殿下に愛をこめて

モクジ

  皇帝陛下は思案する  

 ツァルク帝国にきてから7年。いろいろな――――恐ろしいくらいにわけのわからないことがあったわ。
 そして理屈も何もないあれこれの結果、小国ネルフェスカの王族である私アティエットは第一皇子ユルトディン様の婚約者になってしまいました…………。
 世界一の大国の第一皇子と戦で負けた小国の姫。
 16歳の皇子と21歳の姫。
 とんでもないバ(自主規制)と常識人。
 どう考えたって無理があるのに、知らない内に私は殿下に好かれていて、後宮に残ることになって、皇子妃にならなければならないことになっている。
 いや、本当におかしいでしょ。
 そりゃあ、元々人質として帝国に来たわけなんだけど、側室と皇子妃じゃ天と地ほども違うわよ!!
 しかし相手はあの殿下。
 正論なんて意味がない。殿下にそれを理解させるのがいかに難しいことか。殿下に常識を完璧に教え込む人間がいたとしたら、帝国栄誉賞ものだわ。
 一応、身分的なこととか、世間の目とか、そういうことについては殿下に言ってみたのよね。でも駄目だったわ。殿下には通じてなかった。
 そんなこんなでずるずると引きずられて婚約者としてはや1週間を過ごしているけれど、今日、やっと皇帝陛下からお呼びがかかった。
 皇帝陛下なら常識的な判断をして下さるに違いない。そう思うと気分も明るくなって、鼻歌の一つも歌いたくなる。
「ご機嫌ですのね」
 着替えを手伝ってくれているコーテアがさらっと言う。
「だって天下の皇帝陛下よ。陛下のおっしゃることなら殿下も聞かざるを得ないわ」
「そうでしょうか。姫様を妃に出来ないのなら聖職者になって皇帝陛下を呪うとかなんとかおっしゃってませんでしたっけ?」
「…………いや、え、あー…………」
 そんなことも口走っていたわね。
 嫌だわ。恐ろしい。
 陛下に抹殺されたいのかしら。殿下ったら。
 いいえ。違うわね。殿下は殿下で本気なのよ。あれで。尚更恐ろしいわ。


*        *        *


 今日私が呼ばれたのは謁見の間ではなく執務室だった。近くで少人数で話ができるのはありがたい。陛下の方には側近と兵士2人しかついていない。こちらは陛下の前にコーテアを連れてくることもできないので1人だ。殿下なしで話ができるのもありがたいわ。
「よく来た、アティエット」
「陛下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」
「固い挨拶はいい。ユルトディンの妃であれば余にとって娘ではないか」
 ははは、と豪快に笑う陛下は口にしている言葉こそ今は軽いが威圧感が尋常でない。世界一広大な領土を見事に治めているだけのことはある。
「事の一部始終を聞いたぞ。此度、一番翻弄されたのがそちであったようだな」
「恐らく、その通りでございます」
「肝心の妃になる女に一言も言わず、事を進めるとは何たる愚かさ。しかもわざと言わなかったのではなく忘れていたのだからな。呆れ果てる。呆れ果てていっそあっぱれなくらいだ」
 それは貶しているの?誉めているの?一体どっちなのよ。
「手遅れになる前に気づけただけマシであろうな。しかし、あれがそちに言ったという話だが、あんな内容ではそちもさぞかし不安であろう」
「……はい」
「まともな人間ならば当然だ」
 陛下は鷹揚に頷くと、机に肘を乗せた。こちらを見た眼光が鋭く光る。
 さながら獲物を狙う猛獣だ。あまりの迫力に足を後ろに引きたくなってしまう。
「アティエットよ。言いたいことがあるだろう。今は何を言っても許す。全てここで申してみよ」
 寒気がする。本当にこれが殿下と血が繋がったお父様だというの?
 逆らえない。この方の前で一瞬たりとも後ろ暗いことを考えてはいけない。そんな気にさせられる。
 威厳のある方だとは知っていた。でも、1対1だとここまで恐ろしく感じるものなの?
 ごくりと唾を飲んで、私は陛下の命に素直に答えることにした。
「恐れながら、殿下のお考えは浅慮だと思います。帝国の第一皇子にネルフェスカの姫が釣り合うはずがないのです。そもそも私は敗戦国の王女。しかも5歳も年上です。殿下にはもっと帝国の利となる方がいらっしゃるのではないでしょうか。身の丈に合ったお相手でなければ殿下の恥です」
「一理ある」
 続けよ、と陛下が視線で促す。
「殿下が私を想って下さるというのはとても光栄です。ですが、殿下はまだお若い。これから真に殿下のお心を射止める方が現れるようにも思うのです。その時に殿下が後悔するようなことになっていてはどうかと思うのです」
「ほう」
 陛下が口元に僅かな笑みを浮かべた。
「では聞こう。あれに見合う女とはどのような者だと考える」
「それは……外国の姫ならば帝国に有益な国の方を。国内であれば手を繋ぐに値する大貴族の方でしょう」
「では、あれの心を射止める女とは」
「…………何か一つ秀でたものがあれば殿下の心を傾けるのは難しいことではありません。後は、殿下の話にじっくり耳を傾ければよいのです。それ以上のことは、私にはわかりません。殿下のお心のことですから」
 そもそも殿下の好みなんて知ってるわけないじゃない。
 陛下は知ってらっしゃるのかしら?あんなにもご多忙で、殿下に割く時間なんてほとんど無いのに。
「わからないと言ったな。その通りだ。あれの心はあれにしかわからん。クディナスは実にわかりやすくてよい。皇妃もだ。だが、あれのことはさっぱりだ。しかしそれこそがあれの良さでもある」
 本当に?
 陛下だって殿下には随分手を焼いてらっしゃるはず。それなのにあれでいいと言えるものなの?
「愚息という言葉があるがな、あれは本当に愚息だ。だがあれはあれで意外に聡い。愚かゆえに危機を避けることもあるのだよ。あれは意図していなかろうが、それだけは誰にも真似できぬ。また、時に目を瞠るものを見せることがある。余はあれがそちを選んだと聞いて、感心したのだぞ」
「陛下?」
「そちの言う通り、そちの身分ではあれの身分には合わぬ。だが、そちはまともだ。あれに巻き込まれながらもどこか冷静に物事を見ている。戦に負けた国の王族だからこそ守ろうとするものがある。そちが最初はローヴァル候の息子と結婚しようとしたというのもよい。自らの立場を考え、その中で最良の道を見つけることができる。それは上に立つ者に必要な資質だ」
「私には過ぎたお言葉です」
「いや。余は何百人何千人という人間を見てきた。余の目に狂いはない。愚かな息子に愚かな女をつけてはならぬ。そちは賢い。あれが愚かな分、そちの賢さで釣り合いを取れ。身分など気にするでない。皇子妃にふさわしい後見をつけよう。勿論、そちの国には寛大な取り計らいをしよう。そちがこの国にいる限りずっとだ。そちの待遇については保障をしよう。万が一あれがそちを離すことがあっても、悪いようにはせぬ。そちがあれの妃となるのだ。それが嫌ならあれを勇者にせよ」
「……………………」
 あら?
 なんだか今、最後がとても変だった気が――いや、変だったわよね。
 とても真剣な話をしていたのではないの?
 まさかね。
 陛下の顔色を窺えば、至って真顔。そうよね。陛下の口から勇者なんて言葉が出るわけないのよ。私ったら嫌だわ。幻聴が聞こえるなんて疲れてるのかしら。きっと殿下のせいね。
「聞こえなかったか?そちの運命は二択だ。あれの妃になるか。あれを勇者にするか」
――――幻聴じゃなかった〜〜〜〜!!!!!!
「へ、陛下…………」
 脱力しそうになる身を堪えるのも馬鹿馬鹿しくなる。
「後者の選択肢がとてつもなく不自然な気がいたします」
「そうか?そちはあれが勇者になりたいというのに応えて剣の稽古につき合っていたのであろう?突飛な話ではあるまい」
 充分突飛な話ですとも!
 だめね。
 陛下は私で遊んでいるんだわ。
 可能な選択しと不可能な選択肢を出して置いて、しかも不可能な選択肢がどうしようもない内容だもの。二択と言いつつ、これは命令だ。
「陛下、私が殿下の妃となれば、先程おっしゃったネルフェスカへの取り計らいや私の生活の保障はしていただけるのですね?」
「当然だ。細かい内容についてはそちが不安にならぬよう書状にしたためよう」
「恐れ入ります」
 結局よくわからないけれど、陛下は私のことをやけに高く買って下さっていて、殿下の妃にしたいと。特典もたっぷりついてくるようだし、それなら悪い話じゃないわ。
 これは契約よ。
 ツァルク帝国とネルフェスカを結ぶ役割を担うのなら本望だわ。
「納得したようだな」
「はい」
「早速皇子妃教育の手配をさせよう。心して取りかかれ」
 心して、をやけに強調される。
 そんなに注意しなくたって真面目にやるわよ。真面目にやって実になるように頑張るわよ。殿下のようにのほほんとしてたら生き抜けないんだから。
「承知いたしました」
 返事をして、そろそろ陛下の前を辞そうとした時。
「父上っ!!」
 バン!と扉が開いて殿下が駆け込んできた。
「ずるいじゃないですかっ!私ですらここのところアティに会えなかったというのに、父上がアティと2人きりだなんて!!」
 室内がしんと静まる。
 …………殿下、陛下の後ろに控えている者達が見えないのですか。
「皇子よ、せめて余の10分の1程にはなってもらわねば、余も皇妃も、そこなる婚約者も恥をかくのだが」
「父上がアティを独り占めするのがいけないのです」
「未来の娘と話をして何が悪い。それも国に関わる重要な話ぞ。そちを入れるにはまだまだ早い。悔しいのであれば余の10分の1程になれ」
 それは流石に無茶です!陛下!
 叫びたい気持ちを留めておくのは本当に辛い。 
 一刻でも早くここから立ち去りたい!
 見た目だけはいいのにどうして殿下のすることといったらこうも突飛なのよ!!
 当の殿下はふふんと強気な表情を浮かべた。
 なんとなく嫌な予感がする。
 それは見事に的中した。
「父上。私の身長ならば既に父上の10分の9を超えております」
「…………」
「……………………」
 思わず陛下と顔を見合わせてしまったわ。
 ねえ、これって本来なら10歳くらいの頃にはわかっていなきゃいけない言葉の表現じゃないの?教育係は何やってたのよ!!本当に!!
 陛下もこれには参ったのか、重い溜息をついた。 
「皇子よ、しばらく公務はよい。ひとまず2週間程部屋で勉学に励め。成長が見られぬ場合は地下牢に閉じ込めて幼少の頃より触れた学業全てをやり直しさせるぞ」 
「ええっ!?そんな、酷いです!父上!」
 もうよい、と陛下が手で合図をする。それまで黙っていた兵士達がさっと動いて殿下を両脇から掴み、執務室から引きずり出して行った。
 私の名前を叫んでいたのは聞かなかったことにしよう。
 ええ、私にもお妃教育があるもの。
 妃…………。
 殿下の妃…………。
 はあ……………………。
モクジ
Copyright (c) ring ring rhapsody All rights reserved.
  inserted by FC2 system