人災はある日突然やってくる

モドル | モクジ

  笑うしかない  

 窪田君と向き合いながら、あたしは秋田君への怒りをふつふつと募らせていた。
 気まずい空気を作っておいて自分だけ逃げるってどういうこと?いくらなんでもそんなのずるい。
 って言うか、秋田君があたしを狙ってるんじゃないか、なんて思うような素振りは全部嘘だったってことでしょ?浅間さんが待ってるから帰るって、きっとそういうことだ。秋田君はそういう目であたしを見ていない。
 だから安心、ただのドッキリでよかったね――なんてことにはならない。秋田君は何であんなことをしたの?どういうつもりだったの?フリでも好きな子以外に手を出すような真似は感心できない。サイテー。
 でも目下の問題は秋田君がどうこうじゃなくて、目の前にいる窪田君で。
 あたしと秋田君が危ない雰囲気の時に現れた窪田君。あたしを助けてくれて、秋田君に怒って、秋田君に殴りかかって。
 さっきは驚いたけど、窪田君はあたしを守ろうとしてくれたんだって思うと胸が熱くなる。急にドキドキしてくる。だけど、今日はずっと機嫌の悪かった窪田君の姿を忘れたわけじゃない。あたしに対しても何だか怒っていたあの瞬間を思い出して不安になる。
 今もまだ怒ってるんだろうか。窪田君の顔を見ると、ちょっと難しい顔をしている。眉間に皺が寄っていたけれど、あたしが見ていることに気づいた窪田君はハッとして距離を縮めてきた。
「近藤、大丈夫?」
 窪田君があたしの腕に軽く触れる。さっき秋田君に掴まれた場所だ。でも強く掴まれたわけじゃなかったから痛みも何もない。ただ、窪田君に触れられてることを意識したら何だか恥ずかしくなってきた。
「あ、うん。全然大丈夫っ」
「聡が何かした?」
「何か、って?」
 心配そうに聞いてくる窪田君に、首を傾げる。何だか同じ言葉をさっきも聞いたような気がする。そうだ、秋田君だ。秋田君も窪田君が何かしたんじゃないかって聞いてきたんだ。その秋田君には、確かにびっくりさせられたんだけど。
「えーと……」
 何て言えばいいのか言葉に詰まっていると、窪田君が「あのさ」と話し始める。
「浅間に、近藤が聡と一緒だって聞いて。最近二人でいることが多いって聞いて」
 え?どういうこと?昨日相談に乗ってもらった程度なんだけど。
「浅間が、聡が彼女持ちになったら自分は平和を満喫できるとか言ってて」
 え?なにそれ?浅間さん、それどういうこと!?
「だから俺、聡が近藤に手ぇ出すのかと思って」
「いや、あの、秋田君は全然そんなんじゃなくて」
「じゃあ、さっきのはどう説明するつもりなんだよ」
 それを言われると困る。窪田君の出した結論については、どうしてそれに辿り着くかなってのが正直なところ。でも、現にそれっぽい状況になってたのは否定できない。浅間さんがにおわせたことも間違いじゃなかったけど。……あれ?なにかおかしくない?
 急に感じた違和感に頭を捻る。けれども、窪田君の声に意識を戻される。
「俺が来なかったらどうなってたと思うんだよ」
 確かに。それはちょっと、予想ができないんだけど。
「でも、秋田君には浅間さんが……」
「どうだか。あの二人、つきあってるわけじゃないし。聡も言ってたろ?それに……」
「それに?」
「……いや、何でもない。ところで近藤、何で急に聡と仲良くなった?」
「え」
 窪田君のことで相談をしていた。それを言うのは躊躇われた。正直に言うってことは、つまり。あたしが窪田君を避け始めた理由も話さなきゃいけないし、そしたら秋田君との話を盗み聞きしていたことも言わなきゃいけないし、何より、窪田君が好きってことを告白しなきゃいけない。仲直りしたいとは思ってたけど、一気にそこまでいく勇気はない。
「言えないような理由?」
「え、えーと、うーん……」
 言えないというか、言いたくないというか。
 困っていると、窪田君がハッと息を飲んだ。
「まさか……聡のことを……?」
 秋田君のことを?え、何?どういうこと?
 秋田君のことを……って、そういうこと!?
「えぇ!?」
「違うのか」
 窪田君の言おうとしていたことを理解して声を上げる。窪田君は間髪入れずに尋ねてくる。ちょっと、どうしてそういう想像ができるわけ!?
「違うも何も、そんなこと考えたこともないって。秋田君はいい人だけど」
 だってあたし、窪田君が好きなんだもん。秋田君はいい人だけど、それ以上のこと考えたりするはずない。けれども、窪田君は「いい人」のフレーズに眉を顰める。
「あんな状況になっても?」
 言われてみると、確かにさっきは危なかったんだけど。びっくりしたけど。
「うーん、あれは確かに困るけど、でも本気じゃないでしょ」
 去り際に秋田君が窪田君に向かって言ったこと。それを考えたら、やっぱりあれは本気じゃなかったんだと思う。どうした秋田君があんな行動に出たのかはわからない。
 でも、それを言ったら。
 どうして窪田君は、今ここにいるんだろう。
 あまりに突然すぎて今更ながらの疑問。
 確か、浅間さんと話してたんだよね。あたしと秋田君がどうこうっていうわけわかんない話。でたらめだし。そんなの信じられても困るんだけど。それで、浅間さんと話してたはずなのに、どうしてここに来たの?
「本当にあいつ、何考えてるんだか……」
 窪田君は額に手を当てる。
 あいつ、ってきっと秋田君のことだ。
 そうだね。今日の秋田君の行動は全然意味わかんない。でもあたしは窪田君が何考えてるのかもわかんないよ。
「素直になれ……か」
 窪田君は秋田君の言葉を繰り返して、長いため息をついた。
 そして、しばらく宙を見つめていたと思ったら、ふと名前を呼ばれる。
「近藤」
「なに?」
 反射的に返事をすると、窪田君が振り向く。視線が合う。真剣な表情に、胸が高まる。
「俺、近藤と聡がくっつくかと思ってすごく焦った」
「え」
 それは。
「本当に、焦ったんだ。止めないと、って思って」
 短く言葉を区切りながら、けれどもはっきりとした声で。
 窪田君の口から零れる言葉が全身に入り込んでくる。
「ここに来た時、聡が近藤に迫ってるの見て、ショックだった。許せなかった、あいつが。……なあ、近藤」
「……うん」
 再び名前を呼ばれる。今度の返事はすぐに出なかった。
 変に緊張する。
 期待、していいのかな。
 それとも勘違いだったらどうしよう。また傷ついたら。そんな不安が胸を覆い始める。それを止めたのは、窪田君の一言だった。
「好きだ」
 たった三文字。
 けれども特別な人から真剣な表情で告げられたその言葉は、何よりも特別な力を持っていて。
 胸が、一気に熱くなった。
 どうしよう。
 嬉しすぎて、どうしよう。
 仲直りどころか、これ以上ないくらいの言葉をもらえるなんて。
 窪田君が、あたしのことを、好き?
 だから来てくれたんだ。
 だから秋田君に殴りかかろうとしたんだ。
 だから。
 だからこうやって。
 言わなきゃ。
 しっかり伝えなきゃ。
 心臓がバクバクいってる。うるさすぎて他の音が入ってくる余裕もない。
 でも、これだけは。
「あたしも、好き」
 窪田君の顔を見て、やっとそれだけを口にする。声がかすれた。顔も熱い。でも言えた。
 窪田君の表情がふと緩む。口元に笑みが浮かぶ。
「良かった」
 ホッとしたような声で息をつくと、窪田君はあたしの手を取った。
「つき合おう」
 その一言で、胸から色んなものが溢れてくる。
「……うん」
 熱くなる瞼を押さえながら頷くと、繋いだ手ごと引き寄せられる。
「ありがとう」
 耳元で囁かれた言葉に、あたしは我慢できずに涙を零した。
 そして、泣きながら窪田君と距離を置き始めた理由を話した。話を聞いた窪田君は、「ごめん」と謝ってあたしの頭を撫でてくれた。照れくさかったんだ、と窪田君は言った。だからああいうふうにしか言えなかったんだって。それから、今日はやけに秋田君があたしに絡むからイライラしてたんだってことも話してくれた。あたしが秋田君とは普通に話すことにむかついたんだってことも。それを聞いたら、もういいやって気持ちになった。あの時はすごくショックだったけど今は嬉しいから。だから「もういいよ」って許してあげた。そしたら、窪田君も「俺ももういいや」と言って笑った。


 二人で教室に戻ると、秋田君と浅間さんが机を挟んで話しこんでいた。他には誰も残っていない。浅間さんと話している秋田君はいつも通りで、さっきのは夢だったのか、なんて思ってしまう。けれども隣から舌打ちが聞こえてきて、ドキッとする。下からチラッと見るとイライラした窪田君の顔。うん、やっぱりあれは夢じゃない。
「ああ、お帰り」
 入り口に立っているあたし達にやっと気づいた秋田君はにこにこしながら手を振った。それにつられて顔を上げた浅間さんは、あたしと窪田君を見ると柔らかく笑った。もしかして全部お見通し?嫌な予感が胸をよぎる。その間にも窪田君はつかつかと教室の中に入っていく。向かうのは秋田君のところ。あたしも慌てて後をついていく。
「カズ、俺に言うことあるよね」
「ふざけんな、バカ」
「いいのかな、そういうこと言っても」
「うっせー。このバカ。バカ。大バカ野郎」
「酷い言い様だな。ねえ、浅間さん?」
 怒った顔でバカを連呼する窪田君に対して、秋田君は笑顔のまま。同意を求められた浅間さんは、どうだかと言わんばかりの表情で口を開く。
「やりすぎて愛想つかされても知らないって忠告したのに」
 え?それどういう意味?
 浅間さんの言うことがよくわからない。秋田君はそんなあたしには目もくれずに浅間さんに笑顔を向ける。
「別にいいよ。真っ先に愛想つかされそうだった人が、どうやらそうじゃなかったみたいだから」
「……っ」
 浅間さんは何か言いたげに口を開いたけれど、結局何も言わずに口を閉じた。そして浮かぶ不機嫌な顔。それを笑顔で受け止める秋田君。よく見る光景だ。
「浅間さんも協力してくれたしね。感謝してるよ」
「……協力?やっぱり、お前」
 窪田君が顔を引き攣らせながら秋田君を見下ろす。
「やっぱりも何も、気づいてただろ?俺がカズの背中を押すために動いたことくらい」
「え、そうなの?」
 知らなかった。声を上げたあたしに、秋田君が頷いてみせる。
「早くカズの不機嫌を直したいってリクエストがあったからね。どうせなら一気に解決してくれるといいなと思って。近藤さんには色々驚かせちゃってごめん。でもあれ、嘘だから」
 つまり。
 全部秋田君の計画だったんだ。
 窪田君に告白させるために、あたしに気があるようなふりをして、窪田君を怒らせて。
「まさか、浅間もグルだったなんて」
 窪田君が頭を抱える。
 浅間さんは途端に申し訳ないといった表情になる。
「ごめん、窪田君」
「いいよ、俺もうっかり引っかかったし。悪いのは全部聡だ。浅間は気にすんな」
「え、窪田君、どういうこと?浅間さんがグルって、何したの?」
 尋ねると、窪田君が肩を竦める。
「近藤と聡が急接近してるみたいな話しただろ。あれがそう」
「……そうなの?」
「ごめんね、真衣ちゃん」
 浅間さんが両手を合わせて頭を下げる。あ、なんか可愛い……じゃなくて。
 そうだったのか。浅間さん、なにとんでもないこと窪田君に言ってるのかと思ったら秋田君と共謀してたってわけね。
「うーん……てゆーか、なんだかんだで仲いいんだね、二人」
「えぇ!?」
 浅間さんが目を丸くして声を上げる。秋田君はそれをにこにこと眺めている。そんな中、窪田君だけがつっこんだ。
「ずれてるな、近藤」
 うん、今のは自覚してる。でも。
「だってー」
 本当にそう思ったんだから。
 そして、ちょっと羨ましいなって。
 騙されたみたいでちょっとむかつくけど――っていうか本当にあたし達は二人揃ってはめられたんだよね――どうせやるならもっと心臓に悪くないのにしてよとか思ったりもするけれど。窪田君に好きって言ってもらえたのはやっぱり秋田君のおかげだと思うんだ。しかも、秋田君てば、浅間さんと仲良くこそこそしちゃって。うん、やっぱり羨ましい。
 いいなあと思って何だか言い合っている秋田君と浅間さんを見ていると、窪田君がポンと肩を叩いた。
「帰るか」
 初めての言葉に、一瞬ぽかんとする。でも、すぐに言われた内容を理解した。
「うん」
 あたしと窪田君は自分の荷物を持つと、廊下に足を向けた。
 でも教室を出るところで窪田君は二人を振り返る。
「聡」
「ん?」
「俺、近藤とつきあうから」
 それを聞いて、あたしは顔が真っ赤になる。
 うん、言葉にされると恥ずかしい。でもあたしも莉奈には言わなきゃね。どうしよう。いつ言おう。今日?明日?メールで?電話で?直接?やっぱり直接だよね。うーん、うまく言えるかな。
 頭の中でぐるぐる考えていると、秋田君と浅間さんが笑顔で口を揃える。
「おめでとう」
「よかったね」
「あ……ありがと!」
 二人の祝福に胸がじーんとする。でも、窪田君が言ったのはお礼の言葉じゃなかった。
「だから聡、今度今日みたいなことしたら次こそぶっとばす」
「えっ」
「行こう」
 驚いているあたしの手を取り、窪田君はすたすたと歩き出す。足の長さが違うあたしは小走り状態になる。
「窪田君っ」
 速い、と言おうと顔を上げると、楽しそうな横顔が目に飛び込んできた。
 しばらく見ていなかった表情に、思わず口元が緩む。
 まあ、いっか。
 ちょっとパタパタしてる方が、あたしと窪田君にはお似合いだ。そんな気がする。
 何より、繋いだ手はしっかりとあたしを掴まえてくれているから。

 大好きだよ、窪田君。
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