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  60  

「光二はまだ私にこだわってる。これが思い過ごしならいいんだけど」
 重い心を吐き出すように言った瑞穂を良臣は笑わなかった。
「でも、他でもないお前がそう思うんだろう。ならそういうことじゃないのか」
「多分ね。ただ、私は絶対に無理だから」
 ずっと持っていたクッションをぎゅうと締め付ける。元に戻ろうとするささやかな弾力を感じながら瑞穂は天井を仰いだ。
「私が変な責任感じて光二に流されなければこんなふうにはなってなかったのにね。本当に馬鹿だった。あの時の私」
 何十回も何百回も繰り返し言い聞かせてきた。
 後悔しても遅い。そうわかっていてもどうしようもない。
 こんな自分を良臣は「馬鹿だな」と一蹴するだろう。そう思っていたのに、返ってきた言葉は違うものだった。
「お前だけが責任感じることはないだろ。大体、お前が流された台詞もあいつの計算の内だったように思えるけど?どっちもどっち。お前はそれで痛い思いをしたから、次はそうならないように気を張ってるんだろ。だったらそれでいいじゃないか」
「狩屋」
「過ぎたことをごちゃごちゃ言ってもしょうがない。でも、お前が話してくれたお陰でよくわかった。悪かったな、話したくないことを話させて」
「いや、そんなこと」
 確かに話したくなかった。でも、どうだろう。話し終わってみれば、どこかすっきりした気分だった。良臣に話すような内容じゃなかったと思う。けれども良臣は嫌な顔もせずに聞いてくれた。そして瑞穂のどうしようもない部分を知ってもこうして変わらない反応をしてくれる。そのことにすごく安心する。
 良臣は椅子に座る足を組み替えて顎に手を当てた。
「お前の言う通り、あいつには事実を知らせない方がいいな。逆上しかねない。その時に俺の方に来ればいいけど、お前の方に行くと何かと厄介だしな。これはもうプランAで決定だろ」
「いつからプランAになったの」
「いつだっていいだろ。取り敢えず、坂本を先に取り込むからお前の方はちょっと待て。早く動いた方がいいから明日にするか。お前も塾ないし丁度いいだろ。明日の帰り、坂本を家に連れてくるよ」
「え?ここに連れてくるの?しかも狩屋、家で話なんてしてたら塾間に合わないんじゃ」
「他の人間に聞かれたらまずい話だから、場所は家の中しかないだろ。塾は遅刻だな。後でテキスト見せてもらうからいいよ。予習したけど大したことない内容だったし。夕飯よろしく。一応坂本の分も」
「…………わかったよ」
 次々と決められていく展開に瑞穂は苦笑しながらもついていくことしかできない。宏樹に事実を教えるのは緊張するけれど良臣がいるから大丈夫。不安が全くないわけではない。それでも確信できるから不思議だった。



 翌日、良臣は学校に着くなり宏樹に誘いをかけた。
「お前、今日塾ないよな」
「ない。でも今日は彼女と――」
「断れ。今日は俺につきあえ」
「は?お前、こっちは先週ぶりにまともに彼女に会えるっていうのになに傲慢なこと言ってんだよ。大体お前、平日は毎日塾じゃないか」
「そうだ。その俺がお前を優先してお前の知りたいことを教えてやるって言ってるんだ。明日はどうしても無理だ。だからチャンスは今日しかない。それでもお前は彼女を優先するか?」
 強気に出たのはこれで宏樹が乗ってくると知っているからだ。昨日の朝、宏樹は良臣を追い詰めているつもりだったかもしれない。でも今日はもう違う。良臣は宏樹と対等な立場で交渉をするつもりでいる。そう、これは交渉だ。宏樹が望んでいる真実は向こうが考えているものよりもずっと大きい。良臣がこれまで隠してきたということを差し引いても釣りがでるほどだ。その釣りを要求して何が悪い。
 少しの間渋面をつくって考えていた宏樹は良臣の予想通り、最後には諦めた顔で携帯電話を取りだした。
「……今日だけだからな」
 次に彼女と会う時間を潰したら黙っていないと宏樹が睨みつけたが、良臣は曖昧な笑顔で流した。



 学校が終わると、良臣は宏樹を連れて家まで連れてきた。その間は「人目があるところで話はしない」と言って肝心の内容にはだんまりを決めていた。
 マンションの前で足を止めた宏樹は怪訝な顔をする。
「今のお前の家?」
「そう。行くぞ」
 良臣が先立って案内したのは当然ながらいつも帰っているドアの前。セキュリティ対策の為に表札は出していない。良臣だけが住んでいる部屋だとすっかり信じ込んでいる宏樹をよそに良臣はインターフォンを押した。
「俺。坂本も一緒」
 瑞穂が先に帰っていることはメールで確認済みだ。鍵を使ってもよかったが面倒くさかった。それに、状況を説明するならこうした方が早かった。
「ハウスキーパー?」
 これだから金持ちは。
 そんな宏樹の呟きはドアが開く音に掻き消された。
 緊張した面持ちで顔を出した瑞穂に良臣は「ただいま」と言って中に入った。瑞穂はそれに「お帰り」と返し、視線を立ち止まったまま動かない宏樹に向ける。良臣も後ろを振り返った。
 私服姿で出てきた瑞穂の姿に言葉を失っている宏樹の顔はなかなか見物だった。
「入れよ、坂本」
「いらっしゃい、宏樹。今、飲み物入れるから」
 瑞穂はそう言ってキッチンに姿を消した。
 驚きながら玄関に入った宏樹を横目に良臣は戸締まりをする。
「……瑞穂がいるとか、聞いてないぞ」
「言ってないからな。と言うか、あいつがいるのは当たり前だ。ここは倉橋家だからな」
「は?」
「俺は今、倉橋家に預けられている。倉橋のおじさんやおばさんに面倒見てもらってるんだ。ついでに瑞穂にも。ほら、上がれよ。一番奥の部屋が俺の部屋。でも今日はリビングな。こっち」
 先にリビングに入った良臣はキッチンでコーヒーをいれる瑞穂に声をかける。
「お菓子、出していい?」
「適当に出せば?」
 無頓着な声を返しながら瑞穂は入れたてのコーヒーをリビングに運んでテーブルに置く。そこに良臣がファミリー用のポテトチップスを持ってきて開いた。
「ちょっと、パーティー開けだと残せないじゃない」
「男二人だぞ?残るもんか」
「えー、でも夕飯食べてくんでしょ?」
「当たり前だ。で、今日は何?」
「あまり時間ないしね、つけ麺におかずをちょっと」
 メニューを聞いた良臣は目を細める。瑞穂の作るたれが美味かったことを思い出したら急に空腹感が強くなった。もう少し我慢すれば食べられると言い聞かせるが、実際はそれまでに我慢できそうにない。
「話は俺の方である程度しておくから、先に飯の準備頼む。腹減って死にそう」
「……それにしては元気に見えるけど。いいよ、じゃあ用事があったら呼んで」
 大丈夫だよね、と確かめるような視線に頷いてみせると瑞穂はキッチンに戻った。良臣はソファに座ってポテトチップスに手を伸ばす。そう言えば宏樹はどこだろうと首を回すと目を白黒させたままリビングの入り口に突っ立っている姿を見つけた。
「なにしてるんだよ、早く来い。俺、一応遅刻して塾に行くつもりなんだよ」
「俺に彼女との約束断らせといてお前はなんだよ。……つーか、なんだよ、今の会話」
 宏樹は妙にこわごわと良臣の向かいのソファに腰を下ろす。そしてコーヒーカップを掴みながら良臣を強い目で見た。
「あいつが夕飯当番だってことはお前も知ってるんじゃなかったっけ?」
「それは知ってるけど」
 そういうことじゃないと更なる答えを要求される。昨日なら拒否した場面だ。しかし今日の良臣は最早隠すつもりはない。
「半年同じ家にいるんだ。普通の会話じゃないか?」
 そして良臣は倉橋家に厄介になる経緯をかいつまんで話した。
 宏樹は神妙な顔でそれを聞いていた。
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