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  70  

 今日も茜はイライラしていた。昨日彼氏と電話していた時はいい感じだったのに。
 夜に勉強していてまた気持ちが荒れてきたのかもしれない。朝、茜は挨拶を交わすだけで精一杯だった。
「なんかさー、やってもやっても追いつく感じがしないの。わかんないことばっかり増えるしー」
 早々とお弁当を平らげた茜は机に突っ伏して弱音を吐き始める。まだ半分以上お弁当箱の中身が残っている瑞穂は面食らった。
 今日はまだ光二も宏樹も来ていない。自分がしっかり話を聞いてあげないと、と思う。
「茜は頑張ってるよ。むしろ頑張りすぎ。あまり詰め込もうとすると逆効果だよ?」
「だって、わかんないの放っといても何の解決にもならないでしょ?もうさ、そう考え出すと手ぇつけずにはいられないの。でも、結局わかんないこと増えてくだけでさー」
「私も九月の頃はそんな感じだったよ」
 それで無理がたたって貧血騒ぎになったわけなんだけど。
「あのね、あくまで私のやり方なんだけど。わからないところはじっくりやった方がいいよ。同じ時間であれこれやると余計わからなくなるから」
「頭ではわかってるんだけどね」
「塾の先生に相談してみたら?向こうだって合格させたいはずだし、いろいろ教えてくれると思うよ」
「んー、苦手だけど頑張ってみようかなー」
 でもなー、やっぱりなー、と机の上でゴロゴロする茜はほんの少し気分が上昇したみたいだ。どうせならもっと元気になってもらいたい。バッグから袋を取り出すと、茜の目の前にぶらさげた。
「これなーんだ?」
「ん。いいにおい。クッキー?」
「正解。はい、これ茜のね」
「え?全部くれるの!?」
 がばっと起き上がった茜の瞳はキラキラしている。そうそう、こういうのが茜らしいんだから。
 嬉しくなって口元が緩む。
「うん。よかったら食べて」
「食べるっ。ありがと瑞穂っ!愛してる!」
 机越しに抱きつかれる。びっくりした瑞穂はまだ残っているお弁当を心配したものの、かろうじて茜の制服にもついておらず全く被害を受けていないのを確かめてホッとする。
「お菓子はそんなに得意じゃないんだけどね」
「何言ってんの。そりゃ、お店出せるレベルじゃないと思うけど、人並みに美味しいって。大体、料理があんなに上手でお菓子も上手だったら嫉妬するね。瑞穂のこと嫌いになっちゃうかも。だから今のままでいいの。あーおいしー」
「そう。よかった」
 茜が美味しいと言ってくれて、ちょっとでも元気が出てくれれば。
 九月から瑞穂のことでも結構気を遣ってくれていた茜だったから、今のスランプに対して瑞穂も責任を感じている。茜自身の問題も大きいだろうけど、瑞穂と光二のことで疲れている部分もあると思う。言ったら怒るだろうから、絶対に口にしないけど。
 


 帰りに校門を出たところで、久しぶりに緊張感が湧いてきた。
 運が悪いことに光二と一緒になってしまった。駅までだと言っても気が重い。何もなければいいけれど、保証はない。びくびくしながら普段通りを装うのは好きじゃない。
「茜、喜んでたね」
「クッキー?」
「うん。何とかして恵んでもらおうとしてた宏樹が面白かったな」
「ああ、あれね……」
 昨夜は光二や宏樹にも分けるつもりでいたけれど、父の分を多く詰めたら結局茜一人分しか用意できなかった。勿論家では母と良臣にあげてある。良臣に渡さなかったら何て言われるか。
 また今度と言ったけれど宏樹はどうしても今日食べたかったようで、やたらと茜の機嫌を取って何とか昼休みの最後に三枚お礼として手に入れていた。その時の喜びようと言ったらまるでしっぽを振る犬のようだった。そこまでしてもらう程の味じゃないんだけどな……と気が遠くなったのはまだ記憶に新しい。
「思いついたのが九時近かったから。あまりたくさん作れなかったんだよね。結局光二にはいってないでしょ?ごめんね」
「いいよ。今は茜に元気になってもらう方が大事だし」
「優しいね」
 そう、光二は基本的に優しい。いい人だから、むげに出来ないと思ってしまう。
「光二はどう?勉強の話は結構するけど、模試の話とか最近全然しないよね」
「俺?まあまあかな。AとBを行ったりきたり。まあ、悪くないと思うよ」
 模試でA判定どころかB判定すら取ったことのない瑞穂は苦笑するしかない。なんだかんだいって光二の頭の出来は違う。比べたらだめだ。
 そっか。AやBなんだ。
 感心しながら、あることに気づく。まさか。そんな馬鹿な。嘘でしょ?と自分自身に信じられない思いでいっぱいだ。でも、どれだけ記憶を探っても全く出てこない。
「あのさ、光二、どこ受けるんだっけ……?」
 恐る恐る尋ねると、光二は目を丸くした。
「あれ、言ってなかったっけ」
「ごめん。聞いてたかもしれないけど、多分自分のことばかり考えてて覚えてなかったかも……」
「あー……でも俺も言ってなかったかも。ちゃんと話した覚えがないや」
 どうやらフォローしてくれてるわけでもなさそうだ。光二がそう言うなら本当にこれが初めてかもしれない。
「理学部だよね?」
「そのつもり」
「つもり?」
「これでもT大志望なんだ」
「え」
 知らなかった。全く考えたことがなかった。
 なんとなくだけど、光二は別のところに行くと思っていた。
「意外だった?」
「意外っていうか、びっくりした。こんな身近にT大狙う人がいるなんて」
「F学は結構いる方だと思うけど。瑞穂のクラスの増山だってそうだろ?」
 五組で一番成績のいい増山がT大を狙っているのは知っている。相変わらず彼は古典に関してだけは勝手にライバル視してくる。いい加減やめて欲しい。そんなつまらないこと気にしてると足下すくわれるよ、なんて言えたらどんなにすっきりするだろう。
「増山君は別に仲良いわけじゃないし」
「増山はね。でも狩屋は友達なんだろ?」
 さらりと出てきた狩屋の名前に一瞬体が強張った。
 でも平気。狩屋とT大の二つのキーワードが揃っていればいちいち問題にする程のことじゃない。
「何言ってるの、光二。狩屋はうちの学校一の秀才で、模試でも前から数えた方が早いんだよ?狩屋がT大受けない方がびっくりするって」
「そうかな。他でやりたいことがあれば別の道もあると思うけど」
「そういうのは本人に聞いたら?私、そういう話したことないし」
 昨夜聞こうと思ったばかりだ。いつタイミングがくるだろう。
 気になるけれど、今ここで狩屋のことを考えるのは危険だ。あくまで光二から意識を離してはいけない。案の定、光二は探るような目で瑞穂を見ている。
「……とにかく、どんな人でも、大学は自分の行きたいところを受けるべきだよ」
 光二が何か言う前に、と瑞穂の口から出たのは当たり前のようでいて、光二にとってはすごく意味がある内容だったはずだ。高校受験では瑞穂に合わせて志望校を変えた光二。同じことが二度と起きないように。光二がそんなことを考えていたかどうかもわからない。でも万が一光二が変な気を起こしたら困る。言わなくてもよかったかもしれない。でも敢えて言ってしまった。光二にも意図が伝わったようだ。神妙な顔で黙り込んでいる。
 駅が見えてきた。あともうちょっとでこの時間も終わる。
「応援してるから」
 ありきたりな言葉をかけると、光二が足を止めた。つられて瑞穂も立ち止まった。振り返ると、光二が辛そうな眼差しを向けている。
「瑞穂は俺を遠ざけたがってる?」
 絞り出した声は切実な響きを伴って瑞穂に届く。
 遠ざけたがってる?
 その通りだ。
 それを聞く光二も理由は勘付いているはず。
 それでいて答えを知りたがるの?――それはつまり、二人の関係がまた崩れていくのを意味している。
 きっと綺麗には終われない。簡単に片づかない。そんな予感がするから、この時期に下手に手を出したくない。
「やめてよ。光二までナーバスになってるの?応援してるだけだよ。光二が私のこと応援してくれてるように。変なこと言わないで」
 わざと明るく言うけれど、光二は重い空気を背負ったままだ。
「瑞穂は変わったよ。夏くらいからメールも減った。夏休みが空けたらぎこちなくなる時が増えた。あいつのせいなのかな」
 あいつ――狩屋のことだ。
 冗談じゃない。光二の都合のいいように狩屋を割り込ませないで。
 爆発したくなるのをすんでのところで抑える。感情的になりすぎたらだめだ。それすら、光二に変な解釈をされてしまう。
「確かに変わったよ。どうしてもA大に受かりたいもの。だから夏から勉強漬けだった。本当に勉強ばかりしてたよ。その結果も出てきた。今だって必死だよ。まだB判定出たことないし。センターが段々近づいてきてるし。焦ってる。悪いけど、周りのことなんて見てられない。光二だけじゃないよ。本当は茜のことだって宏樹のことだって、前みたいにたくさん時間使って考えられない」
 あくまで光二のことだけぞんざいになったんじゃないと言い張った。
 でも光二の表情は晴れない。
「……今はそういうことにしておくよ」
 決して納得していない。嫌でもそれが伝わってきた。
 いっそ避けてるよって認めた方がよかった?
 どうだろう。それが光二に火をつけることになったらと思うと、地雷を自分から踏みに行く気には到底なれない。
 スパッと切れるのならすぐにでもそうしたい。でもそうでないならずっと誤魔化していたい。曖昧なまま卒業してしまいたい。
 だけど。
 どうやらそれも叶わなそうだ。
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