殿下に愛をこめて

モドル | ススム | モクジ

  皇妃様の刺客 3  

C侍女達

 これまで3人の女性の話をしてきたが、1番苦労したのは侍女達だ。
 皇妃殿下より回された3人の侍女は期間いっぱい、ひっきりなしで殿下の気を引こうと頑張っていた。その涙ぐましい努力の数々を話すわけだが、便宜上、侍女A、侍女B、侍女Cということにしておこう。なんせ、美しい話ではないので実名だと彼女達の不名誉になってしまうのだ。
 とにかく、容姿端麗、知性もあり、それぞれ爵位もある家の出身である彼女達は殿下を誘惑すべく奮闘していた。全ての話を語るのは色々忍びないので、一部だけ伝えることにする。

 初日:侍女Aの場合

 それは彼女が食事の片付けをしている時だった。
「あっ」
 皿を取ろうとした彼女が足をぐらつかせてよろめき、殿下の方に倒れてしまった。
 言うまでもない。わざとだ。
「申し訳ございません。足が……」
 謝りながらも、彼女はなかなか離れない。
 ここが大事なところだが、彼女の豊満な胸が殿下の肘に思い切り押しつけられている。好色な男なら既にニヤニヤしていてもいいところだ。
 しかし、殿下は侍女Aを引き離した。
「そなた、どこで靴を作っている」
「え?」
 戸惑いながらも、彼女は自分が贔屓にしている靴屋の名前を答えた。
「普通に歩くことも儘ならぬ靴を作るとは。廃業だな」
「えっ……」
「そうであろう?靴としての役割を果たせぬ靴を売るなど問題ではないか。詐欺もよいところだ。そこで靴を買った者達が不良品のせいで怪我をしたらどうする。由々しき事態だ」
 いつものことだが、殿下の発想は突飛だ。
 幾つも段階を通り越して極論に走るのはやめてもらいたい。
「いえ、あの、今のは私が悪かったのです。靴のせいではありません」
「そうか。歩くことも困難なのに侍女の仕事は辛かろう。母上には私から話してやる。無理をせず、家で養生するがよい」
「と、とんでもございません……っ!今のはうっかりです。私の不注意です。歩くのが大変だったことはこれまで1度もありません。どうかお許しを……!」
 かわいそうに。
 侍女Aは一見強気な美女だったが、小心者だったようだ。
 侍女を辞めさせられるのが怖くて、萎縮してしまっている。
 殿下は彼女の方を見もせず、「そうか」と言っただけでそれ以降そのことには触れなかった。
 そして私は見てしまった。
 侍女Aの様子を見ていた侍女Bと侍女Cが鋭い目をしたことに。
 彼女達がどんなふうに動くのか?
 ほんの少し、楽しみだった。


4日目:侍女Bの場合

 公務――こんな殿下にも公務はある。実に嘆かわしいことだ――に区切りがついたのを見計らって、侍女Bがお茶の準備を始めた。
 初日にわかったことだが、この侍女B、美味い茶を淹れる。その実力はアティエット姫に匹敵するものがある。容姿にも優れ、美女との評判も高い。皇妃様の刺客としてもなかなかの逸材だ。少なくとも、3人の侍女の中では最も期待されていそうだった。
 ただ、これも相手が悪かったとしか言いようがない。
 侍女Bの気合いの入った顔からは、今日こそは!、という意気込みが溢れ出ている。
「さ、殿下。どうぞ召し上がって下さい」
「うむ」
 殿下がお茶を飲む。
 半分くらまで減ったところで、カップを置いた。
「65点」
 宣告された侍女Bの顔が一瞬引き攣りそうになる。けれどもそこは優秀な侍女。咄嗟に微笑みを浮かべた。
「昨日は75点でございましたわね。一体、何が10点も低くなってしまったのでしょう。とびきりのお茶を淹れたつもりだったのですが」
「昨日は渋みが足りなかった。今日は渋みが強過ぎた。そなたなら90点まではいけると思うのだが、私の過大評価だったか」
「いいえ!とんでもございません。90点だなんて、そんな。見事100点満点の味を殿下にお届けしてごらんにいれます」
「そうだろうか」
 ぐっと握られた拳が侍女に似合わず力強い。
 侍女Bと殿下は初日からずっとこんな感じだ。
 そもそもの発端は殿下の『美味いな。しかしアティを100点とするとこれは55点といったところか』発言にある。
 侍女Bは自分の腕に相当自信があったようで、55点という評価がプライドを傷つけてしまったらしい。そして侍女B、なかなか気が強く、『それは失礼致しました。必ずやアティエット様に負けないお茶をお淹れしますので』と宣言したのである。
 以来、侍女Bと殿下の攻防が繰り広げられることになった。
 侍女Bは殿下に満点を貰える茶の研究に勤しんでいる。
 皇妃様の密命はどうしたのかと尋ねれば、一瞬、しまったという顔をして、『100点満点以上の味を出した時が殿下が私に落ちる時ですのよ』と取り繕った。一応、余裕に満ちた表情であったものの、あれはその場限りの適当な言葉に違いない。
 彼女が掲げるのは打倒殿下。
 彼女は皇妃様の優秀な侍女ではなかったのだろうか。
 ちなみに、殿下がお茶に点数をつけるのは初めてだったのでどうして侍女Bにだけああいうふうに言うのか聞いてみた。
「中途半端に美味いから逆に気に入らないのだ。確かに美味いが、まだ2、3もう少しの点がある。あそこまでできるなら、私の舌を満足させるレベルまで到達してもらわねば」
「つまり、アティエット姫のようにと?」
「そこまでいけば文句はないが、オブシェル」
「はい」
「アティが何年もかけて作ったものをいくら腕がいいといって数日でできるわけないだろう」
 ん?これはまともな意見。実に普通な見方だ。
 しかし、この言い分だと、まるで――――。
 無言で殿下に視線を送ると、殿下は悪戯を仕掛けた子どものように、にやりと笑った。
「どんなに頑張っても85点までだな。私は茶にはうるさいのだ」
 悪役でも気取っているのか、悦に入った殿下は意味もなく哲学書をペラペラめくり出した。視線は全く文字を追っていない。
 明日の補習も不合格だろうか。それは阻止せねばと哲学書を取り上げ、最初のページに戻す。
「なんて非情なことをするのだ!」
「ずるはいけません」
 殿下に今日勉強したばかりのところを朗読させながら思う。
 お茶マニアを気取るのなら、そちらの勉強も少しはさせてみようか? 
 その場合の教師は――姫しかいないだろうな。


 9日目:侍女Cの場合

 侍女Aは大人しく本来の侍女業に精を出し、侍女Bはひたすら殿下のお茶の評価を上げるべく奮闘していた。その間、侍女Cは何をしていたのかと言うと、彼女こそが非常に際どい役割を担っていた。
 侍女と言えど、彼女達は身分もあり上の立場なので着る者はそれぞれに任されている。そんな中、侍女Cのドレスはいつも胸元が大きく開いていた。
 他の2人に比べると少々だらしないような雰囲気すらする。けれども常に危ない色香が漂っていて、隙あらば皇子を狙っていた。
 初日に侍女Aから聞いた話だが、この侍女C、若くして未亡人であるという。そして恋多き女性らしい。
 あんな殿下であっても、第一皇子。社交の場で色めいた視線や仕掛けを受けることもあったが、持ち前の頭の悪さやどうしようもなさでかわしてきた殿下である。しかし、日頃からそういう誘惑が身近にあるのは今回が初めてだった。しかも、寝台の女と違って大きすぎる一歩は踏まないところが上手い。
 殿下を誘惑するとはよく言ったものだ。
「まあ、殿下。服に汚れが」
 侍女Cが殿下の腕の辺りについた汚れを払う。その手つきは明らかに別の意味を持っていて、まともに見ていていいものか考えてしまう。侍女Aと侍女Bは全く知らんぷりだ。何事もないようにすましている。
 侍女Cは汚れを払った後も殿下の腕に自分の手を添えたままだ。それどころか、寄り添うように自分の体をくっつける。
「殿下ももう16歳。ご立派になられましたわね。このように逞しくなって」
 侍女Cの手が殿下の腕から胸の方へと這っていく。侍女Aと侍女Bはさっと部屋から立ち去ってしまう。私も2人きりにしてもいいかと考えたが、立場上、殿下の指示があるまではここにいなければならない。その殿下は何を考えているのかわからない顔で侍女Cを見ていたのだが。
「私はどこも具合など悪くない」
「ふふ。そうみたいですわね」
「なら、何故触れる」
「もっと殿下の近くに行きたいからに決まってましてよ」
 侍女Cが殿下の頬にキスをする。そこでやっと殿下の顔に驚きが浮かんだ。侍女Cを引き離し、信じられないものを見るかのように顔が強張っている。
 流石の殿下でも、身の危険を感じたか?
 少々期待したものの、殿下の言葉に脱力しそうになる。
「まさか、母上の傍に変態がいるとは。知っているぞ。そなたのような女を痴女と言うのだろう?」
 びしっと人差し指を立てて興奮したようにまくし立てる殿下に、侍女Cもあんぐりと口を開けた。
 色事に通じていると言われはしても、変態痴女扱いは初めてだろう。それに動じるなという方が無理だ。
「い、嫌ですわ。殿下、女性にそのようなことを言ってはいけません。私はただ殿下に興味があるだけで」
「何を言う。婿入り前の身にベタベタ触れてくるなど、まともではない。私が女でそなたが男だったら打ち首ものだ」
 誰が婿に行くと?
 いや待て。嫁入り前と間違えなかっただけ見逃すべきか?
 侍女Cはそれでも皇妃様の命を遂行すべく殿下の言葉を振り切った。そして、私がいるのにも構わずに殿下の腕に抱きついた。
「固いことは言わないで下さいな。私が手取り足取り教えて差し上げますわよ?素敵なこと」
 かなり追い込まれているようだ。うぶな反応をされるならまだいろいろ出方があったろうに、自分のことをすっかり変態だと思い込んでいる殿下を誘惑しなければならない。
 皇妃の侍女とは、実に酷な仕事だな。私がそんな感想を抱いた時である。殿下は更に加速した。
「そなたのせいで母上まで変態呼ばわりされてはたまらぬ。どう責任を取るつもりだ!」
 殿下の言い方ではまるで既に皇妃様が変態呼ばわりされているかのようだ。侍女Cも、もう疲れ切り、呆れた様子で首を振った。
「この国の将来を思うと涙が出てくるわ……」
 それだけ言うと、しょんぼりしながら部屋を出て行った。
 殿下は気難しい顔で腕組みをしている。
「どうされました、殿下」
 尋ねると、殿下は真剣に答えた。
「どうも母上の侍女はなってない。これは、母上に教えて差し上げなければならないだろう」
 かくして、皇妃様の決めた期間が終わるのを目前にして、事態は殿下と皇妃様の直接対決になだれこんだのである。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) ring ring rhapsody All rights reserved.
  inserted by FC2 system