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 青空の下、金属バットがボールを勢いよく飛ばす音がする。
 二組の男子がホームランを打って喜んでいる様子を横目で見ながら、良臣は足を組み替えた。隣では宏樹が「やるなー」とボールの消えた方に身を乗り出している。
 少しずつ秋らしくなってくる中、男子の体育は野球が始まった。今月いっぱいやるらしいが、一クラスで二チーム作るので、休んでいられる時間が多いのが楽でいい。特進クラスの一組は大抵そんな感想を持ったが良臣も同じ意見だった。今も、グラウンドの隅に備え付けられたベンチに宏樹と腰を下ろしている。宏樹は割と野球観戦を楽しんでいる。ど素人の思いがけないプレーが稀に見られるのが面白いらしい。けれども良臣はそんな気分ではなかった。
 どうにも最近、面白くないことが重なっている。
 瑞穂の髪が短くなった。――それは一応前日に瑞穂の話を聞いて納得しているが、あの手触りを気に入っていた良臣としてはやはり勿体ないと思ってしまう。それでも、そこはまだいいとしよう。
 昨日は瑞穂の誕生日だった。それを聞いたのは昨日の昼休みに宏樹が瑞穂のところに行く直前。とんでもない不意打ちだった。宏樹は事前に情報を寄越しもせずに自分だけちゃっかりとプレゼントを用意していた。その実態はプレゼントと言うのも憚られるようなものだったが瑞穂が妙に楽しんでいたそうだ。その時に、中西光二は瑞穂の好みを熟知したデザインのストラップを贈ったらしい。戻ってきた宏樹の話に相槌すら打つ気も起こらなかった。夜は塾から帰ってみれば倉橋夫妻が瑞穂にそれぞれプレゼントを渡し始めて、そこで撮影会が始まり、良臣も一枚一緒に撮らされた。できるだけ笑うように頑張ったものの、きっとぎこちない表情をしていた。それが瑞穂の十八歳の記念に一生残るかもしれないと思うと頭を抑えたくなる。
 今日はそんな昨日の出来事を引きずっていて、まだ気持ちが上がってこない。何をやってもいまいちだ。
 瑞穂のやつ、と苛立ちを彼女に向けようとするがそれも間違いだ。わかっている。瑞穂は悪くない。良臣が一人蚊帳の外に出されたような気になってるだけだ。それでも昨日からの複雑な気持ちの原因がそこだとわかりきっているだけにどうしようもなかった。瑞穂に当たることもできない。宏樹にぶちまける気にもならず、結果、ほとんど口を開かずに午前を終えようとしている。
「石原ー!!三振とれよー!!」
 突然、宏樹が遠くに声を飛ばした。見れば、バッターボックスに光二は入っている。宏樹はクラスメートへの激励と言うよりも光二に対する冷やかしをしたわけだ。
「今いくつ?」
「五対一で負けてる。ツーアウトだけど、ここであいつがホームランでも打ってみろよ。一気に八対一だぜ。流石に勘弁して欲しいよなあ」
「なるほど」
 宏樹の気持ちもわからなくはないが、特進クラスのメンバーはほとんど気にしないだろう。例え二十対一で負けても、「受験には関係ないからな」で終わってしまう。瑞穂に言わせればそこがつまらないらしいが体育会系脳で特進クラスを見るのがそもそもの間違いだ。良臣も普段ならここで光二が塁に出ようがホームランを打とうが興味はない。けれども今日は違う。三振して何の成果もなく終わればいい。そんな気分だ。
 今日の光二は良臣とは違って普段より明るく見える。それが勘違いでなければ原因はきっと昨日瑞穂に誕生日プレゼントを喜んでもらったことにある。あいつが贈ったストラップはその場で瑞穂が携帯につけたというから。
 中西光二という人間はなかなか頭が回るようだ。でも、中身は誉められたものではない。それが今の良臣の評価だ。
 良臣が光二を意識して見るようになったのは夏休みが明けた頃からだ。夏休みに瑞穂が光二からのメールに困っていたから、自然と視線が行くようになった。
 今でこそ瑞穂と光二のいきさつを知っているが、その頃は詳しいことは知らなかった。持っていた情報も少なかった。
 二人は昔つきあっていた。別れたがその後も仲良くしている。親友という位置づけは宏樹や茜も認めていて独特の雰囲気があった。けれども、夏休みの瑞穂は光二のことを良く思っていなかった。戸惑い、苛立ち、煩わしささえ表す時もあった。瑞穂の中での光二の存在が良くない方に変わっていくのを感じ、そこで光二のことが気になるようになった。
 良臣がまず感心したのは、夏休み明けの実力テストだ。特進クラスに匹敵する頭を持っているのが紙に記されていた。F学園でなければ学年一位も取れたかもしれない。どの教科もまんべんなく点数を取れるのは強みだ。
 人間関係も良好で男女問わず人当たりがいい。持って生まれたものだろうか、割と柔らかい物腰が安心感を与えるタイプだと思う。乱暴な対応は見たことがない。女からの評価は高そうだ。
 だが、相変わらず彼女はいなかった。休み時間は二組の男子と一緒にいるか、宏樹のところに来るか、瑞穂のところに行くか。昼休みは瑞穂を訪れることが多いようだ。瑞穂は茜と一緒にいるから必然的に三人以上になる。宏樹が加わり四人で過ごす姿もよく見た。良臣が目にするのはほんの僅かな時間だけだ。その短い時間を集めて判断するに、光二は瑞穂のことをかなり意識している。わかりやすいのは目だ。他の女を相手にする時にはない色が入る。四人でいても瑞穂を見ている時間が圧倒的に多い。そして瑞穂を気遣う発言。
 宏樹の近くにいるお陰で良臣が知りたい光二を捉えるまでそう時間はかからなかった。
 光二は瑞穂の嫌がることはしない。瑞穂にとって心地良い空間を作ることを常に意識している。瑞穂が困れば手助けするし、瑞穂が機嫌を損ねる前にフォローをする。恩着せがましくない程度でそれをやってみせるものだから、瑞穂に対する理解度と機転の利かせ方はかなりのものだ。少なくとも、夏休み前までは。
 以前はそれで良かったかもしれない。だが、夏休みが明けてからの瑞穂にとっては光二の気配り自体が気になることが増えたようで、表だって顔には出さないが距離が出来ているようだった。そもそもメールの件で困っていた瑞穂だ。だが、光二はまだそこまで理解できていなかったのかもしれない。
 良臣が二人の関係をほぼ正確に把握したのはつい最近だ。瑞穂から二人の過去を知り、宏樹からもいろいろな話を聞いた。光二は瑞穂をまだ諦めきれないでいる。できることならまた瑞穂を振り向かせたい。瑞穂に近寄る男には敏感で、気づいたら瑞穂との距離を縮めないように動く。この二年、ずっとそうしてきたという。けれども瑞穂の気持ちが再び光二に向くことはない。友人から先については瑞穂の方が拒絶していてその考えは揺るぎない。
 報われない奴だと思う。それでも同情の余地はない。良臣はこの件に関しては完全に瑞穂側の人間だ。以前二人がつきあった時に光二が瑞穂の逃げ道を塞いだやり方が気に入らない。今、瑞穂のご機嫌取りをしながら機会を窺ってるのも見苦しい。そんな光二が、瑞穂の好みを熟知したプレゼントで瑞穂を本心から喜ばせてそれでいい気になっているのも癪だ。
 それに。
 最近、良臣は光二に目をつけられている。
 瑞穂が学校で倒れてから、光二は瑞穂と良臣との関係を疑っている。つきあっているとまではいかなくても、二人の間に何かあるのを鋭く感じ取り、良臣を敵視するようになったようだ。本人から直接聞いたわけではないので断定はしないが、ほぼ間違いないと思っている。時折、光二が剣呑な目で良臣を見ていることがある。良臣の方は無視を通しているが、あの瞬間はとてつもなく煩わしい。
 いつの間にか眉間に皺を寄せていた良臣はベンチの背もたれに肘をかけて空を仰いだ。
 あんな奴に好かれる瑞穂がかわいそうだ。
 しかし瑞穂も瑞穂だ。良く思ってないやつからもらったストラップをその場で携帯につけるなんて。それじゃ勘違いされてもおかしくはない。例え、本当にストラップを気に入ったとしても光二の前では気をつけるべきだ。そもそも嫌なら突き放せばいい。だが、それができるなら今頃こんなことにはなっていなかっただろうし、良臣と瑞穂の関係だって上手くいっていたかどうか。あの瑞穂だからこそ、光二のような厄介なやつを引きつけ、良臣は協力しようという気になる。全くもって複雑な気持ちだ。
 とにかく、今の良臣にとって光二が気に入らないのは揺るぎない。その光二が瑞穂の誕生日にいい顔をして、知らなかったとはいえ良臣は誕生日を祝う素振り一つできなかったのが腹立たしい。
 何もやらなくても日頃勉強を見てやってるじゃないか。それで片づけようとも思ったが、瑞穂だって毎日のように食事を作ってくれる。それなら今度の土日はいつも以上に力を入れてやればいい。そんなことも考えるが、それが誕生日プレゼントだなんていくらなんでもない。それならケーキを買ってやるとか。……駄目だ。当日を逃したらなんとなく間抜けに見える。
 このまま何もせずやり過ごすこともできる。寧ろそれが一番いいかもしれない。ただそれでは良臣の腹の虫は治まりそうになかった。どうせなら光二の上をいきたい。最近は眠っていた負けず嫌いの性がこんなところでざわめきだす。
 なんでこんな時に。自分でも呆れる。
 カキーンと小気味良い音が響いた。わっと歓声が上がる。振り向けば、さっきまでバッターボックスにいた光二が二塁で手を挙げている。チームメイトに笑顔を見せているかと思えば、ふと、その目に良臣を映した。ほんの一瞬交わった光二の視線は険しかったが、次の瞬間には明るい表情でバッターに檄を飛ばしていた。
 その変わりように少しだけ感心する。
「今、お前の方だったよな」
 宏樹が苦笑いしながら頭の後ろで腕を組む。
「みたいだな」
「やるなあ。俺かとも思ったけど、目が合わなかったからさ。おめでとう。ばっちり根に持たれてるみたいだぜ」
「男の嫉妬は醜いって教えてやれよ」
「やだよ。その件でわざわざあいつをつつきたくないし。ていうか狩屋、お前こそ怒ればいいんじゃないの?」
「面倒だ」
 不快な視線に腹を立ててもよかったが、これ以上光二のことに頭を使うのはプライドが許さない。良臣は意識を切り替えるべく、昨日復習した世界史の主立った出来事と年号を頭の中で復唱し始めた。
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