小さな村の診療所

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  春 2  

 村で唯一の診療所には今日もあちこちから患者が集まってくる。そのほとんどが年寄りで、他には子ども。時々、若者や中年も混じっている。一種の集会所と化している待合室には、今日も談笑が絶えない。
「見たかい?先生ったらあたし達がいるもんだからサリーちゃんにつれなくしちゃって。意外と恥ずかしがり屋だったんだねえ」
「サリーちゃんがしっかりしてるからいいけどな。22歳の娘さんなのに、あんなに落ち着いて」
「うちの孫嫁と同じ年だとはとても思えん。下の孫の嫁にきてくれんかのう」
「馬鹿言いなさんな。サリーちゃんは先生の嫁さんになるんだから。第一、あんたの下の孫ってのはまだ15歳じゃないか」
 一応断っておくが、これは病人達の会話である。一時的に体調を崩している人もいれば、持病の為に定期的に通っている人もいる。具合が悪いので静かにしている人もいるが、それにしても元気に明るい話題を続けている。――ディーンにとっては全く明るくも何にもなかったが。
 ちなみに今の会話は全部診療室に筒抜けだった。ディーンはカルテを書こうにも集中ができず、引きつる口元を患者に見せるまいと必死に戦っていた。
「……サリー、ちょっと声を小さくしてもらうように言ってきてくれないか」
「はい」
 サリーが扉を開け、「おじいちゃん、おばあちゃん、先生が診てる間は静かにお話しして下さいね」と声を掛けるとこれまた元気のいい返事がやってくる。
 サリーがやってきて二週間。彼らはどうも元気になっている気がする。明るい生活を送ることができるのは素晴らしいことだが、あんなに元気なら通院の回数を減らそうか、なんて考えてしまうくらいだ。けれど病は気持ちとは関係のないところでも進んで行く。甘く考えてはいけない。
 ディーンは目の前の患者に所見と次回の通院日を告げる。それを聞いていた老人はにこにこしながら言った。
「先生、あんまり眉間に皺ばかり寄せてると、サリーちゃんに嫌われるよ。せっかく見つけた嫁さんなんだから、結婚前に逃げられないようにしないと」
 やっぱり、次の通院日を延ばした方がいいだろうか。
 一瞬真剣に考えてしまった。



 サリーがディーンの嫁だという勘違いは早々に解けた。サリーが看護婦協会から紹介された下宿に入ったことがあっという間に広がったためだ。しかし、村人達――特に老人達――は期待を捨てきれないのか、結局サリーとディーンは婚約者という話になってしまっている。人の口に戸は立てられず。それも小さな田舎だ。会う人会う人その話題を振ってくるのでディーンは毎日頭痛に悩まされている。
 全員が全員、噂を信じているわけでもない。けれど、退屈な日常のちょっとしたスパイスに飛びついて面白がる人達もいる。反対するよりも適当に流していた方が楽だと悟ったディーンは出来る限り聞かぬ振りを通しているが、いつになったら村人達は落ち着いてくれるだろうか。人の噂もなんとやらという言葉を信じたいものだが。
「あー、やっと休憩ですね。先生、お昼にしましょう」
「ああ」
 患者が途切れたところで二人して弁当を広げる。と言っても、ディーンは簡単なサンドイッチだ。作るのが簡単だから、基本的に昼は毎日これと決めている。日によってはまともに食べる時間もないし、ゆっくり食べてもいられないからこれで充分だ。
 しかし、問題なのは――。
 ちらりとサリーを見ると、彼女は丁度弁当箱の蓋を開けるところだった。中から出てきたのは赤いもの。一瞬ぎょっとするが、赤いのはケチャップで、その下にはじゃがいもが見えていた。弁当箱一面にしきつめられたじゃがいも。それにかけられたケチャップ。これが今日の彼女の昼食だ。
「じゃがいもか」
「ええ。サンディおばあちゃんがくれたんですよ。うちで獲れたのがたくさん残ってるからって。この村の人達って本当にいい人達ばかりですよね」
 この間は誰それから何をもらって――そんな話を嬉しそうにするサリーを見て空しくなるのはディーンだけだろうか。ディーンですらサンドイッチくらいは用意するのに、悲しいかな、彼女がまともな弁当と呼べるものを持ってきたのをまだ一度も見たことがない。いつも大体何か一つで、パンだけの日もあるし、今日のようにもらった野菜を煮て調味料をつけてくるだけの日もある。はっきり言って、ディーンの食事よりも栄養に偏りがありすぎる。22歳の女性の食事がこれでいいわけない。
 そもそも、サリーは結婚適齢期の女性にしてはあまりにらしくないところがたくさんある。
 まず、髪だ。
 金髪そのものは綺麗なのだが、ちりちりした癖っ毛は手なずけるのに相当時間がかかるらしく、彼女はほとんどそのままにしている。そこに寝癖が加わった日などは特に酷くて、頭が爆発したような髪型の日は本当に驚いた。今日は後ろで一つにしばっているが、それでも至るところで髪が踊っているように見えて仕方がない。
 そして肌。彼女は日によって睡眠時間が違うそうで、肌がかなり荒れている。これには無理矢理な食生活も絡んでいるに違いないが、充分なケアをしているとも思えない。そして肌荒れを理由に、常にすっぴんだ。それは成人女性としていかがなものなのだろう。
 仕事こそ手際よくやるものの、普段のサリーはどうやらそうではないらしく、この間は休憩時間中に受け付けで昼寝をしていた彼女を起こすのは骨が折れた。聞けば、家では暇があれば寝ているらしい。睡眠時間が毎日違うのはそれが原因だ。間違いなく。
 確かに女性なのだが、女性として見るのがとても難しい。それでいいのか、なんてこれほどまでに思った相手は初めてだ。ディーンには妹がいて、これがまた仕事以外のことはかなり適当だったのだが、サリーには遠く及ばない。未知の生物と遭遇している気分だなんて、到底本人には言えないことだ。
「いつも聞いてるけど、他のものを食べたいと思わない?」
「確かに飽きますけど。でも、面倒くさいし」
「面倒くさいって……ずっとこんな食生活してるのか?」
「いいえ。前は実家だったから。母が食事を作ってくれました。私、一人暮らし、初めてだし」
 病院、徒歩15分だったんですよ、とサリーがじゃがいもを頬張る。
「料理は?」
「末っ子なんでかなり甘やかしてもらいましたよ。姉が二人いたんですけどね。花嫁修業とかで、姉達が作ったものならたくさん食べさせられましたけど」
 私は全然ですね、と言って、サリーの口の中にまたじゃがいもが入る。ゆっくり咀嚼する彼女はそれなりに美味しそうな顔をしている。でも、見ている方が食欲を失う昼食だ。
「……サリー、良かったら一つどうかな。なんか見ていて切なくなってきた」
 ディーンがサンドイッチの入った弁当箱をすっと差し出すと、サリーが目を輝かせた。
「え、いいんですか!?」
 キラキラした顔で喜ばれて、軽く戸惑う。ちょっと待て、こんなに嬉しそうなのは初めてかもしれない。
「もちろん。どうぞ」
「やった、いただきます!」
 遠慮のかけらもない動作でサンドイッチを手に取ったサリーは一口かじって目を見張る。
「美味しい!ハムってこんなに美味しかったっけ?えー、何日ぶりだろう?やだ、なんでこんなに美味しいの?」
 サリーはやたらと感動しながら綺麗に食べていく。ディーンは予想外の反応にぽかんとしたが、慌てて開いた口を閉じた。
 どうやら久しぶりのハムだったらしい。確かにこの村は農業が盛んだから、村人からお裾分けしてもらえるのはもっぱら野菜ばかりだ。しかし、彼女はそれ以外の食材を全く買っていないのだろうか。看護婦の給料はそんなに酷くはなかったはず。まさか、こう見えてサリーは金遣いが荒いのか。いや、そんな馬鹿な。
 自問自答を繰り広げていると、サリーが自分の弁当箱を差し出してきた。
「え?」
「お返しに一つどうぞ。美味しいですよ、じゃがいも」
「あ……ああ、じゃあ」
 欲しいとも思わなかったが、向こうがそう言うんだ。じゃがいもは嫌いではないし、と一つもらって食べると確かに美味しかった。
 でも、全部これはないよな、やっぱり。
「先生はちゃんと自炊してるんですね。偉いなあ」
「16歳で家を出たから。20歳までは寮生活だったけど。研修の途中から一人暮らし。最初はいろいろ大変だったな」
「今はもうすっかり慣れました?」
「うん。でも慣れても大変なことはあるよ」
 疲れてくたくたなのに自分で食事を作らなければいけない。身の周りは清潔にしておかなければいけないから、掃除や洗濯はさぼれない。体調を崩しても誰にも見てもらえない。挙げていけばきりがない。それでも、全部おろそかにならないように最低のラインでそこそこ頑張ってはいると思う。一人暮らしの独身男としてはいい部類に入るんじゃないだろうか。
 これで後は嫁さえもらえば――とつい考えてしまうが、この村にいる間は無理そうだ。
 若い女性ならば、目の前にいることにはいるが――ちりちりの髪、化粧っ気一つない顔で美味しそうにじゃがいもを食べている。
 女性というよりは、なんだか小さい子みたいだ。
 これもないなと頭の中でバツをつける。
 やっぱり当分は独り身で頑張るしかない。
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