美しき日々を目指して


 朝、学校に行くといつもより多くの視線を感じた。
 見られることには慣れている。自分の容姿を自覚している俺には大したことではなかったが、今日に限っては寄こされる視線の種類がぶしつけなものであることを肌で感じ取る。到底気分のいいものではない。
 朝から何なんだ。教室に入った時には既に不機嫌だった。クラスの奴らも意味有りげな視線を送ってくるが不機嫌オーラを全面に出すと大半の奴らが俺から目を背けた。そんな中やってきたのは高岡だった。
「聞いたよ、2年生の子をこっぴどく振ったんだって?」
「こっぴどく?」
「『その程度の顔で俺とつきあいたいとか言われるのは迷惑だ』って言ったらしいじゃん」
「あー、そんなことも言ったかもな」
 なるほど。今日の視線の原因はそれか。
 昨日は昨日で下らない告白に付き合わされて今日は好奇心の的。ふざけんじゃねえよ。注目されるのは好きだけどこういうのはごめんだ。
「やっぱりあれほんとだったんだ。やるなー、お前。多分女子の半分はお前の敵になったぞ」
「別に。雑魚が何騒ごうがどうでもいいし」
「お前、よくそれで友達なくさないよな」
「確実に減ってるけどな」
「おいおい」


 高岡修哉。
 うちのクラスで一番顔がいい奴。一応、俺の親友だ。
 俺も顔には自信がある。ただ、高岡とは系統が違って、高岡は男前で俺は中性的だ。昔は女と間違えられることもあったけれど、女顔だというわけではない。
 ただ、化粧次第ではその辺の女子よりもいい女になれる。更に、男のカッコをしてる俺よりも女のカッコをしている俺の方が断然いけていることに気づいてしまった。


 きっかけは去年の体育祭の時だった。仮装リレーでうちのチームは全員女装することになって、そこで発覚したのだ。それまでは女装なんて考えもしなかったし、欠片も興味なかった。むしろ、体育祭の時だって女装をする直前までは誰よりも嫌がっていた。なのに鏡を見て一気に気持ちが変わった。
 自分の顔がいいことは知っていた。けれども自分が女のカッコをしたらどうなるかなんて想像したこともなかった。まさか、誰もが振り向くような美人――自分でも言葉を失うくらいに――になるとは思ってもみなかった。
 体育祭で俺は全校生徒と保護者の注目を集め、それどころか遊びにきていた卒業生や他校の男に言い寄られるまでの事態になった。男に告白されるのは初めてで気持ち悪かった。でも、人を盲目にさせてしまう自分の魅力にとてつもない快感を覚えたのも事実だった。
 その日以来、俺は自分をより綺麗に見せる為の研究に没頭するようになった。
 本来の自分も、女装の自分もひっくるめて検討した上で出た最初の結論は女のカッコの方がより自分の魅力を引き出せるということだった。それを自覚してしまえば、後は迷うことはなかった。女物の服を買い始め、土日は女装して一人で街に繰り出すことも多くなった。家族は当然拒否反応を示したが全て無視した。その内、家族は俺が女になりたいのではなく女のカッコをするのが好きなだけだとわかると、これも一つの反抗期だろうと諦めた。実際は女装する息子について考えることに疲れただけだと思う。でも俺はどうでもよかった。うるさい声がなくなるのは都合が良かった。
 あくまで女になりたいわけじゃなかった。それでも、女装の自分をすんなりと受け入れていくことに恐怖を感じて自分が性同一障害なんじゃないかと不安になったこともある。でも男を好きになるなんてとても受け入れられなかったし、男の身体を持っていることに嫌悪したこともなかった。むしろ、女の身体になったらと思うとぞっとした。
 結局、俺が好きなのは人より綺麗な自分で、誰もが振り向かずにいられない自分で、自分の持っている魅力を最大限に発揮している自分だった。女装はその手段でしかなく、女装よりも男のカッコの方が俺をより魅力的に見せることができるなら、手持ちの女物の服は躊躇いなく全部捨ててやる。


 秋になると3年生の頭の中にはいつもどこかに受験の二文字が存在している。
「藤見、お前E高第一志望で出したんだって?」
「うん」
「お前らしいっつーかなんてゆーか」
「だろ?」
 E高はこの辺で唯一制服の無い高校だ。規則もゆるいと有名で、夏に学校見学に行ったらそれは見事だった。まともな人が圧倒的に多いのだが、中には奇抜なファッションをしている奴もいて。Tシャツにハーフパンツでくつろいでいる奴もいるかと思えば、ホストかと見紛うような奴もいた。女も似たり寄ったりで、地味なのもいれば、どこぞのギャルだOLだと言いたくなるようなのもいた。その自由な校風に惹かれる中学生は多く、倍率は少し高め。でも偏差値は平均的なので忍にしてみればこれ以上理想的な学校はなかった。全員が同じ制服を着る中で、いかに自分の存在を光らせるかを追求するのも悪くは無い。でも、それよりももっと自分を磨ける場所があるのに、それを選ばない手はない。
「で、なに?好きなカッコすんの?」
 俺のことをよく知ってる高岡は俺の未来図を脳裏に描いたらしい。にやりと笑ってみせた。それは決していやらしいものではなく、同じ秘密を共有する仲間がそっと交わす意味ありげな視線のようなもので。俺が女のカッコをすることを唯一知っている友人は、それを楽しんで笑うことはあっても決して馬鹿にしたりしない。そういうところがまた男前で、羨ましくもある。そういう包容力に女は弱い、と思う。
「もちろん、そのつもり」
「おー。入学式とか気合い入れてくんだろうな。写メしろよ。お前がどんだけ化けるか楽しみだ」
「まだ受けてもいないのに入学式の話か。気が早いな、高岡」
「だってお前、落ちるつもりはさらさらないだろ」
「そりゃ頑張るよ」
「お前の場合は、英語を何とかしろよ。他はそこそこなんだからさ」
「わかってるって」
 英語なんて嫌いだ。もう生理的に受け付けないと言ってもいいくらいわけがわからない。英語のプリントを一枚やるくらいなら数学のプリントを三枚やる方がいい。それでも受験生となれば英語を無視するわけにいかない。
「取り敢えずよく出る単語から教えてくれないか、高岡」
「……自分でやれよ」
「仕方ない。山ちゃんに聞くか」
 英語担当の山川の顔を思い浮かべる。あまり頼りたくはないけど目的の為には仕方ない。
 せいぜい役に立ってもらおうか。
 俺は不遜なことを考えながらにやりと笑った。


 四月。
 満開の桜があちこちで見られるようになった頃、俺は新しいスーツに身を包んだ。
 制服でないのは見事志望校のE高に受かったからで、入学式から早速完全装備で向かった。女物のスーツに完全メイク、元々男にしては少し長めだった髪は結べるくらいになった。先日亜麻色に染めた髪を軽く結ってワンポイントの飾りをつけた。
 数日前から両親と喧嘩していた。今朝も喧嘩して出てきた。入学式には親は来ない。母は泣いていたがどうでもいい。俺としては自分の一番いい姿でスタートを切りたいだけだ。そもそもE高に入ったのはこの為だ。誰が何と言おうと変えるつもりはない。
 辿り着いた学校ではスーツ姿の新入生がたくさんいた。クラスを確認して体育館に向かう最中、いかにも軽そうな男が声をかけてきた。
「ねえねえ、何組?名前教えてよ」
「俺、男に興味ないから」
 スパッと言うと相手は固まった。その様子が面白くて笑いを堪えるのが少し大変だった。
 そうだろ。あまりに綺麗すぎて男だと思わなかったんだろ?そしてこのカッコがはまりすぎてるってわけだ。
 自分の完璧な装いに拍手を贈りたくなった。男に声をかけられるのは気持ち悪いが手応えとしては悪くない。
 体育館に着くとクラスごとに並ぶように言われた。既に並んでいる奴らもいればうろうろしている奴もいる。俺は自分のクラスの列に向かいながら周囲の観察をする。
 どいつもこいつもイマイチだな。
 特に女。化粧で誤魔化してる奴も沢山いるけれど、元が大したことないのがバレバレだ。やっぱり俺が一番綺麗だ。
 こういう学校なら少しは見られるのがいるんじゃないかと期待してたのに残念だ。
 まあいい。取り敢えず、孤立しない程度に人間関係は作っておかないといざって時に困る。男でも女でもいい。高岡程でなくても、そこそこ無難なところで選んで――。
 まずは誰かに目星をつけようとキョロキョロしていると、隣を女の子が通り過ぎて行った。彼女は俺のクラスの後ろの方で足を止めた。そして辺りを見回している。その顔を見て息を飲んだ。
 可愛い子もいるんだな。
 茶色のストレートヘアに、黒いスーツを着こなして。不安そうに周りの人間を見ている。
 もっと堂々としていればいいのに。
 このクラスの中じゃダントツに可愛い。
 あの子なんかいいかもな。
 自分があの子と一緒にいるところを想像してみる。うん、ビジュアル的にもいい感じだ。向こうも可愛いから引き立て役にはならないけど、こっちは綺麗系で向こうは可愛い系だから全然問題ない。きちんと住み分けできそうだから対抗心も起こらない。ライバルにはならないだろう。寧ろ、彼女と一緒にいることでより自分が魅力的に見える気がする。
 決めた。
 彼女の隣に行き、声をかける。
「ねえ」
 俺を見た彼女は、目を丸くした。
「3組?」
「え……う、うん」
 驚きと戸惑いを隠せない彼女の反応も可愛かった。なんだか小動物みたいだ。
「俺も3組。藤見忍っていうんだ。よろしく」
 にっこりと笑うと、彼女はぽけっとした顔になった。研究し尽くされた笑顔に彼女も類に違わず魅了されている。うん、そうだろ。俺って綺麗だろ?
「男?」
「うん、そう。正真正銘の男。でもこれ似会うでしょ?」
「……すごく」
「ありがと。だからしてるだけ。変な趣味はないから安心して」
 あ、これは言わない方がよかったかな。逆にひいてる気がする。それじゃ困る。君には俺の友達になってもらうんだから。
「名前教えて?」
 ついさっき見知らぬナンパ野郎に言われた言葉と同じになったのがなんだったけれど、ここはストレートに尋ねる。彼女は自分が名乗っていないことに気づいて「あ」と口元を覆った。
「吉野香織です。よろしくお願いします」
 綺麗な名前だ。苗字が少し名前っぽいのがいいかもしれない。でもやっぱりここは名前かな。香織、香織ちゃん。うん、可愛い。
「敬語なんていいよ、香織ちゃん」
「え?う、うん」
「それから俺のことも忍って呼んで」
「忍君?」
 ん、それも悪くないかも。でも。
「呼び捨てで」
「し、忍?」
「うん、そう」
 香織ちゃんは少し困っているようだ。不安いっぱいでやってきた入学式で絶世の美女かと思う男に話しかけられればちょっと混乱するのも当然かもしれない。でもよかったね、香織ちゃん。普通のヤローの気持ち悪い女装と違って俺のは極上の自己表現だから。滅多にお目にかかれない美人だから一緒にいても気持ち悪くなることなんて絶対にない。香織ちゃんもそれだけ可愛いんだから変にレベルの低い女といることはない。俺と一緒にいた方がいいって。
「これから仲良くしようね、香織ちゃん」
 雑魚ばっかりの中で見つけた大物。 
 高校生活は結構期待できるかもしれない。
 自分を磨きに磨いて、可愛い子と仲良くクラスメートなんてなかなかいいと思う。
 まずは入学式が終わった後に2人のスーツ姿を撮ろう。
 今日の上出来な俺と香織ちゃんの組み合わせはきっと絵になるに違いない。



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