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 元々光二とは中学校が同じで仲が良かった。中三の夏まではテニス一筋だったこともあって、体育会系を中心に男子とも話をすることが多かった。光二はその中でも抜きんでた存在で、瑞穂に対する好意はあからさますぎるくらいだった。瑞穂も鈍くはなかったけれどテニスが一番の時に他のことに目を向けている余裕はなく見て見ぬ振りをしていた。
 光二はいい友達だけどそれだけ。
 当の瑞穂がそう思っていたことも大きかったかもしれない。
 夏に誰もが予想しなかったテニス離れをした後、瑞穂の交友関係は大きく変わった。テニス関係の友達とはほとんど話さなくなった。同情の目を寄せる人間も瑞穂の方から離れていった。テニスを振り切ろうとひたすら受験に意識を向ける瑞穂にとってはどちらも煩わしく、辛さを感じるだけのものでしかなかったからだ。テニスを想起させるものを切り離すことはほとんど迷わなかった。相手によっては躊躇いと苦しさを抱くこともあったけれどとにかく自分のことで頭がいっぱいだった。
 今思えば、あまりにも自分勝手だったと思う。世界で自分が一番かわいそう――流石にそこまではいかなくても、あの学校で一番辛いのは自分だと思っていた。そうしていろいろなものを避けて、見ない振りをして、聞かない振りをして。
 瑞穂の周りに残ったのはほんの一握りの人間だけだった。
 その中に光二はいた。
 夏休みが明けた後から、光二は過剰な反応を見せた。それに深く傷ついた瑞穂は光二とも距離を置こうとした。けれどもそこで瑞穂の傷の深さに気づいた光二が接し方を変えてきた。

「瑞穂、F学狙ってるんだって?実は俺もF学にしようと思ってるんだ」
「え?K高じゃなかった?」
「まあ、この間までそう思ってたんだけど。俺、高校くらいはがっつり勉強しようと思ってるからさ。進学校だったらなんでもよかったっていうか。夏にK高見に行ったらなんか違うような気がして――うまく言えないけど。どうせならK高以上にビシバシやってくれそうなF学の方がいいような気がしてきた。せっかくだし、やってみようかなって」
「……光二ならいけるんじゃない?うちで一番頭いいんだし」
「ははは。だといいな。でもさ、俺、流石に一人はちょっと嫌なんだよ。なんか聞いたら、俺と瑞穂以外にF学受けそうなやついないし。俺としては瑞穂だけが頼みの綱なんだよな。頼むから一緒に受かろう」
「なにそれ。光二はともかく、私は猛勉強中なんだけど」
「うん。だから俺は瑞穂を応援する。一緒に頑張ろう」

 その日から、光二とは受験勉強の話で距離が近くなっていった。
 あの問題やった?
 模試どうだった?
 この間うちの塾の先生がこんなこと言ってた。
 休み時間にもそんな会話が増えたり、単語帳や参考書を持って問題を出し合ったりするようになった。放課後は下校時間まで図書室で一緒に勉強をした。光二には時々勉強を教えてもらって、瑞穂の中で味方がいる心強さが大きくなっていった。

 F学の受験は担任の反対を押し切った。内申点が足りないしテストも当日点数を取れる保証ができないと言われたがそれでも構わないと突っぱねた。両親も応援してくれた。それから光二も。その甲斐あってか、奇跡的にF学に合格することができた。

 卒業式で光二と写真を撮った時、本当に嬉しそうな顔で言われたのを覚えている。
「瑞穂と同じ高校で本当によかった。四月からもよろしく」

 F学に入学すると、瑞穂と光二は同じクラスだった。小学校の時に瑞穂と同じ学校で仲の良かった茜もいた。そこに宏樹が加わって四人でつるむ学校生活が始まった。
 テニスから完全に切り離された世界で瑞穂はやっと安心感と解放感を味わうことができた。勉強に苦戦しながら、それでもクラスメートともうまくやりながら、一学期が終わる頃。瑞穂は光二に告白された。

「中学の時からずっと好きだった。瑞穂とつきあいたい」

 薄々勘づいていたこととはいえ、面と向かって言われると戸惑いを隠せなかった。瑞穂にとっては光二は受験期を支えてくれた恩人であり、大切な友達だった。好きだけれど、それは恋じゃない。しかし光二が一歩踏み出してしまった以上、断ったらこれまでのように仲良く楽しく過ごすことはできないように思えた。
 断りたい。けれども断ってはいけないような圧迫感にむせかえりそうになりながら返事を引き延ばしにすることを了承してもらった。
 それから一週間、悩んだ。茜にも相談した。
 でもどうしても恋にはなりそうにないと思った。それなら断るべきだ。それで二人の関係が壊れようとも。答えを伝えようとした瑞穂に光二が言った。

「俺、瑞穂がいるからF学にしたんだ。……気づいてたかな」

 断る間際の言葉が瑞穂に重くのしかかった。
 だめだと思った。自分のために進路を変えた光二を拒むことはできない。してはいけない。でも瑞穂の気持ちは光二に向いていない。

「私、光二のことはいい友達だと思ってる。いきなりつきあうって気持ちにはなれない」
 そこまでは考えてきた通りの言葉だった。そして、重い気持ちをひきずりながらつけたした。
「でも、そこからでいいなら……」
 光二の答えは、もちろん決まっていた。

 そんなふうにして光二とのつきあいは始まった。
 茜は「なんで!?」と声を上げた。瑞穂が断るつもりだったのを知っていた立場としては当然そうなるだろう。経緯を話した瑞穂に茜はやりきれない顔で「困ったことがあったら相談して」とだけ言った。それに頼って、瑞穂は光二とのことについては終始茜に相談してばかりだった。宏樹には詳しいことは何も言わなかったが、光二からある程度情報が行っているはずだった。そんな宏樹は基本的に傍観者の立場を貫いていた。下手に入りこまれるよりはずっと有り難かった。

 二人で会う時はいつだって気が重かった。光二は優しいし、会話も楽しい。それが友達としてなら申し分ないのに、ふとした瞬間につきあっているんだと思い出して途方に暮れた。
 手を繋ぐのはそれでも早い段階で慣れた。
 キスはいつも違和感があった。
 キスされると思った次の瞬間には目を閉じながら、これがなければいいのにと思っていた。
 瑞穂のぎこちなさは光二にも伝わっていたはずだ。四人でいる時には自然なのに、二人でいる時は不自然になる。それが相手をいい意味で意識しているのではないことは雰囲気が物語っていた。だからこそ光二なりにゆっくり進めていくつもりだったのだろう。

 季節は夏から秋に変わり、そして冬を迎えようとしていた頃、光二が次の段階を望んだ。けれども服の下に滑り込んだ手が素肌に触れる感触にぞっとした。
 ダメだ。
 無理だ。
 これ以上は我慢できない。
 これまでずっと我慢してきたのだと、それから光二とは本当の意味で恋人にはなれないのだと意識した瞬間、瑞穂は光二を突き飛ばした。
 それまで曖昧な態度で、ひっそりと思いを殺しながら光二を受け入れてきた瑞穂の初めての拒絶に光二は呆然とし、すぐに罪悪感でいっぱいの表情を浮かべた。
「ごめん、瑞穂。そんなつもりじゃなかった」
「……無理」
 絞り出した声は自然と震えた。涙を流す瑞穂に光二が息を飲んだ。慰めようと触れようとした手を振り払って、瑞穂は手で顔を覆った。
「やっぱり、無理。光二とはつきあえない。ずっと我慢してたの。キスだって辛かった。これ以上つきあったって私達、お互いに傷つくだけだよ。こんなことなら最初に断っておくんだった。……ごめん、ごめんね、…………光二…………」
 泣き崩れた瑞穂に途方に暮れた光二は、それでも首を縦に振らなかった。

 誰にどんなことが起こっても日は流れる。
 光二は瑞穂との関係の修復に努めようとしたが、瑞穂は一切受け付けなかった。瑞穂の完全な拒否に最後は光二が折れる形になった。
 学校では相変わらず四人でつるんでいたけれど、瑞穂と光二の会話がぐっと減った。アンバランスな関係のまま、瑞穂達は新年を迎えた。
 年明け早々顔を合わせた光二は思い詰めた顔で「前のような友達に戻りたい」と言ってきた。それを拒む理由はどこにもなかった。瑞穂は一つ返事で快諾し、少しずつ距離を戻していった。完全に戻ることは流石に無理だったが、友達としてつきあう分には十分なくらいにはなった。ただ、その距離が不意に近くなりすぎたりしないよういつも注意するようになった。物理的にも、精神的にも。同じ間違いはもう起こしたくなかった。

 二年になっても瑞穂と茜は同じクラスだったけれど、光二と宏樹とは離れてしまった。二年になって少しした頃、光二に彼女ができた。四人でいる時に、告白されたと困ったように言った光二に瑞穂は何も言えなかった。一年前だったら「試しにつきあってみれば?結構いい子かもよ」なんて軽口を叩いていたに違いない。光二には幸せになって欲しいと思うものの、それを口に出せる立場ではなかった。結局、光二はその同級生とつきあい出したが二ヶ月程で別れてしまった。
 秋になって再び光二に年下の彼女ができたが、それも二ヶ月足らずで別れてしまった。
 どちらも相手から告白されて、光二の方から別れるというパターンだっただけに瑞穂としては穏やかな気分ではいられなかった。
 どうして別れたのかという宏樹の問いに「なんか、違うんだ」と曖昧な答えを返した光二の奥底にあるものに気づいてやりきれなくなった。だからこそ、瑞穂はそれまで以上に光二との距離感を気にするようになった。

 そして時は流れ、光二は次の彼女を作らないまま、瑞穂も誰ともつきあわないまま、高校生活三年目の春を迎える。元々瑞穂の心情を汲むことに関しては群を抜いていた光二は瑞穂の親友のポジションに収まりながら危ういバランスを保っていた。
 もうお互いを気をつけないように。臆病な心で窺いながら、距離を調整しながら。
 
 その関係が今、崩れかけている。
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