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 朝目覚めると天井の色に戸惑う。
 青みがかった白は朝の光の中でもどことなく不健康な輝きを持っている。元々自分の部屋とはいえここ数ヶ月でクリーム色の天井に慣れてしまったからにはその健康的な色合いでないとなんとなく落ち着かない。
 着替えてキッチンに行けば既に3人がテーブルについていた。父の孝良は兄の孝臣と朝から経済について議論をしているようだ。高校生の良臣が軽々しく入れない話題であることに小さく安堵する。「おはよう」と形だけの挨拶をして自分の席につく。食卓に置かれているのはトーストにスクランブルエッグ。確かに朝食らしいかもしれないがこれしきで腹を満たせというのは無理な注文だった。それでも良臣のところには申し訳程度にトーストが2枚置かれている。やはりそれでも物足りないから途中で間食できるものを買っていこうと決める。
 黙々と食事を始めると母の玲子が思い出したように口を開いた。
「良臣、戻る時に志帆に届けて欲しいものがあるのよ。いいかしら」
「いいよ。それまでに忘れないで渡してくれれば」
「助かるわ。約束していたお土産なんだけど、直接行く時間がなくて。それから新作の中で志帆に良さそうなものもあるからそれも一緒に」
「わかった」
 良臣としては玲子と瑞穂の母である志帆が親友だということが信じられない。同じ美大で出会ったということだが、どう考えても性格が違う。玲子は向上心が強く逞しいが自分本位なところも多い。対して志帆は責任感は強いものの優しく温かく家族思いだ。玲子が思いやりの少ない人間だと言うつもりはないが――なぜ。世の中は本当に不思議だと思う。
 良臣は玲子にこれくらいのことを頼まれるのは大したことではないのですんなり引き受けたが孝良が黙ってはいなかった。
「自分の用事を良臣に押しつけるな。それくらい自分で何とかしろ。郵送だってできるだろ」
「なによ、これくらい。郵送よりも良臣の方が信用できるから頼んでるんじゃない」
「相手もいい気はしないんじゃないか」
「志帆はあなたと違ってわかってくれますからお構いなく。大体良臣は引き受けてくれたわ。あなたは口出ししないでちょうだい」
「勝手な女だな」
 2人同時にそっぽを向くところは仲がいいのか悪いのか。――残念ながら仲が悪いというのが真実なのだが、良臣と孝臣はこれくらいで収まったことにホッとする。これが食事もできない程の喧嘩になると大変だ。良臣と孝臣で手分けして2人をそれぞれ別室に連れていかなければならない。その場合玲子を引っ張る役割は良臣だ。残り4日でその作業をしなければならない事態が起こらないように祈るしかない。祈るなんて自分らしくない。そう思いながらもやはり良臣は食べながら祈らずにはいられなかった。



 何かにつけて反発し合う両親。
 ビジネスともなればそれはなりを潜めるが家族を基調として過ごす時には私生活がメインになるから衝突も多くなる。時には玲子が物を投げつけてガラスが割れるなんてこともある。孝良の方は暴力には訴えないもののそれは腕力に限った話で言葉の暴力は際限ない。
 良臣が受験生で久々に帰省するということもあるからだろう。戻って3日間は特に酷いことは起こらなかった。孝臣が良臣に向かって気に障ることを投げかけることはあったがそんなのはささやかな出来事だ。孝臣も両親が爆発しないように気を配っている。良臣と言い合いになればその火が両親に移らないとも限らない為に兄弟はなるべくその原因を作らないように細心の注意を払っていた。
 そんなふうに生活していれば良臣が家にいる時間をほとんど自室にこもって勉強していたとしても影響は出る。ストレスの溜まり方といったら倉橋家にいる時の比ではなかった。しばらく温かい家庭というものに浸かっていたものだからそのギャップがたまらない。疲れは隠しきれないようで宏樹が心配そうな顔で指摘してきた。
「栄養ドリンクでも欲しそうな顔してるな」
「おごってくれんの?」
「いや、それは財布が厳しいから勘弁。でもなんか本当にお前干からびそう」
「干物はちょっとな。美味いのは海産物くらいだろうしな」
「ドライフルーツはだめなのか」
「あれは干物か?」
 食べ物の話で誤魔化そうとしたわけではないが、宏樹は真剣に考え始めてしまった。自分なりの答えが出るまでは話しかけてもまともに返事をしないだろう。それはそれで良臣に都合がいいから放っておく。
 食べ物と言えば帰省して以来あまり美味いものを食べていなかった。朝は母の料理――と言っても毎朝同じメニューだ。しかもトーストとスクランブルエッグが料理の内に入るのか。時々ヨーグルトがつくがそれだって料理ではない。昼はコンビニか購買で適当に選んだパンかおにぎりがメインになる。まずくはないがそれ以上にはならない。夜食は家政婦が作った料理だ。これは流石に食事らしい食事だが特に美味しいとも思えなかった。家の中の空気が悪いのもある。良臣自身の心持ちもある。腹は膨れるものの食べた気はしない。早くも倉橋家の食事が恋しくて困っている。志帆や瑞穂の作った料理が食べたくてたまらない。
 狩屋、と名前を呼ばれて顔を上げる。そこにはすっきりした表情の宏樹がいた。
「船橋に辞書を借りて調べたぜ。干す干物は魚介類な。乾物ならドライフルーツも入るってさ。良かったな。これで解決だ」
 ポンと肩に手を置かれた良臣は問題をすり替えられていることに呆れつつ「そうだな」と投げやりに頷いた。



 木曜日は瑞穂も塾に通う日だ。流石に倉橋家まで送ることはしないが、それでも途中の駅まではついていることにした。
 梅雨の頃に痴漢が頻繁に出るという情報が増えたのをきっかけに一緒に帰り始めたのがすっかり習慣になってしまっている。別に同じ家に帰るのだから送るわけでも何でもないのだが、帰省している現在は家の方向が違うのでどうしたものかと考える。しかし月曜に駅までは同行したのだから今日それをしないのはおかしい。そうと決めればいつものように待ち合わせのコンビニに向かう。
 良臣がコンビニに着いて3分もしない内に瑞穂がやってきた。2人は駅までの道を普段より僅かにゆっくり歩いていく。
「狩屋、ちゃんと食べてる?」
 瑞穂に尋ねられた良臣は取り敢えず首を縦に振る。食べるものはしっかり食べている。それは正しい。
「その割にはなんか疲れてるね」
「そりゃあ疲れてるからな。あの家、いるだけで疲れる。ダイエットしたかったらお前も来いよ」
「できればもっとまともな方法で痩せたいんだけど……」
 瑞穂の切り返しは良臣にとって意外だった。見慣れた瑞穂の姿を上から下まで眺める。標準体型だ。特に痩せる必要はない。いくら良臣でも本当に痩せる必要のある人間にダイエット云々は言わない。けれど瑞穂は痩せたいのだろうか。それならいっそこのまま連れて帰りたいぐらいだがそんなことをしたら本当に瑞穂は痩せてしまうに違いない。いくらなんでもそれは大問題だ。だから良臣はその考えを捨てる。
「あのさ、ついいつもの癖で4人分作っちゃうんだよね。ご飯」
 瑞穂が長い髪を後ろに払いながら言い出した。瑞穂の作る料理を想像するだけで良臣はよだれが出そうになる。パブロフの犬か、と自分につっこんだ。
「だから1回じゃ食べきれなくて次の朝ご飯になっちゃうの。狩屋がいればそんなことないんだけどね。いや、うっかり作っちゃう私が悪いんだけど」
 取り敢えず、と瑞穂が良臣の顔を見上げた。
「日曜、帰ってきたらみんなで美味しいご飯に行こう。でもって月曜の夜からはまたちゃんと栄養つくご飯作ってあげるから」
 その先は続かなかった。けれども良臣には瑞穂の言いたいことが大体伝わった。
 だから安心して倉橋家に帰ってきなよ。
 その気持ちだけで十分だった。良臣の表情が和らぐ。その顔を見られたくなくて瑞穂の頭に手を置いた。
「リクエスト、思いついたはしからメールするから」
 期待してるぞ。
 わざと挑発的に言えば瑞穂が笑った。
「任せなさい」
 頼もしい響きに良臣はこれならあと3日頑張れそうだと自分を励ました。
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