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  32  

 審判のコールが響き渡る。
 試合が今始まるというのに、気持ちは全然落ち着かなかった。ネットを挟んだ向こうにはボールをバウンドさせてサーブの準備をしている紗枝がいる。それを受けるべく、膝を沈めて備えるけれど、だめだ。
 焼きつけるような太陽、青い空、テニスコート。もしかしたら顔を合わせていたかもしれない対戦相手。
 全てが奇妙な既視感に包まれて、3年前の記憶が甦ってくる。
 


 最初に違和感があったのは、地区予選の前だった。
 練習中に、ボールを追いかけていて足に小さな痛みを感じた。それでもすんでのところで間に合って捕らえたボールは瑞穂の狙い通りのコースに決まっていく。仲間から上がる歓声に笑顔で応えながら、少し無理に走ってしまったかなと思った。最初の一歩が遅かったせいで、途中の加速が急になったのかもしれない。次は気をつけよう。
 そう思った時、痛みはもう感じられなかった。だからその後もいつも通り練習をした。
 ――けれど。
 それが一時の無理や偶然、ましてや勘違いなんかじゃないと思うようになるのに時間はかからなかった。
 
「……っ」
 ツキンと右足に走った痛みに思わず足を止めた。黄色いボールが目の前でバウンドし、視界から消えていく。つられるように目で追えば、ボールは勢いを失ってフェンス前で止まる。それを拾いに行こうと歩けば、痛みは感じない。でも走る度に甲で存在感を主張するそれを無視することはもうできなくなっていた。
 でも、既に地区予選は始まっている。現に、今だって準決勝進出をかけて戦っている最中だ。うちの部で勝ち残っているのは自分を入れてあと3人。その中でも、瑞穂は注目株だった。応援だって他の2人よりも多くつけてもらっている。ボールを拾えば、フェンス越しに同級生の励ましの声がかかる。
「瑞穂、今反応遅れたよ」
「このゲーム取ればベスト4!頑張って!!」
「集中!」
 力の入ったガッツポーズに小さなガッツポーズで応える。
「ありがと。もうひと集中してささっと決めてくるわ」
 余裕なんてない。足のことが気になって仕方ない。走る回数が多くなればなるほど不利になる。それならば、短時間で勝負をつけるしかない。少なくとも、あと1試合はあるんだ。そして、その先には上の大会がある。こんなところで止まっているわけにはいかない。
 気合いをこめた渾身のサーブはラインギリギリのところをかすめていく。相手は対応しきれずにボールは向こう側に転がっていった。大きな声援が上がる。あと2ポイント。しかし、追い詰められたような感覚は全く消えなかった。

 結論から言うと、地区大会は優勝だった。次の大会でもベスト4に入り、都大会への進出も決めた。
 都大会出場は2年の時からの夢だったから嬉しかった。一年間目標にしてきたことが叶った。だから今度はそこでどれだけ自分の力が通じるのか精一杯試してみたかった。
 なのに。
 足の痛みは日を追うごとに酷くなって、都大会の前には普通に歩いていてもズキズキするくらいにまでなっていた。
 大丈夫じゃないことは自分でもわかっていた。ちっとも平気じゃなかった。けれど医者にはなかなか行けなかった。もし大会に出られなかったら――そう思うと怖かった。医者に行かなければその可能性もない。そう思って湿布を貼ったり冷やしたりして誤魔化していたつもりだったけれど、周りの目は誤魔化せなかった。顧問の先生に気づかれ、ふざけるなと一喝されて、そのまま医者に連れて行かれた。
「捻挫ですね。最低でも一週間は運動を控えてもらわないと」
「最低でも?」
「状態によっては二週間くらいかかるかもね。足に負担をかけすぎて炎症を起こしてる。休ませてあげないといけない」
「そんな!私、来週大事な大会があるんです!一週間も練習を休んでられない!!」
「そう言われてもね。だめなものはだめだよ」
「やだ!」
「倉橋、我が儘を言うな」
 その場に顧問がいたのが悪かった。もし一人で医者に行っていれば、嘘をついて練習に参加することもできたかもしれない。もっと早く行っていればよかった。後悔しても仕方なかった。顧問からは都大会当日まで練習禁止を言い渡されてしまった。それでも、全く何もしないなんて耐えられなかったから、必死にお願いをして、走らないという約束で部活には参加した。できる練習なんて微々たるもので、素振りや球出しや壁打ちくらい。その場を動かないでできることだけだった。
 このままじゃいけない。焦りが日に日に大きくなっていった。他の場所でこっそり練習しようかと思った。それも結局はできなかった。全く走っていないのに、足の痛みは一向にひかなくて、重心移動をするだけでも存在感を主張していた。都大会当日に状態がよくなっているとはとても思えなかった。その予感は的中した。

「ゲームウォンバイ、倉橋」
 都大会当日。その日初めて聞いた勝利を告げる声。本当は喜びたかった。憧れの都大会でまず一勝をあげた。普段の瑞穂だったらガッツポーズをしているところだ。
 しかし、足の痛みを堪えるのに必死で顔は強張っていた。
 相手は強かった。地区予選なんて比べものにならないくらいに。元々、瑞穂の地区は都全体で見たらそんなに強くはない。そこで優勝したからといって、都レベルで簡単に勝てる保証はどこにもなかった。
 前の大会でベスト4に入っていたのが幸いして、都大会は二回戦からの出場になっていた。相手は一回戦を勝ち抜いてきている。そこもプレッシャーになった。始まる前は足もそんなに酷くなかった。お願いだからもって。必死に祈ったけれど、相手は瑞穂を左右前後に走らせてきた。ボールの威力は大したことはない。けれどもコースの打ち分けは確かによかった。それでも普段の瑞穂だったらそんなに苦労する相手じゃなかった。それなのに、一試合の間に右足に無理をさせ続けた。試合が終わった今はただ立っているだけでも足が悲鳴を上げている。試合中にも、危ない場面が幾つもあった。
 あと、何試合もつ? 
 そんなことを考えなければいけないのも悔しかった。
 本当は勝てる試合なのに足のせいで十分な試合ができない。そんなことにだけはなりたくなかった。
「倉橋、無理そうなら棄権するぞ」
 そんなことを言ってきた顧問が憎かった。
「大丈夫です。まだいけます」
「それでも、明らかに無理だと判断したら試合中でも辞めさせるぞ。足にはかえられない」
 それだけは絶対にない。
 そう言えたらよかったのに。とても否定できる状況ではなくて、言葉を返さないのが精一杯の意思表示だった。
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