小さな村の診療所

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  夏 1  

 サリーがやってきて3ヶ月。日々強くなる日射しに耐えながら今日も村人達は働いていた。村の主産業である農業に休みは無し。太陽の恵みに感謝しながら、けれどジリジリ体力を奪う陽光に舌打ちしながら、今日も仕事に励む。しかし体力のない老人や働き過ぎの農夫などは体調を崩すことも多く、直射日光の下ではないが、診療所は今日も患者で賑わっていた。
「夏バテですね。水分をたくさんとって、栄養のつくものを食べて、寝てて下さい。今日一日は働いたらだめですよ」
 そんな診断をここ数日で何十件しただろうか。
 すっかり定型文と化したその言葉を寝言でも言っていそうで時々怖くなる。常連は常連でいるのだが――人が集まれば室内の温度も上がる。その熱気にこちらまであてられそうで、気を抜いてはいけないと自分に言い聞かせた。



 夕方になり、患者がいなくなった診療所でディーンとサリーはぐったりと伸びていた。二人して別々の机に上半身を委ねている。
「やっと終わりましたね」
「ああ」
「お昼、抜きでしたね」
「ああ」
「流石に食べられませんよね、もう」
「やめてくれ。俺の仕事が増える」
 だるさを訴える体にむちを打ち、ディーンは体を起こす。その音にサリーものろのろと顔を上げた。
「だって、楽しみにしてたのに。サンドイッチ……」
「毎日食べてるじゃないか」
「でも今日は食べられなかったんですよ」
 本気で残念がっている声にディーンは呆れながら椅子に背を預ける。天井を仰ぎながら、でもそれは俺の昼食なんだけどな、と息をついた。
 実は、以前サリーにサンドイッチを分けたことがきっかけで、毎回昼食時にはサンドイッチ一つとサリーの弁当を少し交換するようになった。サリーがサンドイッチを物欲しそうに見るから、無視することができなかった。それだけなのだけれど。まあ、彼女の食事のバランスを少しでも補えるのだから、とそれでディーンは納得していたのだが、サリーにとってはかなりの楽しみだったらしい。喜んでいることは知っていた。毎回、「ありがとうございます」と心からの笑顔でサンドイッチを受け取っていたから。大した工夫もしてない普通のサンドイッチをそれは美味しそうに頬張るサリーは少しだけ哀れで、でも見ていると胸が温かくなった。しかし、残念ながら今日は昼食どころではなかったし、この時期に長時間放っておいた食べ物が食べられるはずもない。もったいないが、捨てるしかないだろう。
 とにかく、今日は早く帰って食事だ。そしたら、汗を流して、すぐに睡眠。そうでもないと体がついていかない。
「さっさと片づけして帰るぞ。明日も忙しくなる」
「そうですね」
 サリーがむくりと体を起こして辺りの片づけを始め出す。ディーンは薬品棚に目を走らせる。引き出しの中にしまった薬も一つ一つチェックをしていくと、何種類かの薬がそろそろ切れそうなことに気づいた。この間の休診日の時には大丈夫だった。つまり、ここ数日の間に大量に出たということで。案の定、それらは夏風邪用の薬ばかりだった。
「そろそろ買わないとな」
「十分準備してたと思ったんですけどね。予想以上に多いですね、夏風邪の人達」
「先週、一回冷えたからな。そこで体調を崩したんだろう。仕方ない。注文書を送らないと」
 便箋とペンを取り出し、必要な薬と数を書いていく。明日にでも薬屋に送らなければ間に合わないかもしれない。今後のことも考えて、他の薬もつけ足していく。結構な値段になるが、仕事の為だ、仕方がない。




 結局、薬はなんとか持った。明日はいよいよ休診日という夜、一週間の疲れにぐたっとなっていたディーンとサリーは明後日の為に薬の確認をしていく。
「ギリギリ持ったけど、なくなっちゃいましたね」
 風邪薬の引き出しを空けたサリーがため息をつく。薬屋に注文はしたが、まだ届いていなかった。頼んだ日から数える限り、明日あたり届いてもいい頃だ。でもどうだろうか。
「明日、薬屋に行ってくる。その方が確実だろう」
「ご一緒します?」
「いや、いいよ」
「荷物運びのお手伝いくらいならできますけど」
「心配しなくていいよ。俺の仕事だし。サリーはゆっくり休め。今週は疲れただろう?」
「それなら先生だって――」
 それ以上言うな、とディーンはサリーの口元ぎりぎりに手をかざす。
 この暑い中、女に荷物運びなんてさせられない。薬とはいえ、たくさんあればかなりの重さになる。今のところサリーの体力に問題はないが、いつ夏バテになってもおかしくない。ここ連日の暑さはそれだけ酷なものだった。
 サリーは文句があるのか、気難しい顔で黙ってしまう。
 自分だってすごく疲れているのに、そういう言い方はないでしょう。
 そんな声が聞こえてくるようだ。ディーンは目で笑うと、新たに必要となった薬のメモを取り始める。すぐに必要なものと、後から送ってもらえばいいものを書き分けていると、馬が走る足音とガラガラという車の音が聞こえてきた。
「馬車?」
 サリーが顔を上げて不思議そうに窓の外に目を遣る。訝しむのも無理はなかった。この村には農作業用の馬車こそあれど、人を運ぶ馬車はない。それなのに今聞こえてくるのは農作業用の馬車ではなかった。とすると、近くの町からやってきた馬車ということになる。
「薬屋さん?」
「残念だけどそれはないな。あの薬屋は夜に来ないから。村長に用がある誰かだろうね」
 そう言って流したディーンだったが、馬車の音はどんどん近づいてきて、診療所の傍で止まった。
「うちに客?」
 来訪者の心当たりはない。
 けれども、玄関からコンコンとノックが響く。紛れもなくここに用がある人間がいるのだとディーンとサリーは顔を見合わせた。
 一歩踏み出したサリーを止め、ディーンが扉を開ける。身に覚えのない来客だ。もしものことがあったら困る。しかし、そこにいたのは身に覚えのないどころかよく見知った顔だった。
 栗色の真っ直ぐな髪を綺麗に結い、背を真っ直ぐに伸ばした立ち姿。足下に大荷物を置いた彼女はディーンを見ると微笑みを浮かべた。
「久しぶりね。ディーン」
「イオネ」
 思いがけない来客は、一年ぶりに会うディーンの妹イオネだった。
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