小さな村の診療所

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  春 3  

 村の小さな診療所はいつも治療に来る人々で賑わっている。しかし、そんな診療所にも休診日くらいはある。週に一度、診療所の整理や薬の買い出し、それからもちろんディーンの休養も兼ねて日を空けている。急患があれば対応はするが、それは滅多に無い。
 今日は丁度休診日で、ディーンは午前中に診療所の整理をしたら、午後はゆっくり休もうと決めていた。だから白衣は着ている
ものの、その下は普段とは違いラフな格好だ。視線をすいと動かせば、同じようにいつもとは違う服装のサリーが書類を整理している。普段は以前勤めていた大病院の制服――灰色の服にエプロン――を身につけているが、今日は年頃の娘らしく水色の生地がディーンには新鮮だった。但し、今日も相変わらずすっぴん、髪はちりちりでくるくるだった。休日だから出てくる時間もいつもより遅いのに、髪がいつもより酷いのはギリギリまで寝ていたからだという。朝食も食べていないとサリーは当たり前のように言った。聞けば聞くほどルーズな彼女の生活は医者としても男としても少し怖いものがあるが、そこに踏み込んでいいものか考えあぐねている。サリーと一月ほど働いているが、なにしろ彼女との会話の九割は仕事のことなので、まだまだ知らないことが多かった。彼女の嗜好、趣味、家族構成――。
 そこまで考えてふと気づく。カレンダーは既に5月を開いている。きっとすぐに夏が来る。
「サリー、帰省予定があったら早めに言ってくれよ」
「もうそんな話ですか?」
 ファイルをパタンと閉じたサリーは意外そうな顔をした。そして、片づけが終わったことを報告する。ディーンの方も切りがいいところだったので、座って話をしようと待合室に誘い出す。
「そんなに先のことでもないよ。気がついたらいつの間にか夏になってる。帰るつもりなら、早い内に予定を教えてもらわないと。仕事を調整したいから」
「先生も帰省するんですか?」
「いや。俺はしないよ。帰ったところで両親も働いてるし、することもない。せいぜい、身を固めろって言われて嫌な思いをするだけだしね」
「それは確かに帰りたくないですね」
 サリーが僅かに眉を顰める。ディーンはそれに頷いてみせた。
 三十路を目の前にして、ここのところ両親の気がそちらにばかり向いている。久しぶりに顔を合わせても、手紙でも、必ず出てくる一言だ。少し前まではそんなに言われなかったのに、妹が結婚してからやけにうるさくなった。煩わしい思いをするとわかっていてわざわざ帰ることもない。
「私もあまり帰る気はしないんですけど、向こうはどうかな。多分帰れって言うと思うので、聞いてみます」
 そう言うサリーはかなり気乗りがしないようだ。逸らした視線がやけにつまらなそうだった。
 聞いていいものか、放っておこうか考えていると、サリーの方から切り出した。
「私もね、言われるんです。3人姉妹の末っ子で、姉達はもう結婚してしまったし。私も22歳だし。このままじゃ行き遅れになるって。でも、無いものは仕方ないじゃないですか。うちの両親、学校の先生なんです。だから常識とかそういうのにうるさくて」
「それは大変そうだな」
 その割には、基本的な生活習慣が乱れているのが不思議だ。まあ、そこは置いておくにしても、女性で22歳といったら結婚適齢期だ。二十代後半になれば行き遅れと指を指されるこのご時世。普通の親でも必死になってくるのに、学校の先生ともなればそりゃあうるさいだろう。想像しただけでサリーに同情できる。
「本当ですよ。ちゃんと化粧しろ、髪をとかせ、料理も覚えろ、掃除しろって。もうね、まんま先生なんです。仕方ないじゃないですか、化粧って面倒だし、肌荒れもなかなか治らないし。髪に至ってはこういうふうに産んだ親が悪いって言いたくなるんですけど。本当に大変なんですよ。昔は頑張ったけど、何やってもだめだったし」
 私だって全く努力してないわけじゃないんですよと訴えられ、ディーンは相づちを打つ。親への文句を言っているだけなのに、どことなく可愛く思えるのは普段身なりに無頓着なサリーの意外な一面を見たからだろうか。多少子どもっぽくはあるが、こういう方が女の子らしくていいような気がする。
「女の人は大変だよね」
「そうなんですよ。母だってわからないわけじゃないと思うのに。でもね、私の癖っ毛って、父に似てるんですよ。母と姉達はちょっと癖があるくらいで。でも全然酷くないんです。これって、あんまりだと思いません?」
「ああ、うん」
「って、先生はサラサラだからわかりませんよね」
 拗ねるサリーにかける言葉が見つからなくてディーンは苦笑する。確かに、自分と彼女の髪は対照的だ。
 ディーンは直毛の家系に生まれていて、ザッと思い出す限り癖に困っている人は特にいなかった。母はサラサラの髪をよく人から羨ましがられていて、ディーンもその血をうまいこと受け継いでいる。髪質を女性に誉められたことも何度かある。どうでもよく思っていたが、サリーには深刻な問題らしい。 
「美容師に相談してみたらどうかな」
「しました。実家にいる頃は多少それで落ち着いてたんですけど、こっちは腕のいい美容師さんはいないみたいですし」
 実はここに来たばかりの時に近所の奥さんに聞いてみたんですけどね、とサリーは遠い目をする。確かに、この村には美容師と言えるような人はいない。器用な人が農業の傍ら、人に頼まれて髪を切っている程度だ。整えることはできても、癖毛をどうにかできる技術はないだろう。それは彼女にとっては思いの外深刻なことなのかもしれない。
 美容師はいない。他に、彼女ができること――その手助けになれそうなものに心当たりがないわけではなかったが、確信のないまま口にしてはいけないような気がする。
「難しいね」
「……全く」
 サリーはぶすっとしたまま答える。しかしそれが嫌にならないのは、いつもより表情が出てるからだろう。仕事で患者と接する時は笑顔を浮かべている。それはとても明るくて、患者達の心を温めてくれる。前任のモーリス夫人の和やかな笑顔も良かったが、サリーにはモーリス夫人には出せない若さがある。看護婦らしく優しさも思いやりも十分だ。けれど、医者と看護婦としてする会話は真面目なものになってしまいがちで、そうするとお互い表情なんて無いまま言葉を交わすことが多くなってしまって。モーリス夫人はディーンにも優しかったから、その点でサリーを物足りなく思っていたのも事実だ。彼女は若いから。その一言で片づけようとしていた。でもそれではだめだ。もっとしっかり彼女を見るべきだ。
「ごめんなさい」
 突然謝るサリーにディーンは僅かに目を大きくする。
「何が?」
 尋ねると、サリーは顔を赤くしてうつむいた。
「なんか私、先生に愚痴ばかり言ってしまって」
 恥ずかしい。
 消え入るような声にディーンは思わず笑い声を堪えた。
 気のせいじゃない。これは結構――可愛いかもしれない。サリーのそんな一面が見えたことで妙に楽しい気分になる。
「いいよ。これくらい、結婚しろって言われるのに比べたら。愚痴っていうほどのものでもないし。言いたくなったら言えばいい。サリーにはいつも助けられてるしね」
 それに、サリーのことをもっと知っていきたい。
 それは純粋な興味だ。
 知れば知るほど好きになれそうな気がする。一人の人間として好きな人が増えていくのは素晴らしいことだ。
 久々の嬉しい予感に、ディーンは自然と笑顔を浮かべていた。

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