小さな村の診療所

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  春 1  

 扉を開ける瞬間は、これで助かると思った。
 けれど、その先に立っていた人影を見て、すぐに嫌な予感に変わった。
 まさか。
 勘違いであって欲しい。そう願うディーンに、無情にも彼女は若く張りのある声で告げた。
「依頼を受けて参りました。看護婦のサリー・ホワイトです。今日からお世話になります」
 嘘だろ。
 声を上げたいけれど上げられず、頭を抱えたいけれど抱えられず。ディーンはその場で固まっていたが、相手の「先生?」という声でハッとした。確かに、彼女を玄関で立たせたままにしておくわけにはいかない。「こっちへ」と誘ったのは待合室。長椅子にサリーを座らせると、自分は近くに出ていた丸椅子を引き寄せて腰を下ろした。荷物の中を探っているサリーを真正面から眺める。
 若い。どう見ても二十歳そこそこだ。綺麗な金髪が酷い癖っ毛でチリチリし過ぎているし、肌荒れが目立つのが少なからず気になるが、そんなことはこの際置いておこう。鞄の外に見えている手は白く滑らかで、その辺りにも不安を覚える。
「あ、あった」
 サリーは鞄の中から一通の封筒を取り出すと、両手で差し出してきた。
「協会からの紹介状です。任命書も入ってるそうです」
「……どうも」
 話が違うじゃないか、と思いながら開いた封筒にはサリーの言う通り2枚の紙が入っていた。どちらも看護婦協会が発行したもので、紹介状と任命書だ。
 サリー・ホワイト。22歳。
 最初の1行を読んだ時点で「ふざけるな!」と拳を上げたくなった。けれども初めて会った人を目の前にそんなことができるはずもなく、彼女の経歴の部分に目を走らせる。
 2年前に看護婦学校を卒業、看護婦歴2年、現在3年目。前任の病院は1つ、勤務態度は良好、云々。
 つまり、まだまだ駆け出しの看護婦というわけだ。
「紹介が遅れたね。俺はディーン・クラーツ。この村に赴任して4年目、ここの唯一の医者だ」
「話は医師協会の方から聞いています。先生のご実家は優秀な医者ばかりとか」
「そうでもないよ。医者が多いのは事実だけどね。ところで、この診療所はずっと年配の看護婦が支えていてくれてね。俺も赴任してしばらくは随分助けられたんだが、彼女がぎっくり腰になってしまって、引退せざるを得なくなってしまったんだ。それで困って、新しい看護婦を頼んでいたんだよ」
「その話も聞きました。前の方は、もう65歳だったとか」
「結構な年だけどね。経験豊かで、人柄もよかった。何よりも村の人からの信頼が厚かった」
「素晴らしいですね」
 果たして心からそう思ってるのだろうか。半ば機械的にも思える反応に、ディーンはやや閉口してしまう。
 言いたいことは遠回しではなく、はっきり言わないとだめだろうか。勘がいい人間や、年を重ねた相手なら大体今のでこちらの意図には気づくが、サリーの変わらない表情を見る限り伝わっていない可能性が高い。
「ここはすごい田舎だよ。来て驚かなかったかな」
「驚きました。でも街のようにごちゃごちゃしていないのはいいと思います」
「若い君には退屈だろう」
「仕事をするのに退屈も何もないと思いますが?それに、先生に若いと言われても。先生だって若いでしょう?いくつですか?」
 これは思わぬ切り返しだ。
「29。でももうすぐ三十路だよ。それに俺はとっくに慣れたからね」
「そうですか」
「でも、君のような若いお嬢さんは大変だと思う。ここみたいな小さな村は大概閉鎖的だからね。外から来た人には結構きついよ」
「そうですか」
 同じ返事の繰り返しに、ディーンはまたもや閉口した。これは鈍感なのか、それとも強者なのか。判断に困っていると、サリーがすっと姿勢を正した。
「残念ながら、先生の思い通りにはなりませんよ」
「え?」
「年配の看護婦を希望してたんでしょう?でも、今年は本当に人が足りなくて。私もね、上に頭下げられてここに来てるんです。絶対に帰りませんよ。例え私が泣いて帰ったって、先生が文句を言ったって、代わりの看護婦なんていないんですから」
 なんだこの女。
 まじまじと見つめるディーンの視線を、サリーはそちらの思惑なんて最初からお見通しと言わんばかりの顔で受け止める。
「今日からよろしくお願いしますね、先生」
 白々しいまでに明るいサリーの声に、ディーンは何も言うことができなかった。
 頼りにしていたモーリス夫人がぎっくり腰になった時、本当に困り果ててしまった。彼女は豊かな経験と生来の朗らかな気質で村人達から一目置かれていて、赴任したばかりのディーンが一日でも早く村人達に受け入れられるように事細かく気配りをしてくれた。彼女は看護婦としての知識も技能も優れていて、文句のつけどころがなかった。そんな彼女の代わりなど、誰ができるだろう。
 できればこの村の出身者をと考えたが、残念ながら該当人物はおらず、それならば自分の負担が少しでも減る看護婦がいいと思った。それなら、看護婦として経験を積んでいて、人生経験もそれなりにあって、村人に受け入れられやすい人物。ならばできるだけ年齢は上の方がいい。協会にはかなり念入りに頼みこんだつもりだったが、まさかこうなるとは。
 少の差は目をつぶるつもりだった。けれど蓋を開けてみれば多少どころではない。すぐにでも変えて欲しい。しかしはいないときた。そうなると、こんなところは嫌だと帰られても困る。田舎とはいえ、ここは唯一の診療所だからやってくる人達は大勢いる。看護婦の手助けなしにやっていくのはとても大変だ。現にこの一ヶ月、本当に骨が折れた。猫の手でも借りたい状態で、新米とはいえやっときた看護婦を逃がすわけにはいかない。となると、サリーが一日でも早くこの村に馴染めるように気を遣わなければならない。結局、ディーンの忙しさはちっとも減らないようだ。
「その言葉が嘘にならないように頼むよ」
 絶対に帰らない。
 その言葉が覆ることがなければいいけれど。



 サリーは早速その日から働き始めた。
 初日は診療所の様子見で、ということだったのだが、いざ患者がやってくるとサリーの手を頼らずにはいられなかった。けれど、そこで早くもサリーが来たことを悔いることになる。
 何か失敗したわけでもない。村人の不興を買ったわけでもない。むしろ、すんなりと受け入れられてしまった。だが受け入れられ方が問題だった。
「こんにちは。ジョン爺さん。調子はどう――」
「先生、いつ嫁さんをもらったんだ!?」
「いや、彼女は新しい看護婦で」
「サリー・ホワイトです。よろしくお願いしますね。おじいちゃん」
「おお、先生の嫁さんはサリーさんというのか!おうおう、よろしくな」
 始終こんな感じで、来る人全員がサリーをディーンの花嫁と勘違いしたまま帰っていったのである。彼らはあんなにも人の話を聞かなかっただろうか。おかしい。いろんなことがおかしすぎる。
 患者が途切れ、一段落するとディーンはため息をつかずにはいられなかった。
「なんだか変な話になって悪いね。普段はああいう人達じゃないんだけど」
「本当に?私、あんなに勝手な解釈する人達、初めて見ました」
「俺も初めてだよ」
「先生のこと、心配してたんでしょうね。皆さん大喜びでしたよ。悪いところがあるとはとても思えませんでしたけど」
 やっぱり、それなりに年にいっている看護婦がよかった。
 看護婦協会の馬鹿野郎、と叫びたかったが、それでサリーが若いことが変わるわけでもないのでやめた。いくらなんでも大人げなさ過ぎる。
 しかし、村人達がサリーを嫁扱いするのも厄介だ。
「俺、仕事以外であまり頭使いたくないんだよな」
「奇遇ですね。私もです。それにしても先生、独身なんですね」
「大きなお世話だ。君だって独身だろう?」
「余計なお世話です」
 そのことには触れてくれるなとお互い牽制の視線を交わすと、二人で息をついた。
 懸念の一つは消えた。
 サリーはこの村にうまく溶け込めていくだろう。
 しかし、懸念が一つ増えた。
 傍迷惑な勘違いをされたまま、この診療所を続けていかなければならないのか。
 面倒だな。
 今からでも遅くないから、いっそ現役を離れて5年とかでもいい。もっと年上の――それこそ婆さん級の看護婦がひょっこり現れてくれればいいのに。
 独身の医者が持つにしてはあまりに空しい願いだった。
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