけているストレスは相当のものみたい。
 いまだにまともに考えたくないけれど、私が殿下の妃になるということは、今後もずっとこの人にお世話になるのよね。これからもたくさんたくさん迷惑かけるんだわ。殿下のことで。
 同士は大切にしないといけないわ。
 お茶のお代わりを注ぎながら、ひっそりと胸の中で思う。
 早くいいお嫁さんを見つけることね。
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