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  28  

 終了のチャイムが鳴る。
 一斉に置かれた筆記用具の音が教室に鳴り響く。
 後ろからやってきた回収係に自分の答案を託すと、ようやく気が抜けた。
 これで期末テストも終わりだ。
 お決まりのように、騒いでいる奴らの声をBGMにしながら伸びをする。
「なあなあ、どうだった?」
 挑戦的な顔で詰め寄ってくるのは宏樹だった。今回、最後の教科は世界史だった。こいつが唯一俺と互角に勝負できる教科だ。毎回すんでのところで交わしてはいるが、なかなか侮れない。それでも、こちらも抜かれるのは癪だから一切手を抜かない。
「自信あるよ」
「俺も」
 余裕を見せるが、今回も宏樹は自信満々に言葉を引き継いだ。だがこれはいつものパターンで、きっと今回も俺に負けるんだろう。お互いに百点でも取れば同点一位になるだろうが、向こうが満点を取る姿はどうも想像できなかった。
「わかってるだろうな。俺が勝ったら、」
「夏休み中にノート貸し出し無償3回権だろ?覚えてるよ」
 先取りして答えると、宏樹はにやりと笑った。こいつ、完全に自分が勝ったと思ってるな。
 束の間の勝利を味あわせてやるのも優しさかもしれない。しかし生憎俺はそういうものとは無縁だった。
「ま、今回も俺が勝つけどな」
 えびバーガー1個、忘れるなよ。
 自分が勝った場合の戦利品を念押しして席を立つ。
 たかがえびバーガー。されどえびバーガー。一日限定5個のそれを入手するのは至難の業だ。こんな機会に宏樹に走ってもらわなきゃ、いつ食べられるかわからない。
「お前って本当に食い意地の張ったやつだよな!」
 後ろから投げられた宏樹の怒った声に「そうだな」と軽く返した。
 全く、その通りだ。



 今日はどのコンビニで小腹を満たすものを買おうか。
 そんなことを考えながら校門を抜けようとすると、馴染みのあるスーツ姿の青年が視界の隅に入った。
 まさかと思って振り返ると、そこには車に寄りかかってこちらを見ている男がいた。理知的な眼鏡がどこか冷たい印象を与えるその男はスッと手を挙げた。
「よう」
「兄貴」
「これから塾だろ?その前にちょっと飯に行くぞ。乗れよ」
「拒否権なしかよ」
「当たり前だろ。あまり時間がないんだ」
 こちらの都合には一切構わない兄に何を言っても無駄だ。基本的に良臣が言うことなんて聞かない。それが孝臣たかおみだ。
 年末年始以来、半年ぶりに会うというのに孝臣は相変わらず身勝手だった。



 孝臣に連れられてきた店はファミレスだった。学校から離れたところに入ったのでF学院の生徒は見当たらない。けれども、他校の生徒があちらこちらにいて、店内は程よく賑わっていた。
 孝臣がどんな話をしにきたのかわからないが、これなら周囲を気にせず話ができるだろう。車の中では孝臣が最近の仕事の状況を一方的に話していた。最早あれは報告だ。ひたすら聞き役に徹していたが、特に面白いところはなかった。しかし向こうも楽しくてしているわけではなく、目的地に行くまでの繋ぎでしかなかったようだ。
 二人で注文を頼むと、孝臣がやっと口を開いた。
「家を出たなんて聞いてないぞ」
 眉間に皺を寄せて睨む孝臣はどうやら最近まで良臣が倉橋家にいることを知らなかったらしい。先週、親父に電話した時に初めてその話題が出て驚いたそうだ。三ヶ月も蚊帳の外だった状態が酷く気に召さないようだ。
 けれども、こっちがそれで責められるのは迷惑だ。
「自分から出た覚えはないよ。母さんに行けって言われた」
 孝臣の言い方だとまるで家出したみたいじゃないか。もしこの話を聞いてる人がいたら勘違いしそうで嫌だ。
 確かに。
 あれは良臣にとっても突然だった。始業式の日、母が家にやってきた。久しぶりに顔を合わせた母は突然言ったのだった。
『卒業まで、私の友達の家にお世話になりなさい』
 あれには相当びっくりした。
 両親はほとんど帰ってこず、兄も自立したあの家で、良臣はほとんど一人暮らしのような生活をしていた。家事全般は通いの家政婦がしていたから困ることなんて何一つなかった。それなのに、突然のあの決定。反論しようにも既に決定事項で、母がこうと決めたことに文句を言っても覆らないことはとうに知っていた。だから大人しく言いつけに従ったのだ。
 その辺の事情も聞いているのだろう、孝臣は嫌悪するような表情を浮かべる。
「女の子がいる家に男を預けるなんて母さんはどうかしてる」 
「それは同感」
 瑞穂のことを聞いた時は、流石にどうかと思った。いくら向こうは両親が揃っているとはいえ、年頃の男女を一つ屋根の下で暮らさせるなんてまともじゃない。
 孝臣も同じことを考えたのかも知れない。
 難しい顔で、一言。
「お前、俺のところに来るか?」
 今度はこちらが眉を顰める番だった。
 孝臣と暮らす?
 冗談じゃない。
 決して仲が悪いわけじゃない。いいかと聞かれたら正直困る。しかし、同じ家に二人で住むところを想像する気にもなれなかった。実質一人暮らしが長かった良臣にとって、今更家族と頻繁に顔を合わせるのはストレスにしかならない。倉橋家に馴染むのだって時間がかかった。最初はかなり神経を使っていたが、今では気楽に瑞穂や倉橋夫妻と話ができる。けれどそれは倉橋一家だからであって、孝臣が相手ではそうはいかない。よく知った身内だけに、それだけははっきり分かった。
「いいよ。兄貴の邪魔になるし」
「邪魔って何だよ」
「女。いるんだろ」
「女は関係ない。お前は気にしなくていい」
 当てずっぽうに言ってみただけだったが、どうやら当たっていたらしい。25歳という年齢を考えれば自然なことだ。けれど、それは良臣を拒む理由にはならないらしい。
 それなら、と再び口を開く。
「俺、メシの保証がないところに行く気しねーし」
「それなら小遣いもらってるだろ」
「出来合いや外食で済ませろって?俺、育ち盛りだよ。それに味には結構うるさい。しばらく会わない内に兄貴は忘れたかな」
 せっかくだからと皮肉をこめてやる。
 同じ家に住んでいた時も、顔を見ることもろくになかった。会話だって普通の兄弟に比べたら随分少ないに違いない。そんな孝臣が急に保護者ぶるのは気に入らない。
「なんだよ。今は満足してるって言うのか」
「そりゃもう。最高だよ、メシ。ちゃんと栄養取ってるお陰で勉強の方も絶好調。おじさんとおばさんもいい人達だし、うちに居るよりよっぽど快適。兄貴は俺から美味いメシを取り上げたりなんてしないよな」
 最後の方はわざとらしい明るい声で言った。
 孝臣がどう思おうと従うつもりはない。



 塾から帰ってくると、瑞穂が部屋から出てきた。今日は瑞穂は塾の無い日だったから、会うのは朝以来だ。そう言えば珍しく学校でも見かけなかった。テストの日なんてそんなもんだろう。
 瑞穂は冷蔵庫から皿を出して食事の準備に取りかかる。
「お帰り。今日はそうめんにしてみたんだ。つゆは冷たいままでいい?」
「おう」
「麺は好きなだけよそって。他のおかず、温めるから」
「サンキュ」
 目分量でそうめんを取って、つゆにつける。早速一口食べると、野菜の入ったつゆの程よいこくに思わず唸る。
「美味いな、これ」
「ありがとう。うちの定番の味だけどね。口に合うなら良かったよ」
 こういうのってみそ汁と一緒で家の味があるから、と瑞穂が言う。俺が気に入らない場合の心配を少ししていたのかもしれない。でもそれは杞憂だ。美味いものに対して俺が文句をつけるなんて有り得ない。
 やっぱり、この食事を手放すことはできない。
 これを捨てるなんて馬鹿のすることだ。
 俺が黙々と食べていると、倉橋夫妻が出てきた。「お帰り」と声を掛けられ、会話をぽつぽつと交わす。
 そんな些細な温かさがあるのが倉橋家の良さだと思う。他の家がどうなのかはよくわからない。けれど、この家の人々のちょっとした気遣いや、明るい雰囲気は実家ではまず得られない。これに慣れてしまった俺が、今更孝臣なんかと暮らせるわけがない。
 母さんの判断は非常識だったと思う。けれど、正しかった。自信を持ってそう言える。
 倉橋家に来て、本当に良かった。
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