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 目の前に並ぶのはナスを使ったパスタのランチセット。そんなに敷居は高くない店とはいえ、慣れないナイフとフォークに瑞穂は苦戦する。横には母の志帆がいて、こちらは慣れた様子で食事をしている。これが親子二人きりだったら瑞穂もこんなに緊張していなかった。
 正面には良臣。これもまあ今更だ。
 問題は良臣の横に座る綺麗な女性――良臣の母、玲子だった。
「それで旦那さん、休みなのに一人で沖縄行っちゃったの?」
「仕方ないわね。私が仕事だもの。でも、ちゃんと二人の予定も入れてあるのよ。埋め合わせはちゃんとしてくれるからいちいち怒らないわよ」
「そうなの?志帆のところは平和ね」
 あまり納得がいかない様子で形のいい眉を顰める。
 瑞穂は今日初めて玲子に会った。聞けば、志帆は時々会って食事をしていたらしい。良臣もそれについては初耳だったらしく、物言いたげな目をしていた。
 そもそも、なぜ今四人でテーブルを囲んでいるかというと夏休みに入って学校で行われている三者面談がきっかけだった。良臣の三者面談に行くついでに四人で食事をしたいと言い出したのは玲子だという。瑞穂と良臣は言われるままに車に乗せられ、志帆のおすすめのイタリアンレストランに連れてこられたというわけだ。
 狩屋玲子は多忙なジュエリーデザイナーで国内外をあちこち飛び回っていて滅多に家に帰らない。それでも息子のことは気にするらしく、三者面談の為に一日予定を空けたという。職業柄か身につけているもの一つ一つがとても洗練されていて、とても本来の年齢には見えないことに瑞穂はすっかり感心してしまった。専務夫人でジュエリーデザイナーというだけでもすごいのに。
「私も仕事のついでにちょっと身体を休めてこようかしら。今度パリに行くのよ。美術館巡りなんていいかもね」
「いいじゃない。玲子、好きでしょ。お土産も期待できそうね」
「志帆ったら。そういうちゃっかりしてるところ、好きよ。もし行けたら忘れないで買うようにするわ。息子もお世話になってることだし」
「それはお互い様よ。あんな素敵な家に安く住ませてもらってるんだもの」
「本当はお金なんて要らないわよ。それなのに、ただじゃ申し訳ないとか言うのよね。あなた達は。本当に不思議だわ」
 家賃についての思わぬ経緯を知り、瑞穂は一瞬手を止めた。しかし、すぐにパスタを巻きつけるフォークを動かす。
 志帆と玲子の会話には全く入り込めない。二人の話には少し興味がある。緊張で体が固くなっているけれど、それでも食事は美味しかった。ただ、それだけならこの場にいなくてもいい。お世辞にも居心地がいいとは言えない。玲子はなぜ4人で食事をしたいと言い出したのか。そもそも、そう言ったことを忘れてやしないか。良臣にそっと視線を送るが、全く気づいてもらえない。良臣はただ黙々と食事をしている。二人の会話なんてどうでもよさそうだ。瑞穂が諦めて視線をパスタに戻すが、そこで玲子に声を掛けられて顔を上げた。
「どう?美味しい?」
「はい、とても美味しいです」
 当たり障りのない、それでもって可愛げのない返事。でもそれ以外に何と言えばいいのかわからない。
「瑞穂さんも良臣の食事を作ってくれるんですってね。同じ受験生なのに、申し訳ないわ」
「いえ、元々それが私の分担だったので。大変なことはないです」
「偉いわね。良臣は家事はしないでしょう?」
「そんなことないです。洗い物を手伝ってくれたりします」
「あら、それくらいはできるのね」
 玲子は意外そうに良臣を見た。良臣は流石に無視するのはよくないと思ったのか頷いた。
「ちょっと見直したわよ。私、あなたが勉強しかできない人間になっていたらどうしようかと思っていたの」
「そう」
 少しだけ優しげな眼差しを向ける玲子に対して、良臣はあくまで素っ気ない。視線もほとんど合わせないで食べてばかりいる。皿の上のものがほとんど平らげられている様子を見て玲子はメニューを手に取った。
「まだ食べるでしょう?何がいいかしら」
「デザートでいいよ。アイスあたりで」
「バニラだったわよね?」
「うん」
 今日初めて聞く親子らしい会話だ。瑞穂はほんの少しだけ安心する。全く他人行儀なわけではないらしい。良臣がアイスの中ではバニラ味が好きだというのは瑞穂も最近知ったことだ。僅かでも通じる部分があるならいい。
「志帆と瑞穂ちゃんは?」
「私はいいわ」
「私もそろそろお腹いっぱいになりそうなので」
 二人の返事を聞いた玲子は店員を呼んで良臣の分だけ注文をした。店員が去った後は再び志帆と瑞穂に顔を向ける。
「三者面談、あなた達はもう終わったの?」
「ええ。昨日だったのよ」
 志帆が答える傍らで瑞穂は急に気が重くなる。予定を渡された時から嫌だった三者面談。いい話は恐らくないだろうと覚悟して行った。予想は当たった。
 今のままだと第一志望は厳しいですね。国語はいいんですがね、数学がね。群を抜いて低いですからね。テストを見るとTAの方は点を取れているようですが。国立ですからUBもできないときついですよ。他の教科ももう少し底上げしないとね。私立の方は特に決めていないみたいですが、第一志望を変えないならいろいろ考えてみた方がいいですよ。それとも第一志望を変えますか。そちらはもう少し後でいいと思いますが、考える必要も有りそうですよ。浪人する気はないでしょう?
 そんな話をされた。模試の結果でわかりきっていることとはいえ、改めて担任に言われると厳しいものがあった。似たような話は塾でもされている。塾の方は二者面談で、こっちでは具体的な学校の名前を挙げられた。こちらもまだ変える必要はないけれど、と言い置きして。
 どちらも瑞穂に現実の再認識をさせただけに過ぎなかった。他の大学を薦められても気が動かない。言われれば言われるほど他のところじゃ嫌だと思うだけだ。頑ななのは昔から変わらない。
 今の状況では無理です。そう言われるのなら、状況を変えるしかない。もっと勉強しなくちゃいけない。センター試験まであと半年ない。少なくともそこまでに何とかしなければ。この夏の過ごし方に鳴らされた警鐘に焦りだけが募っていく。
 きっと良臣はそんな話に無縁だ。羨ましいと思う反面、当然だと納得している自分がいる。だって良臣はそれだけの努力をしている。ずっと努力を積み重ねてきて今の良臣がある。それを単純に「頭がいいから」なんてくくりで考えてはいけない。
 良臣だって努力している。だったら瑞穂だってその何倍も努力しないといけない。
 瑞穂がそんなことを考えている傍で志帆と玲子は受験生の親らしい会話を続けている。良臣は黙々と運ばれてきたアイスを食べている。すっかり食欲のなくなった瑞穂は食器を静かに置いた。
  


 その日の塾帰り、瑞穂と良臣は辺りに人がいないのにお互いずっと無言を通していた。
 何かがあったわけではない。ただ、三者面談で言われた内容が瑞穂を暗くさせていた。そのことばかり考えていた瑞穂は自分のことで頭がいっぱいで良臣と全く話していないことに気づいていなかった。昨日はここまで落ち込んでいなかったはずなのに、良臣と対照的な自分を変に意識してしまったからだろうか。そんなの、どうしようもないのに、と自分に言っても効果はない。
 やがて、地元の駅に着いたところで良臣が口を開いた。
「暑いな」
「……うん」
 良臣の言う通りだった。最近、夜でもむしむししている。不快指数は上がるばかりだ。瑞穂は顔を上げて、塾が終わってから初めてまともに良臣の顔を見た。無表情だった。何を考えているのかわからない。
「今日、つきあわせて悪かった」
「え?」
「母さんに」
 ぶっきらぼうな良臣の態度に玲子が嫌いなのだろうかと瑞穂は考える。でも、嫌いとはまた少し違うような気がしてその疑問は胸の中にしまった。
「美味しいご飯をごちそうしてもらって、こっちの方が悪かったなって思ってるんだけど」
 良臣が謝ることじゃないと言えば、渇いた笑いが返る。
「うまいって顔じゃなかったろ。空気って大事だよな。味まで変わる」
「初対面の人と食事なんて緊張するに決まってる。でも、お母さんもいたし。狩屋だっていたじゃない」
「俺はほとんどしゃべってない」
「うん、まあ」
 なんと言っていいのかわからなくなる。年頃の男子なんてあんなもんじゃないの?と言うのは場違いのように思える。じゃあ何を?答えが出てこない。
 困惑する瑞穂を見て良臣が視線を逸らした。
「家にいた時からそうだ。会話らしい会話なんてほとんどない。忙しいからな、親父も母さんも。兄貴もとっくに家を出てる。顔を合わせること自体が珍しい。会ったってまともに話さない。そういう家なんだ、俺の家は」
 不満も文句も満足もない、平坦な話し方からは何を思っているのか知ることはできない。ただ事実を話しているだけのようにも感じる。それにしてはあまりに他人事じゃないか。瑞穂は僅かな不安を抱いた。
「お前んちとは随分違うだろ。正反対だ。お前がうちに来てみろよ。一日もたないかもな」
 最後の方は嘲笑するように良臣は吐き捨てた。
 良臣は自分の家のことをよく思っていない。それが伝わって、瑞穂はまたもやかける言葉に困った。何も知らない身で狩屋家の話に首をつっこむのは失礼だし、良臣の気を損ねるだけだ。それなら、と瑞穂は思いきって尋ねる。
「狩屋は、うちのこと好き?」
 良臣の足が止まる。振り返った顔は確かに驚いていた。けれどもそれはすぐに前に戻される。
「馬鹿なこと聞くなよ」
 素っ気ない返事だったが、ちらっと見えた横顔に穏やかなものを見つけて瑞穂は目を細めた。
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