小さな村の診療所

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  夏 2  

 イオネに会うのは彼女の結婚式以来だ。ほぼ一年ぶり。どことなく以前と違う雰囲気を感じて、ディーンは戸惑った。しかし、それ以上に大きな問題がある。
「突然どうしたんだ。まさか、旦那とケンカでもして飛び出してきたんじゃないだろうな」
「まさか」
 不幸な可能性を一笑したイオネは足下に大量に置かれた荷物を指した。
「前に手紙で頼まれたものを持ってきたの。ついでに、他の薬もいろいろ。欲しいのがあったら格安で提供するわ。この時期に必要な薬から、冬までとっておきたい薬まで。損はさせないつもりよ?」
 どう?と自信に溢れた眼差しをイオネが向ける。エンイストンの領主にお抱え薬師として雇われている彼女の薬はどんな薬よりも信頼できる。本人もそれを自覚していた。
 この時期に必要な薬。
 その言葉を反芻し、ディーンは反射的に尋ねていた。
「風邪薬はあるか?夏風邪の」
 するとイオネは心外だと言うように眉を顰めた。
「もちろん」
 それを聞いた瞬間、救いの神がきた、と思った。まさかこんなタイミングでやって来るとは。感謝してもしきれない。
「入ってくれ。続きは茶でも飲みながらしよう。ああ、荷物は俺が入れるよ」
 ディーンはイオネの荷物に手をかける。そこでイオネが「あら」と声を漏らした。
「看護婦さん、変わったの?」
 ディーンはサリーの存在をすっかり忘れていたことに気づく。イオネの来訪に驚いて失念していた。
「ああ。モーリス夫人がぎっくり腰になってしまってね。サリー、薬師のイオネだ。イオネ、春からここで働いてもらってるサリー」
「サリー・ホワイトです」
「イオネ・ハワードです。アルモンドで薬師をしています。よろしくね」
 戸惑いながら挨拶をするサリーとは対称的にイオネは柔らかい表情だ。
「地元の方?」
「いえ。出身はライーズです。ついこの間までそこで働いていました」
「まあ、結構な町ね。それじゃあこの村にきて色々と大変だったでしょう?」
「それほどでも。皆さん、いい方達ばかりですし。お裾分けなんかももらえるし。のんびりしてるのも平和でいいですよ」
「そう。なら良かった」
 町育ちの若い女性が辺鄙な農村に赴任する辛さを考えたのか、思いの外明るいサリーの言葉にイオネは安心したようだ。もしイオネがここに飛ばされるようなことがあれば、猛反発するかもしれない。満足な施設もなく、珍しい薬草も見当たらないこの地では本当に一般的な薬しか作れない。材料を仕入れるのにも一苦労だ。ありとあらゆる薬草や毒草を扱い、薬を作り出すことに喜びを感じるイオネには耐えられないに違いない。現に、以前来た時に言っていた。
『――私だったら一週間もたない』
 ディーンはこんなところに飛ばされて平気なの?
 今でも覚えている。あの時、真っ直ぐ向けられた瞳には同情が溢れていた。エンイストン地方で一番の街であるアルモンドで生活するイオネには到底耐えられない異動だった。
『4年の辛抱だ』
 農村への異動は不便だと思ったが、どうしても嫌だというわけでもなかった。患者がいるところに医者は行くべきだし、どんな場所でもそれは保証されなければならない。必要とされている場所に行くことに躊躇いはなかった。だからといって、一生この村で生活しろと言われたら頷くことはできない。予め任期は4年と定められていたからこその心の持ちようだった。――丁度、今年が4年目になる。冬が終わり、春になれば新しい土地に移ることになっている。それがどこかはまだわからないが、希望は規模の大きな町で出すつもりだ。常に新しい知識や技術を身につけられる場所がいい。そういう意味では、この村は心もとなさ過ぎる。
 サリーはああ言っているが、少なからず彼女も不都合を感じているはずだ。残念ながら、それは次の異動まで解決されることはないだろう。
「サリー、お茶を頼んでいいかな」
「はい」
 サリーがお茶の準備をする為に給湯室に姿を消すと、イオネはようやく荷物に手をつけた。開封し、大小さまざま、色とりどりの袋が机の上に並べられていく。
「夏風邪の薬はこれ。たくさん持ってきておいてよかった。新しい薬なんだけど、分量はいつもの3分の2でいいの。効くわよ。でも効きすぎたら困るような人にはこっちがおすすめ。ほとんど栄養剤のようなものなんだけど」
 成分表と説明書を渡され、それを見ながら説明を聞いていく。頭の中で欲しいものと保留にするものを分けていると、サリーが帰ってきてイオネにお茶を出した。それに二人で感謝すると、サリーは一瞬微妙な顔をした。どうしたのかと思ったところで、サリーの視線は薬に落ち、驚きの表情でいっぱいになる。
「これ、イオネさんが?」
「ええ。薬師ですから。薬を作るのが仕事ですもの」
「まだお若いですよね。どちらのお店に?」
「――薬師の中では若い方ね。今は店に勤めてるわけじゃなくて、大きなお屋敷のお抱え薬師にしてもらっているの。施設も整っているから研究も十分にさせてもらってる」
「すごいですね」
「運が良かっただけです。人生は物事の巡り合わせ――最近は特にそう思うの」
 イオネはそう言いながらどこか遠くを見ているようだった。その眼差しが優しげに変化するのを見てディーンは「おや」と思った。しかしイオネはサリーが不審に思う前に視線を戻して微笑みかける。
「若い女で心許なく思われるかしら?でも安心して。腕には自信があるの」
 24歳でロレンス家の臨時顧問薬師という立場では腕を疑われることも多いらしい。女だからと侮られることも少なくない。アルモンドは領主の奥方からして活動的なので最近はそれでも働く女性に対する見方が変わってきたらしいが、地方ではまだまだ難しい。看護婦という女性に限られた職業は別として、薬師と言えば圧倒的に男が多い。その辺をイオネが心配したのか、それとも経験上から必要な説明だと思ったのかはわからない。けれどもサリーに懸念を抱かせるのは避けたいと思う。
「本当だよ、サリー。俺が言うのもなんだけど、イオネは俺が知ってる薬師の中で一番信用できる」
「先生が言うことを疑ったりしませんよ。そういうところはしっかりしてますから」
「あら、意外といい先生やってるみたいね」
 イオネがクスッと笑う。微笑ましく思っているというよりは、面白がっている。もしかしたらサリーとの仲を勘繰られているのかもしれないと考えたらディーンの頭が痛くなった。



 イオネを伴って帰宅したディーンは妹をもてなすどころか彼女に夜食をつくってもらう羽目になった。一人暮らしが長いディーンも一応料理くらい作れるが、それでもまだ自分が作る方がましだとイオネが言い張り、厨房を乗っ取られた。そんなに時間をかけずに出てきた料理はごくありきたりなものだったが、イオネの言い分が正しいと納得できるものだった。
「料理はしているのか」
「いいえ、あまりね。ほとんどお手伝いさん任せなの。休みの日くらいかな。平日の朝の分はお手伝いさんが前日に仕込みをしていてくれるから、大したことはしていないし。お陰で全く上手にならなくて」
「さすがハワード家だな。お手伝いさんなんて俺には一生縁がないぞ」
「そう?意外といいところのお嬢様をお嫁さんにもらうかもしれないわよ」
「やだね。俺の苦手な人種じゃないか」
 何かをしてもらうのが当たり前。人から与えられることを何とも思わないような奴らは嫌いだ。うまくやっていけないと最初からわかっているような相手は絶対に選ばない。万が一押しつけられるようなことになっても何とかして逃げるつもりだ。
 しかし、とディーンは考える。
 目の前で温かいスープを飲んでくつろいだ表情をしているイオネは領主に押しつけられた夫と暮らしているのだ。時々交わす手紙の中では上手くやっていると言っていたが、実際のところどうなのか。ストレスを感じているようには見えないが。
「ルイス・ハワードとはどうなんだ」
「いい関係よ」
 即答だった。あまりに速すぎて、逆に疑いそうになった。けれどもイオネはディーンの懸念を吹き飛ばすように微笑んだ。
「最初は困ったこともあったけれど、ルイスのことを知っていく内に変わっていったの。私はルイスを愛しているし、ルイスも私を愛してくれている。とても大事な人よ」
 言葉の端々にルイスへの想いが溢れている声に、ディーンは自分の考えていたことが杞憂だったとわかり安堵した。
「それならいいんだ。よかったな」
 なんだ。なるようになってるんじゃないか。
 滅多に会わないとはいえ、イオネはかけがえのない家族だ。もし彼女が不幸になるようなことがあれば、ルイスも領主も許さなかった。
「心配してくれていたのね、ありがとう。でも私は幸せだから大丈夫。だからってわけじゃないけれど、ディーンにもそういう人が早く現れるといいと思ってる」
 勘違いしないで。早く結婚しろって言ってるわけじゃないの。
 そうつけ加えられてディーンは苦笑した。
「まだまだ先の話だな」
「そうなの?サリーなんか結構気に入りそうな感じだと思ったけれど」
「そうかな」
 曖昧な答えに対してイオネは意味ありげに目を細めた。しばらく無言だったが、「まあ、いいわ」と話題を両親のことに変えた。ディーンはそれに応じつつ、イオネの鋭さに苦い気持ちになった。
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