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  72  

 十二月に入り、一斉に木々の葉が落ちた。いよいよ冬になったことをしみじみ思いながらも、相変わらず受験勉強づくしの毎日だ。
 模試もいよいよ大詰めを迎えていて、残り僅かを控えるばかり。その内の一つを終えたばかりの瑞穂は、とてつもない疲労感に従うまま机に突っ伏した。
 結構出来た気がするけどどうだろう。ずっと課題にしてきたセンター模試だった。しかもセンター模試はこれで最後。後は冬季講習から本番まで総仕上げに入る時期だ。今度こそB判定を取ると意気込んでやったものの、どうなるかは結果が返ってくるまでわからない。でもここで暗くなっても仕方ない。手元に来た模試の解答冊子をバッグに詰め込んで、重い腰を上げた。いつまでもだらだらしていられない。こういう日は良臣の方が早く塾を出る。良臣をあまり待たせたくなかった。
「よっ、お疲れ」
 階段を降りながら声を掛けられる。横に並んできたのは最近よく挨拶を交わす他校の男子だった。短い髪に、スポーツが好きそうなさわやか系男子だ。服のセンスも悪くない。
「お疲れ様。英語の長文、結構読みにくくなかった?」
「あ、それ俺もそう思った。回りくどいよなー。実際英語使ってるやつらは絶対あんな言い方しないと思う」
「そうかもね」
 笑い合いながら塾の玄関を出る。そのまま別れようと思った瑞穂だったが、思わず引き留められた。
「あのさ、今、彼氏いる?」
「……いないよ」
 次の展開が読めて動揺する。どうしてこういうことになるんだろう?
「じゃあさ、俺とつきあってみない?髪切ったあたりからいいなって思ってて、話してみたら結構気軽なところがツボだったんだ」
 そのツボ、いっそのこと底が抜けていてくれたらよかったのに。
 そもそも塾の前で告白ってどうだろう。冬の夕方、辺りは暗いとはいえ周囲にはまだ帰る塾生が溢れている。皆自分のことに夢中でこちらの様子を気にしていないことは救いだけれど。
「ごめんね。今、自分のことで手一杯なの。気持ちは嬉しいけど」
 精一杯の申し訳なさを全面に出して断るけれど、彼は笑ったままだ。
「そんな難しく考えなくていいよ。俺だって今は大変だし。受験終わるまでは無理しないでさ、メールや電話するくらいで、会うのは塾くらいって考えてくれていいよ。あ、勿論クリスマスとか正月とか会えたら嬉しいけど。無理してもしょうがないもんな」
 見かけ通りさわやかに言ってくれるがそんな気が全くない身としては困る。
「うーん、でも、ごめんね。私、それどころじゃなくて」
 今度は困り感を思い切り出してみるけれど、彼の方は腑に落ちないようだ。
「でもさ――」
 彼が更に続けようとした時だった。横から腕を引っ張られてバランスを崩し、「わっ」と声が漏れる。よろけた体を支えた相手――腕を引いた相手でもある――を見ると、良臣だった。なんだか機嫌が悪い。待たせたからだろうか。
「まだかかる?」
 遅い。何やってんだ。
 人目がなければその二言もついていたはずだ。
 これは助けが来たと思えばいいのか、それとも状況がややこしくなったと焦るべきか。告白してきた彼の様子を窺うと、明らかに驚いていた。
「……狩屋?」
 塾でも有名人なだけあって、良臣の正体もばっちりわかっている。
 呼ばれた良臣は見事なまでの無表情を彼に向けた。
「俺に何か用?」
「いや、用は無いけど」
「じゃあ行くから。瑞穂」
 歩行を促されて、瑞穂の足も動き出す。
「あ、ごめんね!バイバイ」
 一応彼にはそれだけ言って、良臣の隣に並んだ。腕は掴まれたままだ。
 敢えて振り向いて確認しないけれど、これは彼に大きな誤解を招くんじゃないだろうか。……もう遅くないといいけれど。
「ねえ、手」
 単語だけで良臣の手は離れた。それだけで少し安心する。彼には今度会った時にフォローが必要かもしれない。でも今はもうそっちはいい。今度はこっちだ。
「待たせちゃってごめんね。まさかあんなところで捕まると思わなくて」
「あいつふざけてんのか。俺の貴重な時間を取りやがって。しかも相手が明らかにその気が無いのにぐだぐだと。大体お前もお前だ。もっときっぱり言えよ。俺と喧嘩する時の勢いで迷惑だって言えば流石に向こうもわかるだろ」
「そんなことしたら、注目を浴びるじゃない」
 極力冷静に返しながらも、心臓は大きく鳴っていた。
 もしかして、ほとんど聞かれていたんだろうか。まさか。
 一気に気まずさが膨らんだ。告白されるところなんて誰にも見られたくないのに、よりによって良臣に見られるなんて。最後の方だけかもしれない。でも。
 前に良臣が告白される場面を偶然とはいえ見てしまったんだからおあいこじゃない。そんなふうに考えようとしてみるけど。なんだか嫌な感じはどうしても拭えない。
「っていうか、狩屋、あの人に変な勘違いされたかも」
「知るか。状況がよくわからない奴の妄想なんかに付き合ってやる程暇じゃねー。気になるならお前が訂正すりゃいいだろ」
 ああ、機嫌は最悪だ。
 そんなに待たせてしまっただろうか。ただでさえお腹が減っていて気分は良くなかっただろうに、そこに余分な刺激を加えてしまったようだ。
「……わかった。明日も顔を合わせるから釘刺しとく」
 だからこれ以上怒りのオーラを出さないでよ。そう願ったものの、眉間に皺を寄せた良臣が振り向いた。
「知り合い?」
「今、英語で席が隣なの。挨拶する程度の顔見知り。名前は……鈴木君か、佐藤君だったかな」 
 よくある名字だったことしか覚えていない。こっちはその程度だったのに。向こうがああいうふうに見ていたなんて。髪を切ったことを把握しているということは、前々から見られていたということだ。多分、ちょっと気になるから目で追う程度だったと思うけど。
「どこの学校?もしかしてうち?」
「ううん。S高」
「変な期待を持たせるなよ。きっぱりはっきり言え」
「わかったってば」
 そんなに念を押さなくてもいいのに。
 家に帰れば、志帆の作ったボリュームたっぷりの夕飯が待っている。それを食べれば良臣もきっと落ち着くはず。
 自分にそう言い聞かせて、瑞穂は気まずい帰り道を辿っていった。



「なんか狩屋が機嫌悪いんだけど」
 だから逃げてきた、と宏樹がやってきたのは月曜の昼休み。瑞穂と茜はまだお弁当を広げたばかりだったから驚いた。
「あれ、宏樹まだ食べてないの?」
「いや、早食い選手権に出れるんじゃないかと思うくらいのスピードで食ってきた。無理矢理詰め込んだから気持ち悪ぃ。あ、あいつはまだ食ってる」
 空いている椅子を寄せて座り込んだ宏樹はげんなりしている。
「なんかあったわけ?」
 小声で尋ねられ、瑞穂は顔が強張るのを止めることができなかった。当然ながら茜も興味津々でこちらを見てくる。
 確かに、今朝も機嫌が悪かった。昨日の夕食を食べれば良くなるかと思ったのに全然そんなことはなかったし、そこまで昨日の帰りのことが許せなかったのだろうか。
「……ちょっとね。昨日模試の帰りに待たせたのが気に入らなかったみたい」
「え、なに、お前ら一緒に帰ってんの」
 宏樹が目を丸くするのを見て、瑞穂はしまったと口を噤む。そっちも隠さなければいけないところだったか。
「おいおい、聞いてないぞ」
「もしかして、もしかするの?」
「違うってば。よしてよ、勘違いだってば」
 あくまで小声でのやりとりだ。教室で食べている他の生徒とも距離があるとはいえ、やはり気が気じゃない。
「あいつ、そういうの嫌いなはずなんだけど」
「なんか楽しそうな話の予感だわ」
 宏樹はあくまで信じられないという顔で、茜は期待を浮かべた顔で瑞穂を見てくる。ちょっと待ってよ。ここでも勘違いされそうになるってどういうこと?昨日から厄日なのかと疑いたくなってしまう。
「梅雨頃に、痴漢が出てたでしょ。私、塾の帰り道に一回触られそうになって、そこを助けてもらったの。そこから、一緒に帰るようになっただけで。だって同じところに帰るんだよ。特に深い事情なんてないって」
 ほとんど囁き声で早口でまくしたてると、宏樹と茜が顔を見合わせた。
「……なんか、根掘り葉掘り聞きたいとこなんだけど」
「勘弁して」
「あまり瑞穂を追い詰めると今度はあたし達に火の粉が飛びそうな気がしてきた。今日はやめとくわ」
 茜は「いただきまーす」と弁当に手をつける。瑞穂もここに来たばかりの宏樹のようにげんなりしながらのろのろと食事を始めた。その様子を無言で見ていた宏樹だったが、立ち上がって椅子を戻した。
「俺、戻るわ」
 溜息をつきながら背中を向け、五組を出て行った。瑞穂は胸に過ぎった嫌な予感に無理矢理蓋をしようと頭を振る。
 お願いだから、これ以上怒らせるような真似はしないでよ。
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