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  31  

 今日も太陽はじりじりと暑い。球技大会なんだから少しは日射しも弱まればいいのにと愚痴をこぼす人達もいる。けれども瑞穂にとっては過去に慣れ親しんだもので、そこまで大したことではなかった。けれども、テニスコート近くの水道で汗を洗い流したばかりの眉間に刻まれている深い皺。
 さっきの試合を思い出すと悔しくて悔しくてたまらない。
 準決勝で当たったのは例の強い1年生。
 最初から勝てるわけがないとわかっていた。実際、彼女は強くて。最初から最後まで彼女のペースだった。反撃もしたけれど、相手の掌の上でいいように転がされる感覚。結局は思うつぼにはまってしまう自分にも腹が立った。
 もっと技術があれば。
 テニスを続けていれば。
 あんな無様な試合にはならなかったのに。
 試合の合間を縫って応援しにきてくれていたクラスメート達は「あれだけ強い相手に負けたからって気にすることない」と言ってくれたけれど、やっぱり負けたのは悔しい。ゲームセットを言い渡された瞬間の怒りがいまだに収まらない。
「……ちくしょう」
 乱暴な言葉が零れるのも抑えられない。
 ゲームカウントは6−1。数字から見てもぼろ負けだ。
 相手が強い?だから仕方ない?――そういう問題じゃない。
 3年前だったらもっとまともな試合ができたはずなのに。悔しい。悔しい。悔しい。ひたすらその感情が渦巻いている。ここまでプライドを傷つけられたのは久しぶりだ。そもそも、こんなにプライドが高かったことすら忘れていた。すっかり消えたと思っていた感情。消えたんじゃない。捨てたんじゃない。眠っていただけだ。
 絶対に負けたくない。
 何が何でも勝ちたい。
「次は勝つんだから」
 1年生と当たったのが準決勝だったのは幸いだった。一度負けてしまったけれど、3位決定戦がまだ残っている。さっきはあまりに早く試合が終わってしまった為、相手はまだ決まっていなかった。けれど、そろそろわかるはずだ。
 コートに戻ると、丁度最後のポイントが決まるところだった。勝ったのは2年生。負けたのは3年生。応援している人達を見てすぐにわかった。
 3位決定戦の相手は特進クラスの子。――去年までテニス部だったというあの子だ。



 3位決定戦は午後に入ってすぐだった。隣のコートでは同時進行で決勝戦が行われることになっている。早めにコートに着くと、5組の生徒はまばらだった。瑞穂以外の全員が決勝進出を決めていて、都合のいい人しか集まれないから仕方ない。寂しく思うと同時に、頑張らなきゃ、というプレッシャーも感じる。
 せめて、3位だけは死守しないと。
 入口の近くで茜が光二と宏樹と話し込んでいる。宏樹と一緒にいたんだろう、良臣も傍にいた。手を振って近づくと、茜が飛びついて来た。
「さっきは試合がかぶって見れなかったけど、今からのは最後まで大丈夫そう。ばっちり応援するからね!」
「ありがとう。頑張るよ」
「まさか倉橋がここまで残るとはなあ。意外っつーかなんつーか」
 宏樹の発言に茜がチョップをくらわせる。
「意外とは失礼なっ。瑞穂は強いよー!ねえ?光二っ」
「あ、ああ」
 光二も巻き込んでギャーギャー騒ぐ茜を苦笑して眺めていると、同じく沈黙を守っていた良臣を目が合った。肩をすくめてみせると、向こうはわかりやすくため息をつく。能天気なやつらだとでも思ってるんだろう。
 そこで、聞き覚えのない声が瑞穂を読んだ。
「倉橋さん」
 振り返ると、ラケットを持った女子生徒が立っていた。体操着のラインの色から同じ学年だとわかる。注意して見ると、今から試合をする相手だということに気づいた。
「1組の野島紗枝。試合前にあいさつしておこうと思って」
「ああ。5組の倉橋瑞穂です。よろしくね」
「知ってる」
 返ってきた声に含まれる苦さを感じとって口を噤んだ。
「中学の時、ちょっと有名だったもの。都大会までいったでしょ。3回戦で棄権。だよね?」
 サーッと血の気が引いていく。
 どうしてそんなことを。
 テニスから離れるきっかけとなった、これまでずっと向き合うのを避けてきたあの出来事を、今ここで人から言われることになるなんて。誰が想像できただろう?
「びっくりした?普通は知らないよね、そんなこと。でもあたしは覚えてる。だって、4回戦であたしと当たるはずだったから。名前はよく聞いていたけど、ずっと当たったことがなかった。地区が違ったからね。だから楽しみにしてたの。中学最後の大会でやっと試合ができるって。でも、それはかなわなかった。あなたが前の試合で棄権したから」
 野島紗枝?
 覚えていない。相手はそんな名前だっただろうか?――そんなことを気にしている余裕はなかった。あの頃は試合に出られなくなったことが辛くてしょうがなかった。
 まさかあの時の相手が今でもこっちのことを覚えていてるなんて、思うわけがない。
「ずっと心残りだった。でも、高校に入ればまた会えるかもとも思ってた。だからあなたがここの生徒になってたって気づいた時、びっくりした。がっかりした。テニスをやってる気配もなかったし。仕方ないから、あなたに勝つことは諦めてた。でも、世の中何があるかわからないよね。まさかこんな形であなたと試合することになるなんて」
 紗枝はにやりと口元を歪ませる。
「テニス部辞めてよかったって、久しぶりに思ったわ」
 現役部員だと、球技大会には出られないからね。
 紗枝の自嘲気味な呟きにすら、恐怖を感じる。
 体中の血が逆流していくような感覚の中、紗枝は獲物を狙う瞳を光らせた。
「3年待った。全力でやらせてもらうから」



 紗枝が離れると、足がよろけた。背がフェンスにぶつかり、かろうじて倒れないで済んだ。
「瑞穂?大丈夫?顔、真っ青だよ」
「瑞穂」
 声を掛けられて、茜達がいたことを今更のように思い出す。
「……ちょっと、びっくりしただけ」
 それ以上は言えなかった。
 頭の中がぐるぐるする。
 テニスを久しぶりにやって楽しいと思った。今でもやるからには勝ちたいと思う。勝ちにこだわる自分がいる。以前の自分と比べては、できなくなったあれこれを悔しく思って。3年前の怪我の記憶に触れさえしなければ、この球技大会もいい思い出で終わらせることができそうだったのに。
 久しぶりの試合で勝てる喜びの影に潜んでいた苦しい思いがこんな形でえぐりだされるなんて。
 できることなら、ずっと無視していたかったのに。
 瑞穂は口元を覆って、視線を落とした。
 ここまできたら逃げられない。
 逃げたところで、蘇ったこの思いは簡単には消えない。
 試合の時間はもうすぐそこまでせまってきている。
 やるしかない。やるしかないんだ。
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