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  34  

 瑞穂の様子がこれまでと違っている。
 ここまで試合を見てきた光二と茜はそのことに気づいていた。競技が思い切り違うとはいえ、スポーツをしている茜から見るとまるで別人かと思うような動きの差に違和感がどんどん大きくなっていく。
 また紗枝に1点取られたのを見て、誰に話しかけるでもなく自然と声が出た。
「瑞穂、どうしちゃったの」
 1組のくせに茜と一緒に試合を見ていた宏樹は茜に意外そうな目を向ける。
「野島の方が強いってだけだろ?あいつ、元テニス部だし」
「そうじゃなくて。瑞穂、さっきの試合の半分も動けてない。どこも悪くなさそうなのに、おかしいってば」
「でも、手を抜いてるとか、やる気がないとか、そういう感じじゃないみたいだけど」
「わかってるよ!だからおかしいって言ってるの!」
 理解のない男め。茜は宏樹を睨みつけた。それを一、二歩下がったところで見ていた良臣は僅かに眉を顰めた。
 外野がぼそぼそ言ったところで何も変わらないだろうに。
 ただ瑞穂と親しい友人の発言は良臣も気になった。
 この試合で初めて瑞穂がテニスをしているところを見た。それまではちらっと見えてはいたものの、紗枝の応援につきあわされていたからまともに見たわけではなかった。
 テニスのことはわからない。素人目で判断するしかないが、今は紗枝の方が優勢に見えた。瑞穂はボールに追いつけていないことが多い。打ち返したボールはかなりいいコースに入って得点になっていたが、それにしても反応が鈍い気がした。 
 何より気になるのは顔色が悪いことだった。体調が悪いのとは少し違う。息切れもそんなにしていないのに、どうしてあんなに苦しそうな顔をしているのか。
 一体何が起こっているのか。
 見定めようとしても良臣にはわからない。ただ、瑞穂が辛そうだとわかるくらいだ。多少の歯がゆさを感じ始めた頃、茜がそれまで何も言わなかった光二に声をかけた。
「光二、知ってるんじゃないの?」
 宏樹と良臣の視線も光二に寄せられる。
「光二、瑞穂がテニスに決まってから変だったよね。すごく心配してた。まずいって言ってたのはなに?今の瑞穂と関係があるんじゃない?」
 光二の顔が歪んだ。視線は瑞穂に向けたまま、少しの間何も言わなかった。けれども沈黙はすぐに破られる。
「瑞穂、中3の夏にひどい怪我をしたんだ」
 俺も後から聞いた話で、全部を知ってるわけじゃないけど――。
 そう前置きをして光二は知りうる限りの瑞穂の過去を話し始めた。
 それを追っていく内に、良臣の中でパズルが繋がっていく。
 要は、テニスは瑞穂にとって昔熱中していたものであると同時に、辛い過去、トラウマだったというわけだ。
 だから瑞穂はしばらく調子がおかしかった。期末テスト前の様子を思い出す。
 けれど、瑞穂はある程度吹っ切れていたはずだ。3年の間に傷がある程度癒えていたこともあるだろう。けれど、不安に思っていたところも乗り越えようとしていた。だから自分のラケットを出して、球技大会に出た。最初はどんな気持ちだったかわからない。でも勝ち続けたのは、瑞穂が過去を乗り越えようとしていたからだ。そうでなければ3位決定戦まで残っているわけがない。それに昨日の夜、明るく笑っていたじゃないか。
 原因は疑うまでもない。野島紗枝だ。
 試合前に昔の瑞穂を知っていると言った。トラウマの原因となった試合のことも言っていたと思う。それが瑞穂のスイッチを押してしまったのか。
 また紗枝が点を取った。
 今、瑞穂は紗枝のことをまともに見ていないかもしれない。
 このまま瑞穂が過去から解放されないでいれば試合は紗枝が勝つだろう。間違いなく。それは同時に瑞穂が新しい傷を抱えることを意味していた。



「ゲーム、野島!」
 いろいろなことが頭の中をぐるぐると回っている。その間、足はやはりうまく動いてくれなかった。
 3年前の恐怖がこんなにも残っているなんて知らなかった。知りたくもなかった。
 でも、負けるのは嫌だ。あの時のように負けたくない。まともに試合ができることもわかっているのに、怖い。やっぱり足が動かない。
 悔しいけれどどうにもできそうになかった。
 なんでこんなことになってしまったんだろう。
 紗枝が、彼女があんな余分なことを言わなければよかったのに。自分で思い出すのと人に言われるのでは痛みも違う。テニスを頑張っていた頃の瑞穂を知る人なんてF学にはいないだろうと安心していたのにそうではなかった。そのショックもある。
 まだ1ゲームも取れていない。このまま終わるしかないのか。
 思わず唇を噛む。でもこの状況を変えない限り、瑞穂の足が恐怖から抜け出さない限り、紗枝に勝てない。じゃあ、一体どうしろと?
 苦い思いを抱えながら後ろに転がっていったボールを拾うべく向きを変える。5組の声援があちこちから飛んでくる。一方で、紗枝に対する声援も。
 ボールはコートの入り口のところにあった。少しフェンスの外に出ている。そこまで歩いて行くと、瑞穂よりも先にボールを拾う影があった。良臣だ。
「ボール、ありがとう」
 良臣からボールを受け取る。すぐに引き返そうとしたけれど、「瑞穂」と周りには聞こえない声で呼ばれて目を軽く見張った。学校で良臣から名前で呼ばれるのは初めてだ。
「お前、誰と試合してんの?」
 さっきよりは大きくなった声に、瑞穂は息を飲んだ。
「誰って、そんなの」
「俺にはお前がボーっとしてるように見えるんだけど」
「――――あ」
 良臣の言葉が妙にクリアに聞こえた。
 私は本当に今、野島紗枝と試合をしているの?――違う。3年前のことを思い出して、また勝手に傷ついているだけだ。今試合をしているのはあの時の相手じゃない。瑞穂だって、怪我をしていない。身体は昨日からの試合で疲れているけれど、それだけだ。どこにも悪いところはない。
 急に世界が開けたような感覚に包まれる。
 瑞穂は何も言わずに、そのままチェンジコートをするべく反対側のコートに向かった。その途中、同じくチェンジコートをする紗枝とすれ違う。彼女の瞳には失望が映っていた。
「倉橋瑞穂ってその程度?」
 その瞬間、ぷつんと糸が切れた。瑞穂の足が止まるが、紗枝はそのままコートに入っていく。
「ふざけたこと言ってくれるじゃない」
 腹の底からわき出る怒り。それが口からこぼれるのを抑えられなかった。
「私がこの程度?このまま終わるって?冗談じゃない」
 既にコートに入った紗枝を睨みつける。
「絶対に後悔させてやる」
 ここからが本当の試合だ。
 負けない。絶対に。
 勝つんだ。勝ってやる。野島紗英に。
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