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「瑞穂さ、今月最後の土曜の模試受ける?」
 光二がそんなことを聞いてきたのは周りがやけにバタバタしている朝の時間。まだ鞄を机の上に載せただけだった瑞穂は手帳を開いて予定を確認する。
「あー、ちょっと迷ってる。あの模試の判定あまりあてにならないって話だもんね」
「やっぱり?でも問題はよくできてるからいい練習になるって塾で言われてさ。でも次の日も別の模試あるし、どうしようかな」
「そうだよね。私も次の日のやつは申し込んだよ。そっちに絞ってもいいかな。でも確かに考えちゃうな」
 自分はそこまで気が進まないけれど、塾の先生は受けておけと言ってくる。力がつくと言われれば心が動かないわけじゃない。ただ、宣伝の意味合いが大きいということも知っているだけに「じゃあ受けます」とは言いにくい。申し込みはギリギリまで大丈夫だ。とはいえ、受けるなら受けるでさっさと申し込んでしまいたい。
 誰かに相談しようか。そこで浮かんできた良臣の顔に瑞穂は一瞬息を止め、心なしかむっとした顔で良臣の顔の上に赤丸をくっつけた。頼り切るのはどうかと思う。でもこれに関して無条件で信用できるのは良臣だけだ。それを頼って何が悪い。
 良臣任せにしようと決めた瑞穂は教室をぐるりと見渡し、時計で視線を止める。
「遅いな」
「平島、日に日に遅くなってるような」
「ような、じゃなくて遅くなってるんだよね」
 少し前までこの時間にはとっくに来ていた茜は最近学校に来るのが遅くなった。ここのところ模試の結果が芳しくないことに危機感を持った茜はこのままではまずいと勉強時間を増やしたらしく、朝起きるのが辛いと愚痴を零している。以前、それで無理をし過ぎて貧血を起こした身である瑞穂としてはあまりおすすめできない。率直にそれを伝えたけれど、茜からは「女にはやらなきゃいけない時があるのよ」と据わった目で言われて何も返せなかった。
「倒れないといいけど」
「瑞穂のようにね」
「……そうだけど」
 その件では特に光二に関して冷やっとすることがあった。まだそんなに前のことじゃない。記憶に新しいだけにこの話題は緊張する。
「あれから調子はいいみたいだけど、無理してない?」
「うん。あれで懲りちゃった。無理のしすぎはよくないってよーくわかったから。しっかり寝る方が次の日すっきり起きられることもわかったし、今はちゃんと生活のリズム作れてるよ。光二は……聞くまでもなく大丈夫そうだね」
 笑いながら話の矛先を光二は曖昧に首を傾げた。
「いや、どうかな。俺も今必死だし。茜ほどじゃないけど寝るの遅くなってる」
「ちょっとやめてよ?光二に倒れられたら、私押しつぶされちゃう。頭打って今まで頑張った分が飛んじゃったら光二責任取ってよ?」
「はは、それは困るな。せいぜい倒れないように気をつけるよ」
 二人で笑い合う。けらけら笑っている裏で今は問題無いと冷めた目で状況を分析している自分がいる。こんなふうに光二に冗談を言えるのは楽しいと思う。けれども純粋に楽しんでいていい相手ではなくなっている。
 光二と一度別れ、再び友人としてつきあいだした頃もこんな感じだったような気がする。でも今はもっと厄介な状況だ。
 警戒して、距離を見定めて。あちこちに見えている導火線に火をつけないように。まるで綱渡りみたいだと頭が痛くなった。



「あのさ、今月末の土曜の模試なんだけど」
「え、なに、お前受けんの?」
 塾から帰った後、夜食を食べながら話を切り出すと良臣は意外な顔をして箸を止めた。
「ううん、どうしようか考え中。次の日の模試は受けるけどさ、土曜のは微妙だしどうしたらいいかなって」
「あ、なるほど。それで俺に聞いた訳か。賢明だな」
 にたりと満悦顔で頷いて良臣はみそ汁をすすった。半年一緒に暮らしているとわかってくることが幾つもある。良臣は正当な評価――あくまで良臣が正当と認めるものに限る――をされるのをまんざらではなく思っている。そして、それをうまく使うと気分が良くなる。どちらかと言えばおだてに弱いタイプだ。ただし、あまりに露骨にそれをすると逆に嫌がるので加減が難しい。今日の瑞穂は良臣の機嫌取りをするつもりはなかったけれど、良臣の気が良くなって困ることもない。
「やめとけって。あれは受けるだけ意味ねーよ。日曜の方が大事。間違えた問題見直すにも時間はかかるし、中途半端になるのは良くないから土曜のはいいよ。判定もあてにならないしな。俺も受けないし」
「やっぱり」
 そう言うか。
 でも良臣がそう言うなら受ける気も起きない。受験勉強のペースやリズム作りは既に良臣に任せきりの瑞穂だ。一人でできないのは問題だとも思うけれど、この間倒れて以来、自己管理について良臣からの信頼は綺麗さっぱりなくなってしまった。あのことをチクチク言われるのは痛い。でも、良臣が以前以上にいろいろ言ってくるのを素直に実行していると無理をし過ぎないでいいペースで受験勉強を進められるのを実感する。自分でもわかるくらいだ。もう瑞穂から口を挟もうとも思わない。
 良臣の言う通りにしていれば大丈夫だ。
 安心するけれど時々不思議でたまらない。良臣だって同じ受験生なのに。今だって隣でサラダをがつがつ食べている姿は普通の育ち盛りの高校生だ。ここだけ見ると学校一の秀才だとか、金持ちの家の息子だとか、全くそんな事実を感じさせない。3年になったばかりはそんなふうにしか見ていなかったのに。
 瑞穂が時間の流れと自分の変化を振り返っていると、良臣は思いついたように顔を上げた。
「その土曜日だけど、空けとけよ」
「模試の日?」
「そう。ちょっと考えがあるから。模試受けないからって別の予定ほいほい入れるなよ」
「浮かれて遊ぶなってこと?大丈夫だよ、心配しなくても。次の日模試だし、遊び疲れる気もないから」
 言われなくてもそんなことしないと言い返すと、良臣は「忘れるなよ」と言って湯飲みに手を伸ばした。
 そこまで信頼ないだろうか。瑞穂は複雑な気分になる。
 体調管理のことはともかく、模試の判定もいまだに良くない身でのんきに遊びに出かける程考えなしじゃないのに。良臣はそこまでの意図はなかったかもしれない。自分の考えすぎだろうか。でもこれ以上聞く気も起こらない。
 瑞穂は洗い物をするべく、席を立った。
 模試と土曜の話はこれで終わり。それでいいじゃない。そんなこといちいち考えてる暇なんてないんだから。
 今日の塾で習ったことを思い出しながら食器を洗うことに専念した。
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