殿下に愛をこめて

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  私、側室を卒業します 4  

「今日はお茶会なのですって?」
 午後に向けて茶器の選定を行っていると、チェレーリーズ姫が顔を出した。
「はい。突然決まって、準備が大変で」
 せめて3日は猶予が欲しかったわ、と零せばチェレーリーズ姫は頷きながら近くにあった椅子に腰を下ろす。
「殿下もあなたのお茶が恋しくなったのではなくて?最近ほとんど後宮にいらっしゃらないでしょう」
「どうかしら。今回はオブシェルの指示ですから」
「オブシェル?どうして彼が?」
 意外だと言いながら彼女は興味を隠さない。
 どうせほとんど決まったようなものだもの、言ってもいいわよね。
「彼にお世話になろうと思って」
 告げた瞬間、チェレーリーズ姫は大きく口を開いて固まった。唖然とするを体現したような表情だわ。
 私の決断は彼女の想像の範疇を超えている。もしかしたら殿下もこんな反応をするかもしれない。
「…………何がどうなってそういうことになりまして?一体いつの間に?」
「彼とは恋人でも何でもないのですけれど。それがいいと思いましたの」
「人選はまあまあですわ。それにしても思い切りましたわねえ。当然、結婚を考えてらっしゃるのでしょう?」
「そのつもりです。彼は、殿下の許可があればいいと」
「あー、そういうお茶会ですのね」
 それは急なはずですわとチェレーリーズ姫は扇を開いて優雅にあおいだ。
 そして、彼女は私が茶器を揃え終わるのを待って言った。
「うまくいくといいですわね」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
 殿下は躊躇いもなく許可を下さるわ。他の側室達にそうしたように。


*        *        *


 お茶の時間になり、庭で準備を終えて殿下を待っていると、程なくして殿下がオブシェルを連れて現れた。
「久しぶりだな、アティ」
「お待ちしておりました、殿下」
 笑い合って、席を勧める。座った殿下にお茶とお菓子の説明をしながら出していく。殿下はお茶に口をつけると満足そうに目を細めた。
 ああ、気に入っていただけたのね。
「いつでもアティのお茶は美味いな」
「恐れ入ります」
 毎度のやりとりを交わすと、さっきまで殿下がダンスの授業をしていたことに話が移る。
「1時間の間に10回足を踏んで教師にすごく怒られてしまった」
「この間は15回でしたわね?上達されたではありませんか」
「私もそう思うのだが、教師にしてみれば15回足を踏まれるのも10回足を踏まれるのも変わらないらしい」
「先生も必死なのですわ」
 殿下のダンスの不得手っぷりにはもう笑うしかない。それでも数年前のことを思えば大分それらしくはなってきたのよ。側室の中では1回の催しにつきダンスは1人1回担当すると決めていたものの、最初の頃は足が腫れ上がったことが何度あったか知れないわ。練習ではまるで羽のように軽やかに踊ることができるのに、殿下とのダンスは甲冑を着ているかのようで今も苦手。ああ、それからも解放されるのね。
「できれば避けたいが、立場上どうしてもやらねばならない時もあるしな。頭が痛い」
「心中お察しいたします」
 頭が痛いのは周りの方ですわ。なんてとても言えない。オブシェルも僅かに苦い顔をしている。きっと今、私達の心は一つになっているんだわ。
 そろそろ本題に入ってもいいかしら。
 殿下はこれでも多忙だもの。話はさっさと終わらせて和やかな雰囲気でお帰りいただくのが理想的よね。
「そう言えば殿下、他の姫君方の身の振り方についてはもう決まっていらっしゃるとか」
「ああ。皆、なかなか決断が早かったぞ。後はそれぞれの今後に向けて私がやることをもっとはっきりさせて支援していくだけだ」
 ほぼ片付きつつあるからか、殿下の顔つきは穏やかだ。
 つまり、最後まで残っている私は殿下に迷惑をかけていたのね。でもこれくらいは許して欲しい。これまでの苦労を思えば可愛いものでしょう?
「つきましては殿下、私からもお願いがございます」
「なんだ?」
「私は殿下の侍従であるオブシェル殿と結婚させていただきたく存じます」
 すっぱり切り出すと殿下の動きが止まった。あまりに見事で時が止まったのかと錯覚するくらいだった。
「殿下」
 オブシェルが声をかけて、殿下はハッとして当たりをきょろきょろと見回す。
 挙動不審ですわよ、殿下。
 殿下は空を見つめたかと思うと、再びこちらを向いた。
「何か聞き間違いをしたようだ。もう一度言ってくれないか」
 今の短い文のどこを聞き間違えると?
 仕方ないからさっきよりも少しゆっくり、はっきりと言う。
「私は、そこにいるオブシェル殿と、結婚したいのです」
 いくらなんでもこれなら伝わるでしょう?
 じっと視線を注ぐと、殿下の手から焼き菓子が落ちた。
 殿下の視線があちこち揺れている。よく見れば、手も微かに震えていた。
「…………どうしてそうなるんだ?」
「オブシェル殿なら信頼できるからです」
「オブシェル、どういうことだ」
 殿下の声が低くなる。
「殿下が側室の方々に身の振り方を考えよとおっしゃったせいかと」
「お前はアティと通じていたのか」
「とんでもございません。私も昨日アティエット姫から話をいただいて驚いたところです。そこで殿下の許可を得ていただきたいと申し上げました」
「そんなことを言って、お前が何か仕掛けたんじゃないのか。アティを毒牙にかけようものならただではおかないぞ」
「ご安心を。殿下のお気持ちは心得ております」
 大げさだわ。
 目の前のやりとりを蚊帳の外で見ていて思う。
 私とオブシェルという組み合わせがあまりに意外なのは否めない。チェレーリーズ姫ですら驚いたくらいだもの。殿下のキャパシティを超えてることくらい想像していたわ。それにしても酷い言いがかりじゃない?
 殿下は疑いの目をオブシェルに向けていたけれど、やがてこちらに戻した。
「アティ、オブシェルが好きなのか」
「どちらかと言えば」
「それは大して好きではないと言わないか?」
「はい」
「オブシェルに何か弱みを握られたとか、そうではないのだな?」
「勿論です」
 殿下の眉間にどんどん皺が寄っていく。
「……アティ、そもそもどうしてそなたが後宮を出て行くことを考えたのだ」
 何を言っているの。殿下が言ったことじゃない。
 流石にこの質問には不快になる。自分がまいた種を忘れるなんて有り得ないわ。
「殿下は唯一の妃を迎えられるので後宮を解体するとおっしゃったではありませんか」
 答えると、沈黙が流れた。
 誰も言葉を発さない微妙な空気を破ったのはやはり殿下だった。しかし、その声はあまりに場にそぐわないもので。
「あ、言い忘れてた」
 なにを?
 状況が掴めなくてイライラしてくる。頭に血が上りそう。そんな私を止めたのも殿下だった。
「私はアティを妃にすることにしたのだ。だからアティは何も考えなくてよい」
 なんですって?
 おかしいわね。なんだか変なことを聞いた気がするわ。おかしいのは殿下の耳じゃなくて私の耳だったのかしら。
「き、きさき?」
「そうだ」
 殿下は真剣に、いかにも深刻そうに頷いた。
「他の者は私を甘やかしてくれた。でもアティは違った。私を勇者にする為に、厳しく接してくれた。アティには何度剣で打ちのめされたことか。でもそれも全ては私を勇者にする為!私の願いを叶える為であったのだ!」
 いえいえいえいえ!!めいっぱい甘やかしましたよ!!帝国の第一皇子殿下に何かあったら大変じゃないの!!剣だってめいっぱい手加減しましたとも!!殿下が剣の稽古でちょとした傷や打撲を負ったのはそれを上回る殿下の剣の不得手ぶりのせいじゃないの!!
 殿下を勇者にする!?とんでもない!!そもそも私は勇者なんて育てられませんって!!
「一時は小さな反発心も抱いたものだ。しかし、他の者にアティ以上の情を抱くこともないのだ。それは何故か?アティこそ私の真の理解者であり、協力者であり、天が私の為に遣わした伴侶だからだ!」
 あー……もう何言ってるかよくわからないです。殿下。殿下には剣の稽古よりも哲学、いや、道徳の授業がもっと必要だったのでは?今からでも遅くないわ。そうよ、これはすぐにでも手を打たないと。帝国が恐ろしいことになるわ。弟殿下が成長されるまでに何か起こったらどうしてくれるの。
 頭が痛い。いっそ倒れてしまいたいわ。
 真の理解者?寧ろ殿下のことなんてほとんどわかりませんって。無茶言わないで下さいな。
「アティ、私の妃はそなた以外に有り得ないのだ。もし父上が他の女を妃にさせようものなら私は僧になるぞ。聖職者になって、一生独身を通しながら、アティと結婚させてくれなかった父上を呪い祟ってやるのだ」
 やーめーてーくーだーさーいー。
 無理。もう本当無理。誰かこの殿下を止めてよ。皇帝陛下に対して何てことを言ってるのよ。自分の父親って言ったって、今や世界に怖いもの無しの帝国の頂点に立つ方よ?あの方がその気になったらこの殿下1人簡単に消してしまうわよ。今までそれをしなかったのが不思議なくらいよ。馬鹿な子程可愛いとかなんとか言ってらしたけど、ちょっとこれは甘やかしすぎたんじゃないの?ええ、盛大に手遅れな感じがするわ。
 がしっと殿下は私の手を両手で包む。
 至近距離で頬を赤らめる殿下を見て、目眩がした。
「アティ。愛している。オブシェルのところに行くなんて言わないでくれ。私にはそなたが必要なのだ」
 唇に柔らかい感触。
 もう駄目だわ。脳がこれ以上考えるのを拒否してしまっている。
 私は考えているどころか起きていることを放棄してその場に倒れてしまった。


*        *        *


 拝啓、親愛なるお父様

 お父様、お元気ですか。
 お母様や妹のリリカも元気ですか。私はとても元気です。
 ツァルク帝国での生活も7年目を迎えました。
 あっという間の7年でしたが、振り返るといろいろな思い出がよみがえります。
 第一皇子殿下にお茶を気に入られたこと。何人かの側室の方々と懇意になれたこと。殿下の剣のお相手を務めるようになったこと。殿下の剣のお相手が難しくなった後、第二皇子殿下の剣のお相手をするようになったこと。王子殿下方から話が伝わり、皇帝陛下の目に止まり、一年の始まりには剣舞を披露するようになって5年にもなること。
 ネルフェスカのことを心配しながらも、わたくしはわたくしの居場所をここで築いてきました。
 でも、そろそろそれも終わりのようです。
 始まりは、殿下の一言でした――――。

 お父様、なんだか大変なことになりました。
 わたくし、いつの間にか第一皇子殿下の妃に内定していました。今も側室ですけれども、殿下ただ一人の妃として――皇子妃として今後は暮らしていかなければならないようです。
 ごめんなさい。今はまだ混乱しているのでこれ以上は書けません。落ち着いたらまた手紙を送ります。
 多分、先に皇帝陛下からの書状が届くと思います。どうか冷静に、よく深呼吸をしてから読んで下さいませ。
 お父様が倒れてしまわれないかとても心配です。

お父様を愛する娘、アティエット

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