殿下に愛をこめて

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  私、側室を卒業します 3  

 コーテアに今後について考えを話した翌日の昼下がり。
 私は後宮と王宮の境目にある東屋にいる。
 コーテアが取り付けてきてくれた約束がこの場所だった。もう少しすれば相手はやってくる。コーテアは外でその人を待っている。話は一対一でするつもりだ。それに向けて気を落ち着かせる。
 帝国に来てから今日までのことに思いを馳せると、いろいろな思い出が甦ってくる。仕える相手が自分より年下の子どもだったことに驚いたこと。年齢以上に幼かったことにもっとびっくりしたこと。殿下にお茶を気に入られ、今も頻繁にその役割を任せてもらえていること。あまりの考えの無さに頭が何度も痛くなったこと。勇者にしてくれと剣を教えるようになったこと。剣の腕があまりに悪く、手加減してるのに何度か軽い怪我をさせてしまったこと。何度かもらった詩があまりに酷く、早く火にくべて歴史に残さないようにしなければと焦ったこと。外国の王族相手に無知をさらけ出して、慌てて側室達で殿下を拉致しに行ったこと。時には皇帝陛下や皇妃様に労いの言葉をいただいたこと。当人はそんなことも知らず、のほほんといつも笑顔だったこと。時々その笑顔に拳を殴りつけたくなったこと。
――――ちょっと待って。私の7年こんなことばかりじゃない。
 側室達と些細な事もあったけれど、それは大抵エミサリル姫との間でのことで、彼女以外で苦労した記憶はほとんど無い。寧ろ、苦労したのは殿下に対するあれこれで――――。
 考えようによっては、その苦労から解放されるということでもあるのよね。
 手の掛かる弟が自立するのを温かく見守ろう。そんな気持ちでいたつもりだった。家族に対する愛情めいたものは持っていて、少しばかり寂しいなんて感じていたけれど、今直面している結婚問題さえ越えてしまえば後は割と平和に暮らせるのではない?そんな期待すら出てくる。
 未来の皇子妃殿下に同情するわ。
 せめて殿下と一緒にいるのが苦でない方が皇子妃になりますように。でも、殿下と同じレベルの姫ではありませんように。あんなのが2人揃ったらこの国はますます駄目になるわ。
 そんなことを思っていると、ドアをノックする音がした。
 来たのね。
 居住まいを正してから、「どうぞ」と返事をする。
 中に入ってきたのは殿下の侍従オブシェルだった。
 4歳年上のオブシェル。彼とは割とよく話す。気も合う方で、殿下についての苦労を幾度となく分かち合ってきた。この帝国の中枢を担う家の出身で、当然ながら彼自身も貴族。現在は侍従だけれど、いずれは殿下の側近としてこの国を支えていく人物だ。取り敢えず、現在妻はいない。細かいことがあったとしても、総合的に考えて自分の相手としに一番ふさわしいのが彼だった。
「話があると伺いましたが」
「お忙しいところ、こちらまでご足労いただいて恐縮です。実は、お願いがあるのです」
「頼み?私に?」
 心当たりが無いオブシェルは何だろうという顔で次の言葉を待っている。
 考えた末のこととはいえ、勇気がいる。恋人でも何でもない人にこんなことを言うだなんて。でも、言わなければ始まらない。
 言うしかないのよ。
「私をあなたの妻にして下さいませんか」
「――――は、それは」
 殿下の突飛な行動や考えに慣れて普段冷静な彼が驚きを隠せないでいる。
 そうよね。わかるわよ。こっちはわかっていながら言ってるのよ。
「あなたは独身でしたよね?想う方がいるなら第二夫人でも構いません。お願いです」
「し、失礼ですが、何故私なのですか」
 彼は混乱している。近年稀に見る慌てっぷりだ。それが少しおかしくて、笑いそうになるのを堪える。
「私が一番信頼できる殿方があなただからです」
 嘘じゃない。私が知っている中で、一番誠実で、信頼できて、結婚してもいいと思ったのがオブシェルなのだから。
「姫の後見人となれという話ではなく、私と結婚、と?」
「後見人になっていただきたかったらあなたのお父上にお話しをします。私も小国とはいえネルフェスカの王族です。未来に血を繋いでいきたいのです。その相手にふさわしい方は、あなたしかいないと思いました」
「私など、恐れ多い。お言葉ですが、姫。王族のあなたにふさわしい方は殿下に他ならないと思いますが?」
「殿下には心に決めた方がいらっしゃるのでしょう?」
 意味のない問いだと言えば、オブシェルは困った顔で口を結んだ。
 嫌、ではなく、困っている。
 そこまで困るということは、意中の相手がいるのかしら。彼であれば、袖を引く女性が何人もいてもおかしくない。そういうことも考えた上で話をしているつもりなのだけど。
「無理ですか」
「無理というか、戸惑っています。どうしてこんなことになっているのか」
「それは殿下が後宮を解体するとおっしゃったからです」
 はっきり言うと彼は手で額を押さえた。
 やっぱり殿下のせいか。
 小さな呟きだったけれど、確かに聞こえた。
 この人も殿下に振り回されてかわいそうだ。でも、だからと言って、そうすぐに諦めたくはない。少し押してこちらに来るのであれば、その程度の努力は惜しまない。
 オブシェルは言葉とも判断できない声で幾らか呟いた後、決心したように額から手を外した。
「あなたの願いはわかりました。わかったつもりです。私もあなたのことは信頼しています。他の姫君方よりは気が合うことも知っています。でも、この場でそうですねとお答えすることはできません」
「それはそうでしょう」
 そこまで人がいいわけじゃない。また、考えなしでもない。
 そんな人だったら相手にと思うわけがないもの。
 けれども、彼が言ったのは意外なことだった。
「殿下の許可をいただいて下さい。殿下が良しとすれば、私はあなたを妻に迎えましょう」
「そんなことでいいのですか?」
 殿下が許可を出さないわけがない。だって、彼は私達に身の振り方を考えろと言ったのだから。オブシェルにしてはあまりに浅い考えに思える。
 これはもう、結婚を認めたも同然だ。
「ええ。殿下の侍従である私が殿下の許可なしに結婚するわけにはいきませんから」
「それはそうでしょう」
 オブシェルがやっと普段の表情に戻る。いつもの、穏やかでいて、物事になかなか動じないあの顔だ。
「明日、殿下をお連れしましょう。そうですね……明日は天気がいいようですから、後宮の庭で茶会ということにしましょう。いつもの時間に準備をしておいて下さい。そこで話をすればいい」
「庭で茶会ですか」
「ええ。そうと決まればすぐに予定に組み込まねば。今日のところはこれで失礼したいと思いますが」
「わかりました。また明日。いつもの時間に」
 東屋を出て行くオブシェルを見送って、自分も外に出る。
 外で待機していたコーテアが首尾を聞いて来た。
「明日、お茶会をすることになったわ」
 簡潔に伝えると、「はい?」とコーテアが目を丸くした。


*        *        *



 部屋に戻ってからコーテアに詳細を話すと「なんだ、そういうことでしたの」と納得しながら新しい本に手を伸ばしている。昨日読んでいた本は無事読み終えたらしい。平和なものね。
「それでしたら、お菓子を手配しなければなりませんねえ」
「焼き菓子がいいわ。殿下は甘いものが大好きだからうんと甘いものと、程々の甘さのものと。5種類くらいあれば充分よ。数はいらないわ。虫歯になると困るから」
「大きな虫歯をこしらえて、城中を歯医者と追いかけっこしたのは2年前のことでしたわね」
「……そんなこともあったわね」
 あの時も大変だった。後宮にまで殿下が逃げ込んできて、でも歯の痛みを訴えるものだから、側室達で協力して後宮の外に締めだしたんだった。既に懐かしいわ。
「そんな殿下がご結婚されるなんて」
「そうね。いつ式を行うのかしら」
 そもそも、結婚のことに関してはどの程度決まっているのかしら。
 自分のことばかりでそちらに気が回らなかったけれど、少し身が軽くなって考える余裕が出て見ればわからないことだらけだ。
 殿下と年の近い側室もいる中で、全くそれらしい話が無かったのに。いつの間に恋なんてしていたのか。色事に関しては意外と要領よくできるタイプだったのかもしれない。それはそれで嬉しい成長だ。何であれ、人間に一つくらい取り柄は必要だもの。殿下にもやっと人並みにできることができたのね。
 相手はどこの人だろう。側室達はみんな後宮を去るのだから、相手はそれ以外になる。国の貴族の娘か、外国の姫君か。
 一体どんな女性なのか気になる。殿下はどんなタイプが好きなのかわからない。外野の身としては、よっぽど器の大きな人でなければ堪えられないと思うのだけれど。殿下も結婚したら案外しっかりしたりして――残念だけれど全く持って想像できない。これは決して私の想像力が乏しいんじゃないわ。ええ、断じて。
「殿下の晴れ姿、見られるかしら」
 あんな殿下だけれど見た目は割といい。正装は一見の価値ありだ。
「叶うと思います?」
「無理ね。実態はともあれ、側室だった女を結婚式に出すなんて」
 非常識だわ。
「殿下ならやりそうな気がしますけどね」
「侍従の妻って立場を考えると可能かもしれないけれど」
 やめておいた方が身の為だ。今後、この国で平和に暮らしていきたいと思ったら。
 殿下はきっと気にしない。でも妃殿下のあらぬ嫉妬を買うのはごめんだもの。自分から火傷をしに行くこともない。
「お相手のことだけでも、明日のお茶会で聞いてみようかしら」
 殿下なら隠さないで答えてくれる。
 話を聞いて、心からのお祝いを言おう。
 そしたら、ここを出て行く支度をして、オブシェルの妻になろう。
「ねえ、コーテア。覚えてる?小さな頃の私の夢」
「なんでしたかしら?」
「花嫁さん」
 我ながら、幼い夢だったけれど。
 あら、とコーテアが笑顔になる。
「ようございましたね。叶うじゃありませんか」
「そうね」
 明日はその一歩だわ。
 どうしても気分が高揚して落ち着かない。
 お父様に書きかけの手紙があったから続きをと思ったけれど、明日の方がいいかとペンを取るのをやめた。
 ここを出て行くということは、もうすぐ殿下とお別れなのね。他の側室達ともお別れ。
 寂しいわ。
 でもそれを声に出すと気持ちが大きくなりそうで、結局黙っていた。
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