小さな村の診療所

ススム | モクジ

  秋 1  

 木々が色づき、日が温かく、風が涼しい季節になった。
 近頃診療所を訪れる人々は手土産にきのこや栗を持ってくることが多い。穏やかな気候のお陰か体調を崩す人も少なく診療所の秋はのんびりと過ぎつつあった。
「今日は定期検診だけですね」
「皆健康で結構なことだ。俺達もこうしてゆっくりしてられるしね」
 まだ日が高い内だというのにもう患者の足が途絶えてしまった。それをいいことにディーンとサリーは滅多に無いお茶の時間を楽しんでいる。軽くつまめる物としてもらったばかりの茹でた栗がいい味を出している。とろけるようなサリーの表情にディーンは優しい眼差しを注いだ。
「美味いな」
「はい。本当に。町で食べてたのより断然美味しい!こんなに違うなんて」
「ここの土は栄養がたっぷりあるんだろうな。野菜もそうだけど、町よりもずっといい」
「そうですね。私、ここに来てよかったー」
 感激ですとばかりに頬張るサリーは幸せ真っただ中だ。
 そんなサリーだが、村の老人達の間で最近綺麗になったと専らの評判だ。夏にあった肌の荒れが治まり、髪も以前に比べると大分落ち着いている。イオネのお陰だとサリーは喜んでいる。ディーンの妹である薬師イオネが調合した化粧水と髪の美容液がサリーに合っていたようで、じわじわとその効果を現してきた。イオネに言われて生活習慣改善に素直に取り組んでいることもあり、最近は弁当も最低三種類の味が入るようになっていた。料理の方は相変わらずだが、それでもここに来た当初よりは断然ましだ。それを好ましく思うのは医師としても上司としても当然のことだとディーンは思う。
「おじいちゃんおばあちゃん達は優しい人ばかりだし、若い人達も気さくだし。この間はチェルシーさんのところで夕飯に呼んでもらったんですよ。これがまた、チェルシーさんの料理が美味しくて!ハンスさんってばあんなお嫁さんをもらえて幸せですね!なんか羨ましいです」
「……羨ましいって、サリーが奥さんを貰うことはないんじゃないかな」
「んー、それはそうですけど。ご飯が美味しいって幸せへの第一歩ですよ。美味しいもの食べると肌にもいいし」
「それは語弊だ。バランスもよくないとな」
「わかってますって」
 口では拗ねてみせながらも顔は楽しそうだ。サリーのこういうところはとても気が楽だ。若い看護婦にはもっと気を使うかと思っていたディーンだったが、この辺りは嬉しい誤算だ。当初年輩の看護婦を希望していた理由はそこにもある。できれば看護婦との関係には神経を使いたくない。それもあって面倒くさそうな若い看護婦は避けたかったのだが、サリーにそんな煩わしさを感じたのはここまでのところほとんどなかった。本当に集中したいことに集中できるこの環境がありがたい。
 でも、それも春までだ。春になったら赴任期限の4年になる。そしたら新しい赴任先に移る。精神的に安定した今の生活から離れなければならないのは正直億劫だ。でも医者という職業柄仕方ない。自分で開業するまではずっとあちこちに異動する生活だ。
 この村で過ごす最後の秋。けれどもディーンには実感が湧かなかった。特に大きなこともなく、比較的のんびりとしたこの村での時間がずっと続いていくような気がして、数ヶ月先のことすらまだまだ遠いことのようで。大きな波もなく秋も終えて行くのだろうか。そんなことを考えていた時。
「おーい、先生!祭りの打ち合わせに来たぞ!」
 窓の外から若い農夫がひょっこりと顔を出した。サリーは少しだけ目をパチパチとさせたが、すぐににっこり笑った。
「こんにちは、ハンスさん。お祭りがあるんですか?」
「おう。村の一大イベント、収穫祭さ!今年はゆっくりしててもう3週間前になっちまったから大急ぎで準備しなきゃなんねえんだよ。先生やサリーちゃんにも手伝ってもらうからな!今年も頼むぜ!先生!」
 同年代の青年の日に焼けた陽気な笑顔にディーンは額を手で覆った。
「……そう言えばそうだった」
 忘れていた。穏やかなこの村が一番熱気に包まれるあの祭りを。
 この秋も忙しくなりそうだ。
 いつの間にか診療所の中に入っていたハンスは準備の日程表が書かれた紙をディーンとサリーに配る。それを見るといつ、どこで、誰が、何をするのかがみっちり書かれている。
「へー、結構色んな準備があるんですね。あ、私の名前も入ってる」
「当然だろ。この村にいる人間はみんな参加者だからな。寝たきりのじいさんばあさんにだって分担があるんだぜ。元気な俺らが頑張らなくてどうするよ。っても、女衆は内職ばかりだけどな。男衆は木を切ってきたり、祭壇を組み立てたり、小屋を造ったり、主に力仕事。先生とサリーちゃんには、当日は救護班を頼むよ。まあ、調子悪くするやつなんて滅多にいないから、一緒に楽しんでくれよ」
「はい。是非そうさせてもらいますね」
 サリーが元気に応えると、ハンスは祭りの主旨や主なイベントについて説明していく。ディーンは適当に相槌を打ちながら去年と同じだなと流していく。
 二日間の祭りは前夜祭から始まり、二日目が大祭となる。午前中に村の祈祷師が儀式を執り行い、その後は幾つかの催し物が続き、採れたての食材を使った食事がふるまわれ、夜には火を囲んで踊り、幕を閉じる。それだけ聞くとありふれた祭りのようにしか感じられないが、なにしろここは小さな村だ、労働力が少ない分準備が大変だ。ディーンは祭りの前後は慣れない力仕事でしばらく筋肉痛から逃れられなかった思い出がある。
 そうとは知らないサリーは「楽しそうですね」と瞳を輝かせているが、女性は特別力が必要なわけではないからディーンの辛さはサリーには無縁なのだろう。そう考えると不公平だ。だがそれをぶつける程大人げないわけでもない。
 どうせ今年で最後だ。そう思えばこそ妥協できる。妥協しなければいけない。自分にそう言い聞かせていると、ハンスがにやにやしながらディーンの腕をつついた。
「サリーちゃんにいいとこ見せるチャンスだぜ」
 またか。
 ディーンは「お前もか」と返す。患者の老人達を起点として湧きだしたこの話はいまや村中に広まっていた。老若男女構わずこのネタに食いついてくるものだから最初こそうんざりしたものの、半年以上経つ今、ディーンもサリーも慣れてしまって軽く流すに留めている。最初こそサリーに醜聞がついては悪いと色々言い返したものだが、村人達に悪気はなく、しつこい人間もいなかった。なにしろ当のサリーが冗談として見事に受け流していたのでディーンが一人騒ぐ必要もないだろうと今の形に落ち着いている。だが、老人はともかく、年が近い人間から言われると鬱陶しさが増すのは一体どういうことだろう。
「人のことばっかりかまってると、嫁さんに見放されるぞ」
「心配いらねーよ。うちのはサリーちゃんが妹みたいで可愛くてしょうがないからな。サリーちゃんを泣かせたら二人揃って殴りに来るからな。うちのかみさんのパンチはすごいぜー。顔の腫れが半月くらいひかなかったこともあったしな」
 はっはっはと豪快に笑うハンスに「何したんだよ」と零すがハンスは笑ったまま「じゃあ、よろしくな」と言って帰っていってしまった。
「うーん、流石はジェニー姉さん」
 サリーはハンスの嫁の勇ましい話にすっかり感心している。
 そこは見習うべきところじゃないと声に出すか出さないか僅かに迷った末、ディーンは首を振って時計を見た。そろそろ予約している患者が来る頃だ。
「サリー、準備をしよう」
 仕事だと声を掛けるとサリーはのほほんとしていた表情をきりっとさせ、「はい」と立ち上がった。てきぱきと机の上を片づけて薬のチェックに行く後ろ姿は実に頼もしい。ディーンは口元に微笑を浮かべてその背中を見送った。
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