殿下に愛をこめて

モクジ

  ときめきのち非ときめき  

*殿下に衝撃的な告白をされたお茶会の後*

 おぼつかない足取りでやっと辿り着いた自室で私は着替える気力も起こらずそのままベッドに身を横たえた。いつもなら小言を言うコーテアも今日ばかりは見ぬ振りをしてくれた。それどころかめいっぱい不憫な顔をして。
「私、こんなに姫様がおかわいそうになったのはこれで2度目ですわ」
 ほろりと零れる涙をハンカチで押さえている。
 どうして私じゃなくてコーテアが泣いているのかしら。呆然と様子を見ていると、コーテアはしくしくと語り始めた。
「姉妹のように育った姫様が帝国の側室にされると聞いた時は、姫様の暗い未来を思って私まで憂鬱な日々を過ごしたものです。国元にいても幸せになれたかどうかはわかりませんけれど、帝国で数多の側室の中に放り込まれるよりは余程ましだと思いましたもの。姫様が私を連れて行くとお決めになった時は私を不幸の道連れにするのかと感心しましたけれど、それで姫様をお慰めすることができるのならと、国王より慰謝料として莫大な費用をぶんどってこちらの方へ同行させていただいたのが杞憂に終わった時の喜びといったら。姫様のお仕えする方があれで、恐れていたことが起こるでもなく、予想外の方向にどたばた劇が繰り広げられる後宮を面白く思っておりましたのに。姫様がひどく苦労されることもなく、私も人気作家の本を欲しいままに読み漁ることができ、喜びを感じておりましたのに。後宮解体宣言の折には、それは驚きましたけれど、でも姫様が自由になれるのは喜ばしいこと。オブシェル殿に嫁がれるならまともに暮らせると思っておりましたのに、よりにもよって、よりにもよって姫様があのバカ殿下の皇子妃に選ばれてしまうなんて」
 どうして皇帝陛下は許可を出してしまったのでしょう。あんまりですわ。
 めそめそと枕元でハンカチを濡らすコーテアはすっかり自分の世界に入ってしまっている。
 私はいまだに自分の状況があまりよく整理できていなかったけれど、コーテアの話を聞いていたら殿下が私を妃にすると言ったのが嘘ではなかったのだと意識させられて心が重くなる。
 好かれていた自覚はあったわ。
 でも、それを男が女に向ける愛情だと感じたことは無かったの。思いもよらなかった。――わかるわけないじゃない。私は殿下のことを弟のように思っていたのだから。
 殿下はやっと16歳になられたところ。
 私は21歳になってしまった。
 性別が逆だったら何も思わないけれど、殿下はいいのかしら。寧ろコーテアが言うように皇帝陛下は気になさらないのかしら?
 もしかして、殿下のことはどうでもよくなっていらっしゃるのかしら?
 世間体は大事よね。
 王族だったら外聞を気にするのは当たり前のことだわ。
「私、ネルフェスカでどう言われるのかしら」
「……同情されるか、誇りに思われるかのどちらかでしょう」
「…………そうね」
 側室ではなく、正式な妃。
 それも、帝国の第一皇子が他の側室を全て切り捨てて迎える唯一の妃だ。殿下にまつわるあれこれの話はネルフェスカには伝わっていないだろうから、美談として国民は喜ぶに違いない。
「まさか人に夢を与えることになるとは思わなかったわ」
「大根役者が泣いて悔しがりますわねえ」
 さっきまで泣いていたコーテアの目は赤くなっているけれどもう雫はない。
「落ち着いた?」
「少しは。大体、姫様がまだ実感も湧かずにぼんやりしているものだから私だけ泣いているのが恥ずかしくなったのですわ」
「ぼんやり?」
「ええ。あまりにひどい現実だから受け止められないお気持ち、わかりますわ」
 そうなのかしら?
 頭の中がごちゃごちゃしてる。それは自分でもわかる。
 だって本当に夢みたいな話だもの。
 殿下が私を好き?
 私しか妃にしたくなくて後宮を解体した?
 いきなり言われて「まあ、そうでしたの。わかりましたわ」なんて頷ける程出来た人間じゃないもの。


*殿下に衝撃的な告白をされたお茶会の翌日*

 昨日のお茶会の話は瞬く間に後宮に広がった。
 朝食を終えると、他の側室達がひっきりなしに私のところを訪れお祝いと同情を述べていった。中には「そんなの認めないわ!」と飛びかかりそうになっていた姫もいる。言うまでもなく、後宮に入った頃から折り合いのよくないエミサリル姫だった。彼女が手をつけられなくなる前に私を自室から連れ去ってくれたのは仲の良い2人の側室、レティヴィア姫とチェレーリーズ姫だった。
 お茶会の約束をしてたんですの!と強引に引っ張ってきてくれた2人に感謝する。レティヴィア姫の部屋で椅子を勧められ、腰を下ろすと疲れが一気に出てきてぐったりしてしまう。
「朝から大変でしたわね」
「……ええ」
 あなたの腕には遠く及ばないけれど、とレティヴィア姫が淹れてくれたお茶で喉を潤す。まるで優しさが身に沁みていくよう。
「昨日、あなたが意外な決断をしたと思ったら、それ以上にすごい話が後からやってきて声も出ませんでしたわ」
 チェレーリーズ姫に言われて、小さく首を縦に振る。レティヴィア姫も同意するかと思いきや、彼女は「そう?」と言い出した。
「殿下はアティエット姫のことが好きだったじゃない。私と居る時にもあなたの話題がよく出たものよ。私の話をするよりもあなたの話をする方がお喜びになることが多いから、殿下がお勉強に身が入らない時はあなたの話をご褒美にすると約束してやらせたこともあるくらいで」
 レティヴィア姫は殿下の家庭教師の1人でもある。彼女が教えている外国語は他の科目より殿下の覚えがいいと評判だった。何か餌を与えているらしいと噂は耳にしたことはあったのだけれど、その餌というのはまさか――私?
 レティヴィア姫の話を聞いて、チェレーリーズ姫が優雅に頬杖をついた。
「殿下が側室の中ではアティエット姫が一番好きらしいということは私もわかっていましたわ。でも外のことはわかりませんでしたもの。帝国の貴族の娘に殿下の妃候補がごろごろいたという話だったでしょう?すっかりそちらに好きな方でもいらっしゃるのかと思ってましたわ。第一、当のアティエット姫があんなに自分の身の振り方で悩んでいましたのよ」
「やはり殿下は殿下だったとしか言いようがないけれど……でも殿下はお優しい方よ。きっとあなたを大切にして下さるわ」
 レティヴィア姫が励ますように私の腕に手を添える。
「私も教師としてこちらの方に出入りを続けるし、いつでも相談に乗るわ」
「レティヴィア姫ばかりずるいですわよ。わたくしだって力になりますわ。大臣の身内ですもの、堂々と往来を闊歩して会いにいきますわ」
「レティヴィア姫、チェレーリーズ姫……」
 女同士の友情に感動していると、殿下の訪れを告げる先触れがやってきた。
 3人で顔を見合わせて、突然の訪問に疑問符を浮かべている間に殿下は姿を現した。
「ここにいたのだな」
 殿下は私を見ると嬉しそうに笑った。
 もしかして私を探していた?
「ヴィア、リズ。アティを借りてもいいだろうか?」
 殿下にそう尋ねられれば、誰からも否定の言葉は出てこない。
 どうぞどうぞと送り出され、私は殿下に連れられて屋内から抜け出した。


*昼前、後宮の森にある噴水にて*

 殿下の歩くままに辿り着いたのは後宮の傍にある森の中にある噴水の前だった。見事な彫刻を施されている噴水は周囲も整えられている。時々ピクニックに使われるのでちょっとしたテーブルやベンチもある。それでいて、木々で人目を気にしなくていいので1人になりたい時に最適の場所だ。
 今は殿下と2人きり。離れた場所には侍従や警備兵達がいるけれど、殿下の指示で姿が見えない場所で控えている。
 殿下に促されて噴水を囲む石の縁に座ると、すぐ隣に殿下も座った。今までよりも近い距離に少し驚いた。
 殿下は私を優しい眼差しで見つめてくる。
「無性にアティに会いたくて、午前の勉強や公務が終わってすぐにやってきたのだ」
「まあ」
「今まではアティの顔が見たくなっても頑張って我慢していたのだぞ。父上に、1人の側室ばかり気に掛けるのはよくないと言われていたからな」
 困ったものだ、と呟く殿下。
 陛下の方が正しいわよね?
 そう思うと、曖昧な表情で殿下の言葉を受け止めることしかできない。
「でも今のアティは私の婚約者だからいいのだ。アティだけに会いにきても許される。私はこんな日を待ちわびていたのだ」 本当に嬉しそうな殿下を見ていると、私の中にも嬉しい気持ちが芽生えてくる。
 何か問題発言をしたり問題行動をしたりさえしなければ一緒にいて穏やかに過ごせる人だ。
 ただ、昨日の今日ではどうしてもぎこちなくなってしまう。殿下が言っているのが私へのことだから、余計に。
「私はアティに会えるのが嬉しい。アティもそうだといいのだが」
 ほんの僅かに遠慮がちな声にハッとする。殿下の表情を窺えば、ただただ優しげにこちらを見ている。そこに陰はない。でも、舞い上がるような空気もない。
「私も殿下にお会いできるのを楽しみにしております」
 嘘じゃない。
 疲れることもあるけれど、殿下と過ごす時間は基本的に楽しい。それだけは伝えなければと心が焦る。
「そうか」
 殿下は満足そうに頷いた。
「アティは私のことを嫌いではないだろう?」
「勿論です」
「それなりに好いてくれてもいるだろう?」
「はい」
 それなりに、ならそれも本当のこと。姉が弟に向けるような愛情を抱いていたのだもの。
 ここで愛しているかと尋ねられたらどう答えればいいのだろう。流れから予想した問いを恐れたものの、殿下はそれを口にしなかった。
「他に好いてる男はいないだろう?」
「はい」
 意外な内容だったけれど即答する。すると、殿下は再び笑みを取り戻した。
「ならば、今はそれで良い」
 殿下が私の手を取る。まるで騎士が女性に忠誠を誓うかのような絵にドキドキしてくる。
「私はアティだけを妃に――妻にすると決めたのだ。だからアティも私のことを1番に想え。私もアティただ1人を愛すると誓う」
 優雅な仕草で私の手の甲に唇を落とし、ゆっくりと顔を上げた殿下は元々麗しい顔立ちも相まって普段の何倍も素敵に見えた。
 不思議だわ。いろいろ欠点も多い方なのに、胸が高鳴るなんて。
 しかし、ときめきも長くは続かない。殿下はにっこりと笑って空を仰ぎ見た。
「式が楽しみだな。第一希望は来月ということで父上にお願いしているのだが、どうだろう?公務がなかなか詰まっているから、再来月あたりが現実的だろうか?」
 ………………………。
 さわやかな表情でさらっと非現実的なことを言わないで下さい。
 帝国の第一皇子の結婚式がたった1ヶ月で準備できるわけないでしょう。式典に必要なあれこれ、必要な諸行事の数々、道具の発注だってそう簡単に済むものではないはず。
 私の常識でいくと、王族の婚約が決まってから式を挙げるのに最短でも半年は必要だというのに、殿下ったら……。
 不安だわ。実に不安よ。
 愛してるとか言うけど、やっぱり何かと錯覚してるんじゃないかしら?
「殿下、それはいくらなんでも無理です」
「なに?」
 殿下に諸々の事情を説明していくと、みるみるうちに殿下の顔が驚愕に包まれていった。
「な……なんとしたことだ!!公式行事がそのように成り立っているとは!そのような裏側まで知っているとは、アティ、天才だな!」
「常識ですわ」
「ははは。謙遜しなくても良いぞ。アティのように頭の良い妃を持てるなんて私は幸せだな。ははは!」
 さわやかに殿下が笑っていると、離れたところで控えていたオブシェルがそっと顔を出してこちらを窺った。表情はよくわからないけれど、きっと不安になっているはず。
 私、本当に殿下の妃にならないといけないのかしら……。
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