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 時計の針が授業終了の時間を示した。
 数学の先生が顔を上げる。
「よし、今日はここまでだ。明日の模試はしっかり点取れよ」
 そのしめくくりを聞いて生徒達がパラパラ席を立ち始める。瑞穂もその流れに乗って塾を出た。
 8月も2週目を終えようとしている。今週取っていた講座の最後の授業が終わった。一番遅い時間帯に数学のセンター対策授業が入るのは辛かった。勉強しないといけないんだから仕方ないと思おうとしても頭がついていかない場面が何度あったことか。明日の模試はどうなるだろう。考えるのも嫌になる。
 いつものコンビニの中に良臣がいるのを確かめる。今週、良臣は最後の時間に授業がなかった。自習室にこもって塾以外の二次対策問題集を進めているという。明日のセンター模試は既に眼中にないようだ。これだからあいつは。八つ当たりしたくなる気持ちを舌打ち一つに変える。
 ガラス越しに瑞穂と良臣の視線が合う。それならもう瑞穂がコンビニに入る必要はなかった。そのまま足を進めれば、コンビニから出た良臣が斜め後ろにスッと入る。
 無言で歩く中、電柱やら掲示板やらに貼られたポスターが目に付く。明日の花火大会を知らせる内容だ。この近くの川で毎年行われている。それなりの規模なので人も結構集まってくる。そういえば今日の塾では明日の模試の後に見に行くかどうかで盛り上がっている他校の男女グループがあった。今のコースでは少し浮いている集団だ。模試が終わった後ならともかく、今そんな話をしてるなんてお気楽すぎ。席が近い同じ学校の女子が瑞穂に向かってそんな嫌味を言ってきたことも覚えている。どちらにも大して興味を持てなかったので適当に流していた。ただ、明日の帰りに駅周辺がこむのは今から覚悟しないといけない。丁度人がこちらに流れてくる時間帯だ。人の熱気を想像して辟易する。そんなこと考えている場合ではないのに。



「明日、花火でしょ。帰りに見てくれば?」
 良臣と並んで夜食を取っているところに風呂上がりの志帆がやってきた。その内容に瑞穂はサラダを喉につまらせる。
「あら大丈夫?だめよ、しっかりかまないと」
「……ってお母さん、受験生がそんな脳天気なことしてていいと思う?」
「いいじゃない。毎日遊びほうけてるわけじゃないんだし。ずっと家と塾にいるじゃない。肌もそんな白いままで不健康よ。たまには気分転換しないとだね。先は長いんだから。どうせ塾帰りでしょ。二人で行ってらっしゃい」
 二人でと言われて瑞穂と良臣は軽く顔を合わせる。
 あんたと?
 お前と?
 互いの声にならない台詞を読み取って視線を解く。塾こそ一緒に行ったり帰ったりするが、花火を一緒に見るとなればそれは別物だ。小学生でもないのに、志帆は自分の提案の意味をわかってるんだろうかと軽くムッとしながらきゅうりの漬け物に箸を伸ばした。口に入れたところで、志帆がにこりと笑った。
「そのまま帰ってきたら、追い返すからね。明日は何がなんでも寄り道して帰ってきなさい。お母さん、お父さんと一緒にここから花火見るんだから」
 まさか邪魔なんてしないわよね。そしたらどうなるかわかってるわよね。
 暗に言い含められ、瑞穂は何度も首を縦に振った。
 出張や旅行で何かと家を空ける誠吾と志帆の二人きりの時間には触れない方が良い。幼い頃からの刷り込みだ。どうやら今回もそれに逆らうわけにはいかなそうだ。志帆はただでさえ先週誠吾が一人で旅行したことを悔しがっているのだ。良臣の母である玲子にはけろっとした表情を見せていたけれどそれが作られたものであることは瑞穂も良臣も知っている。誠吾が沖縄に発った後、二人を前に酒を飲みながら「一人で行っちゃうなんて」「せめて予定をずらすくらいのことしてくれたっていいじゃない」「埋め合わせって行ったって近場で一泊二日じゃない」「いつもいつも私は留守番なんだから」と一人愚痴大会状態だった。終わった後、「私達、受験生なのにね」「そうだな」と珍しく同士のような気持ちを抱いたのは記憶に新しい。良臣もその時のことを思い出したのか、諦めたように一回頷いた。



 最後の教科のマークシートを前に回した瑞穂は深いため息をついた。今回の模試もよくない結果になるのは見えている。勉強はした。それこそ、夏休みに入ってからずっと勉強ばかりしている。良臣にも教えてもらって、少しずつだけど確実にわかることを増やしてきている。今日だって、一ヶ月前の瑞穂だったら解けないような問題も一応答えを出せた。それでも解けないまま適当に答えを書いてしまったところもある。数学UBなんてそのいい例だ。他の教科も前回より出来ているような気がするけれど、それでもその前回はD判定だ。少しくらい解けた気になってもたかがしれている。先の長さを思うと一気に肩が重くなった。
 模範解答をもらった瑞穂は今日も流れに乗って塾を出る。そしていつものようにコンビニに足を向けようとしたところで今日はそのまま帰るなと言われていたことを思い出した。志帆は良臣と花火を見てこいと言ったが、その通りにするのは少し躊躇いがある。男と二人きりで花火を見るというとやっぱり特別な関係のように思えてしまって、それを良臣とすると考えると違和感がぬぐえない。
 デパートに寄って買い物でもしていこうか。それまで別行動を提案したらどうだろう。
 それは思いの外いい考えのように思えた。取りあえず連絡をしよう。携帯電話を取りだした瑞穂はメールが届いていることに気づく。二件ある内の一通は光二、もう一通は良臣だった。先に光二の方を読んだ瑞穂は一瞬動きを止めた。
<From 中西光二
  Sub 模試お疲れ
 本文 今日のは意外なところから出たやつがいくつかあって焦ったよ。瑞穂はどうだったかな?お互い、勉強の成果が出てるといいんだけど。俺はどうやら厳しそう(^^;今日は花火大会だけど瑞穂は見てく?俺、今駅なんだけどなんだったらこの後合流しない?瑞穂が行くなら俺も行く>
 何を考えているんだろう。光二は自分が言っていることがわかっているんだろうか。わかっていないわけがない。別れてからはしっかり線を引いてきた。基本的に二人では会わない。例外は瑞穂が悩みを抱えている時くらいのものだ。光二しか相談に乗れないような、そんな場合だけ。でも今日の瑞穂は違う。大体光二とはほとんど連絡を取っていない。光二の方から送られてきたメールに最低限の返事をするだけ。そんな状態で瑞穂のことが光二にわかるわけない。三者面談の話もしていない。それとも、今日の模試のことも含めて光二は全て見越したつもりでいるのか。瑞穂が落ち込んでいるとでも?――勝手に判断されるのは不快だ。それが本当のことでも。
 もちろん、そうでない可能性はある。でもそっちの方が厄介だった。光二とデート?それこそ今更だ。
<To  中西光二
  Sub Re:模試お疲れ
 本文 光二こそお疲れ。私は疲れたから帰ります。家からも花火見えるらしくて、親子三人で見る予定。ごめんね>
 一気に打った文章を送信して、良臣のメールに切り替えた。その内容に軽く目を瞠る。どういう意味かと聞き返そうとして返信画面を開く。しかし、直接聞いた方が早いと思い直して走り出した。目的のコンビニに入ると良臣が片手にパンを幾つか抱えてドリンクのコーナーをうろついていた。
「狩屋」
「お前何食べる?一つくらい選んでこいよ。腹減るだろ。あと、何か飲むもの持っとかないと死ぬぞ。暑いからな」
「あのさ、それってどういうこと?」
「寄り道してこいって言われたろ。俺、1000円もらってるんだ。食事代だってさ」
「だからって、本当に行くことないんじゃない?私、デパートでも寄ってこうかと」
「帰りにすればいいんじゃないか?どうせぶらつかなきゃいけないんだったら風物詩の一つくらい見といたっていいと思うぞ。おばさんの言う通り、気分転換は必要だ。ほら、ぐずぐずしてないで選べよ」
 どうやら良臣と一緒に花火を見ることは決定しているらしい。そもそも、メールで「食べるもの買ってから行くぞ」という文面からしてそうだった。一瞬何かの間違いかと思ったけれど良臣がそんなことをするはずがない。瑞穂は諦めて新商品のパンとミニストラップ付きのお茶を選んだ。
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