days

モドル | ススム | モクジ

  57  

 瑞穂が早退した日の翌朝、学校に着いたばかりの良臣に宏樹が寄ってきた。それ自体は何でもないことだがその表情が険しいのは珍しい。良臣がどうしたのかと声を掛ける前に宏樹が良臣の腕を引っ張った。
「ちょっとつき合えよ」
 そうして連れてこられたのは人気のない裏庭に延びる外廊下だった。
「おい、あと五分くらいでチャイム鳴るんだけど」
「お前さ、倉橋とどうなってるわけ?」
 意外な、それでいて直球の質問に良臣は一瞬唖然とする。
「倉橋さんと?」
 尋ね返すと宏樹が皮肉げに顔を歪めた。
「倉橋さん?お前昨日、名前で呼んでたよな」
「は?」
「倉橋が倒れた時、『瑞穂!』って言ってた。その時は倉橋に目が行ってたからそこまで頭が回らなかったけど、後で思い出してびっくりしたよ。俺のことも名字で呼ぶお前が女を呼び捨てしてるんだもんな」
「そうだったのか?」
 記憶にない良臣は再度尋ねるが返ってきた言葉は肯定だった。咄嗟のことだからつい馴染みのある名前で呼んでしまったらしい。そこまで考えた上で宏樹は聞いてきている。今度はどう話すべきか良臣は考える。嘘はだめだ。一つ嘘をつけばそこからどんどん広がって際限なくなってしまう。それも瑞穂を巻き込んで。それはやってはならない。だから話すならば本当のことだけだ。どこまで言う?
 黙る良臣に宏樹が詰め寄る。
「どう考えたって普通に話す程度の仲じゃないだろ」
「……どうして坂本がそんなにむきになるんだよ」
「お前ん家のことは仕方ないにしてもさ、それ以外のことであまりに蚊帳の外にされるのは気分が悪い。俺、他のやつよりはお前と仲いいと思ってんだけど、それって勝手な思い込み?それともなんだよ、倉橋と隠さなきゃいけないような関係にでもなってるわけ?お前、昨日は倉橋送る為に早退するし。他の奴らには一応家の用事って話にはなってるけどさ。俺、混乱してるし怒ってるよ。それともう一つ、光二もお前が倉橋のこと呼び捨てにしたこと気づいてると思う」
 最後の内容に良臣は軽く目を瞠る。
 瑞穂とつきあっていたという中西光二。夏休みにやけに誘いが多いと瑞穂が悩んでいた。
 昨日の光二の訪問は宏樹の言ったことが原因かもしれない。光二の方は恐らく瑞穂と良臣のことについては知人程度の認識しかなかったはずだ。そこに昨日のあれだ。光二が宏樹と同じように想像したならば。光二の動揺は宏樹の比ではないだろう。
 まずいな。
 良臣は考え事をしている間に落ちていた視線を上げた。



 朝のホームルームの途中で瑞穂の携帯電話が震えた。こんな時間に誰だろうと人目を憚りながら机の下で開いてみれば良臣からメールが届いていた。このタイミングで届いたということは良臣がホームルームの最中にわざわざ打っていたということで、そこまでして送られてきたメールに瑞穂は僅かに緊張した。
 開いたメールは長文だった。目を通す瑞穂の目が段々険しくなる。そこには昨日瑞穂が倒れた時、良臣が名前で呼んだこと。それに宏樹が気づいて瑞穂と良臣の仲を疑っていること。そして恐らく光二も同じことを考えているだろうこと。
 そんなことになっていたのかと瑞穂は渋い顔で携帯電話をしまった。
 担任の話が続く中、瑞穂は膝の上で拳を握る。
 良臣は宏樹に投げかけられた質問の答えを保留にしたらしい。「その話は今度にしてほしい」と言われた宏樹は絶対に話すことを条件に今回は見逃したと書かれていた。この件について良臣から瑞穂に出された指示は3つ。嘘をつかない。真実を話さない。何か有ったら情報を共有する。いずれにせよ具体的な内容ではない。
 今朝、光二はやってこなかった。けれど朝の会が終わったらやってくるだろう。そこでこなければ次の休み時間。今日中に何かアプローチがあると考えた方がいい。そこで光二から良臣とのことを聞かれるかどうかはわからない。ただ心構えはしておいた方が良い。
 覚悟した瑞穂に、光二が訪れてきたのは昼休みのことだった。



 光二から話があると教室から連れ出されてやってきたのは裏庭に続く外廊下。基本的に人気のないこの場所は今日も見事に誰もいなかった。
 浮かない顔をした光二はどう切り出そうか迷っているようだった。いっそそのまま切り出さないで欲しい。そう思うけれど、今日でなければ明日、明日でなければ明後日と引き延ばされるだけだ。きっといつかやってくる。それならばと瑞穂の方から口を開いた。
「話ってなに?」
 光二が緊張したように固まる。強張った顔で彼が尋ねるのを、瑞穂は必死で緊張を押し隠しながらやりすごす。
「……気のせいならいいんだけど」
「なに?」
「1組の狩屋となにかあった?」
「どういうこと?」
 意味が分からないという顔をうまく作れているだろうか。瑞穂は震える手をきつく握り締める。
 光二の目が悩ましげに瑞穂を捉えた。
「昨日、瑞穂が貧血を起こした時。聞いたんだ。狩屋が瑞穂のこと呼び捨てにしたの」
「……そう」
 既に届いている情報とはいえ、光二から話されると動揺してしまう。けれどそれを光二に悟られてはいけない。
「狩屋は友達だよ」
 明るく努めて言うと光二の瞳が僅かに曇った。
「狩屋と?」
「光二には意外だよね。私も変な感じはするけど。お母さん同士の繋がりでよく顔も合わせてたらいつの間にか友達になってたかな。それがどうかした?」
 なにか問題ある?
 敢えて笑顔を向ければ光二が口ごもる。けれどもそのまま黙ってはいられなかったようだ。
「俺、全然知らなかった」
「大丈夫。きっと学校の人はみんな知らないよ。なんか変な噂立てられたら嫌だから学校ではほとんど話さないんだし。光二も辺に騒ぐのやめてよね。勘違いされたらたまらないよ」
「瑞穂」
 明るく話す瑞穂に光二の重い声が待ったをかける。その重さに瑞穂は思わず息を飲んだ。
「もしかして、俺に隠そうとしてた?」
「隠す?」
「俺が言わなきゃ、狩屋とのことずっと言わないつもりだった?」
 光二の視線が下がる。直接瑞穂に向けられていない視線にある種の危うさが潜んでいる。それに気づいていながら瑞穂は光二の気持ちを理解していない振りをすることを選ぶ。それしか方法が見つからなかった。
「大げさだよ、光二。友達が一人増えたくらいで光二に報告するの?」
「友達なのかな」
「なにを……」
「本当に友達なのかな」
 再び上げられた顔はまるで瑞穂を咎めているようだった。
 疑いたくない。けれども信じられない。そんな光二の気持ちが伝わってくる。
「俺は狩屋のことは全然わからないよ。でも、瑞穂が倒れた時あいつが誰よりも早く名前を呼んだ。いちはやく駆けつけた。その後の対処も全部あいつがしてた。狩屋ってそういうやつなのかな。対処はともかく、誰より早く瑞穂の異変に気づいたのは狩屋が他でもない瑞穂を気にしてたからじゃないか?少なくとも俺は宏樹と話していて反応が遅れた。悔しいし……なんだか狩屋に負けた気分だ」
「光二」
「わかるかな、瑞穂。本来だったら俺が一番最初に反応する場面で狩屋が俺より先に行動したんだ」
 それが意味するものは友達なんかじゃない。
 光二が声に出さなくとも言いたいことは伝わった。けれども瑞穂はそれを認めるわけにはいかない。確かに良臣は単なる友達なんかじゃない。でも光二が邪推するような仲でもない。これ以上のことは何も言えない。
「狩屋は友達だよ」
 もう一度だけ強い口調で繰り返す。それを聞いた光二が落胆したように瞳を閉じた。誤解が深まっているのを目の当たりにしながら瑞穂はそれを解く術を持たず、予鈴が鳴るまで二人でその場に立ち尽くしていた。  
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) ring ring rhapsody All rights reserved.
  inserted by FC2 system