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 6月ももう終わり。
 授業では先週行われた実力テストが続々と返されて生徒達は憂鬱な気分を隠せない。目の前でジュースのパックを渋い顔で開けている茜も例外ではなく、瑞穂は何かいい話題を探すが、こういう時に限って浮かばないものだ。痺れを切らしたのか、りんごジュースを勢い良く飲み込んでいた茜の方が先に口を開いた。
「生物さあ」
「うん」
「有り得ないと思うんだよね。西村」
 普段は先生をつけて呼んでいるのに、呼び捨てにしている辺り、かなり点数が悪かったらしい。確かに生物は茜の苦手教科だけど。
 そう言えば、中間テストは赤点ギリギリって言ってたっけ。でも前回は難しかったからなあ。あれに比べれば、今回の実力はそんなに難しくもなかったんだけど……苦手な人にとっては変わらないか。
 自分も数学や世界史の難しさは変わらないように思えたから、そんなものに違いない。
「みんな遺伝は簡単だったって言うけど、あたしには全然難しかったし。発生のとこも意味不明だったし。余裕で追試だよ、しかも合格点取らないと再追試とかホント信じられない!」
 アイツ最悪だ!
 机に顔を伏せて嘆く茜に、そうか、追試になったのか、と納得する。今回は全体的には良かったけど、出来ない人達はとことんできなかったから40点以下を取った人は追試を言い渡されたのだった。瑞穂は76点というまあまあの結果だったのでその辺はよく聞いていなかったが、平均は確か50点代後半だった。それで40点以下は追試となると、生物を受けている生徒の4分の1から3分の1は追試ということになるだろうか。でも赤点が38点と考えれば、40点いかなければ追試というのも不自然ではないように思う。
「あ〜、でも、遺伝は数字変えるだけって言ってたよね?やり方さえ覚えればそれで何とかなるんだし……頑張れば再追試はないかもよ?」
 我ながらいい加減な言葉だ。
 茜は上半身を伏せたまま視線だけ上げた。無責任なこと言わないでよ。彼女の瞳が訴える。
「そりゃ、半分は少し変えただけの問題にするって言ったけど、もう半分は別の問題にするって言ったんだよ?合格点は80点だよ?難易度落とすって言われたって、元々の点の倍以上取れってことでしょ?アイツ鬼だよ!悪魔だよ!血も涙もないんじゃない?どうせまた奥さんとのケンカのとばっちりなんだ〜。酷い、酷すぎる!」
「ああ、うーん、そうかもねえ」
 適当に返しながら、いつものケンカだったら全部問題差し替えとかになるんじゃないかな、と考えるが今の茜には通じないだろう。
「もうこれで日曜の午後は勉強決定じゃん。久し振りに部活ないから慎也と予定入れてたのにあんまりだ〜」
「それはまた散々な……」
 そうか。彼氏と久し振りのデートだったのか。
 茜も彼氏も部活が忙しいから、最近は学校以外ではなかなか会えないらしい。だから今度の日曜はとても楽しみだったに違いないのに、よりによって翌日に追試が来るとは。
 流石に同情するよ、茜。
「いいな〜瑞穂〜。瑞穂だったら追試も簡単でしょ〜。変わって〜」
「いや、それ問題だから」
 身代わりなんて通じませんよ、茜サン。
「茜が部活忙しかったのはわかるんだけどねー、今回は私も勉強したのよ、かなり」
 その結果なんだから。
「あー、瑞穂良かったって先生言ってたね。『お前も頑張れよ』って担任に言われた」
「へえ?」
 それは初耳。
 先生、私じゃなくて茜に言ってどうするの。
「瑞穂って最近勉強してるよねー」
「だって、早くD判定から脱出したいもの」
「あたしにも分けて欲しいよ、その意欲」
「茜は部活頑張ってるじゃん」
「そりゃあね。県大会には絶対に出るんだから!で、県大会でも去年より上に行く!関東大会にも出たい!」
 うん、いい意気込み。その意気込みを今だけ勉強の方に向ければ、追試だってちゃんとパス出来ると思う。でも、そこは茜だから言っても無駄になりそう。
「ま、頑張ってちょうだい」
 ポンと背中を叩くと、茜は「まっかせなさい!」と親指を立てて満面の笑みを浮かべた。



「瑞穂!」
 帰りのHRが終わると、光二が教室に入ってきた。
「この後ヒマ?」
「暇って言うか帰るけど」
「俺、今日部活ないんだ。一緒に帰ろう」
「いいよ」
 途中までの道連れがいるのは嬉しい。光二とは駅まで一緒だ。普段は茜も部活がある為、人と帰ることは滅多にない。その割に、塾の帰りは良臣と他愛のないことを喋っているのだから不思議だ。しかもそっちは帰る家まで同じで。
 最近は流石に違和感がなくなった。だからたまにその危うさを意識するとどうしようもない気分になる。良臣が家にいることが当たり前になっても、その秘密がばれないようにふるまわなくてはならない。それだけは常に頭に入れている。
 そう、それがどんなに仲のいい人達だって。
 隣を歩く光二を見上げると、視線に気づいた光二が「なに?」と聞いてきた。瑞穂は首を振る。それを機に光二が話を切り出す。
「最近どう?」
 それが何を指しているのかすぐにピンときた。
「別に、普通。あ、でもこの間ラケットのガットの張り替えに行ってきたの。随分緩くなっちゃっててね、びっくりした」
「テニスの?」
「うん。球技大会とはいえ、やっぱり自分のラケット使いたいし」
 光二が聞きたいのはテニスに対する瑞穂の気持ち。そう思ったから遠回りしないで率直に答えた。でもこれ以上光二に心配をかけたくない。だから不安は絶対に話さない。光二だけじゃなくて茜や宏樹が心配してくれていることも知っている。ただ二人がどこまで知っているかは瑞穂にもわからない。今は自分から話す気にはなれないし、そのことで二人を余計心配させたくはなかった。
 何よりもこれは自分の問題だから。
 これでも少しずつ過去の自分と向き合っているつもりだ。だからガットの張り替えにも行った。グリップも巻き直した。準備を進めていく内に気持ちを落ち着かせていきたい。そういう状況に入ってきているから、事情を知る人から球技大会について触れて欲しくはなかった。
 怖い。それはまだ変わらない。
 でも腫れ物に扱うような態度をされるのは嫌だ。最悪だったあの頃を彷彿とさせる。中学3年の2学期――あの頃の周囲と同じような目で瑞穂を見ていることに光二は気づいているんだろうか。
 この辺で釘を刺した方がいいのかもしれない。
「光二」
「なに?俺でよければ何でも聞くよ」
 だから一人で抱え込むな、と光二が言いたいのはわかる。
 でも、そういう問題じゃない。
「球技大会のことなら大丈夫だから。これ以上余計なこと言わないで。わかってる?光二がしてることは、不安を煽るだけだよ」
「……瑞穂」
「心配してくれてるのはわかってる。それは嬉しい。でもお願いだから何もしないで」
 瑞穂の言葉に光二が顔を歪める。
 ああ、傷つけた。瑞穂の胸も痛む。
 でもこうしなければならなかった。
「ごめんね、光二」
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