人災はある日突然やってくる

| モクジ

  ツリーの下で  

 この日をどんなに心待ちにしていただろう。
 壇上の校長先生の長すぎる話も、今の私にとっては明るい未来を祝福するありがたい言葉のように思える。周囲が疲れた顔を見せる中、きっと私の顔は輝いていたに違いない。
 だって今日は終業式。
 今日を乗り越えれば、明日から冬休みが始まる。
 そう、秋田君に煩わされることのない楽しい冬休みが――!!



「もー、長い。校長、五十分も話してたよ。有り得ない。先生達の焦った顔なんて絶対見えてないって」
 体育館から教室への移動が始まると、佐和子が渋い顔でやってきた。
「ほら、校長先生も今年最後の話だし」
「それが何だっての。冷え性にはきついんだってば」
 ブレザーの下にたっぷり着こんだ佐和子はそれでもまだ寒いらしく、自分の体を抱きしめながら身を震わせた。
 確かに寒かった。冷たかった。それが気にならなかったと言えば嘘になる。でも、校長先生の話が長引けば、それだけホームルームの時間が短くなるということで、それがまた嬉しかった。
「浅間さん、もしかして俺が大人しくしてるからラッキーとか思ってない?」
 佐和子との間を割って入ってきたのは秋田君。これはもういつものことだ。図星を言い当てられても気まずさなんて感じない。
「思ってるよ。すごく平和でいいよね」
「よくない。俺はとってもつまらないんだけど」
 集会のいいところは、秋田君が隣にいながらも――残念ながら、集会は出席番号順で整列することになっている。このクラスの一番が秋田君で二番が私だから、二列になる時は並ばなければならなかった――何も仕掛けてこないことだ。一応TPOはわきまえてくれているらしい。集会が始まるまではやたらとかまってくるけれど、始まってしまえば真面目に前を向いている。――まあ、前の方で話をしていたら後から生徒指導の先生に呼び出されて大目玉食らうってのもあるんだろうけど。
「二時間あるなら浅間さんと楽しく使いたいな。それが無理なら昼寝するね、俺は」
 秋田君でもあの終業式は堪えたようだ。だるそうに肩を回している。そう言えば、校長先生の話の時にちらっと様子を見たら眠そうな顔をしてたっけ。それでも立っていなければならなかったから、相当頑張ったんだろうな。
「私ならためてたビデオ見るかな。もうね、三、四話くらいそのままにしてるのが二番組くらいあるの」
「梢、それだと二回分くらいしか見れないよ」
「そうだけど……」
「たかが二回、されど二回。だよね?浅間さん」
「うん」
 私の嗜好をよく理解している発言に頷くと、佐和子がキッと秋田君を睨んだ。
「それくらい梢のこと知ってる人だったら誰だってわかってるよ。そんなんで梢のことわかった気にならないでよね」
「松井さんは怖いな」
 責めるような口調の佐和子に、秋田君は定番の笑顔を見せる。佐和子はチッと舌打ちして顔を背けた。
「感じ悪い男」
「うわ、傷つくな。浅間さん、慰めてよ」
 おどけたように言って、秋田君が背中に触れてくる。突然だったので、思わず「わっ」と声を上げて前へ進み出る。
「秋田!!」
 佐和子の怒号が飛ぶ。秋田君はそれをものともしないで、やっぱり笑っている。
 今月の頭にあった喧嘩以降、秋田君は私との距離を縮めようとしだした。「私を振り向かせる」為のあれこれは、思わせぶりな台詞だったり、意図的なスキンシップだったり、周囲へのアピールだったり。それはもう傍迷惑としか言いようがない。
 そんな秋田君を見て、今度は佐和子の態度が変わった。強引な秋田君のやり方が気にくわない、だそうだ。席替えですっかり洗脳されているクラスメートを見て、「私が梢を守らないで誰が守るのよ」という気になったらしい。それ以降、何かと秋田君につっかかっていく親友の勇ましい姿は頼もしいことこの上ない。クリスマスプレゼントはちょっと奮発しようと思っているのはまだ佐和子には内緒だ。
 残念なのは、秋田君が佐和子に動じる気配が全くないこと。それどころか、佐和子に邪険にされるのをチャンスとばかりにこっちにちょっかいを出す回数が増えているような気がする。佐和子にどう見られようが構わない……どころかこれ幸いと思ってるんじゃないだろうか。――怖いから確かめたくないけど。



 教室に戻ると、すぐにホームルームが始まった。成績の配布に、冬休み中の諸注意。畳みかけるように次から次へと話題を変える先生がちょっとだけかわいそうになった。校長先生の長話のせいで時間が足りなくなったに違いない。普段なら気持ちが浮ついてざわざわする場面だけど、今日に限ってはみんな終業式で疲れてしまって静かにしている。それは秋田君も同じで。そして、秋田君が何もしてこなければ当然私も真面目にホームルームの時間を送っていく。
 後は帰りの挨拶だけ、という状況になって少し周りがざわついた。それを見計らっていたように、秋田君が動いた。
「この後、つきあってよ」
 耳打ちされた言葉に身構えると同時に委員長の「さようなら」が教室に響いた。慌てて「さようなら」と後に続ける。
 佐和子に救いを求めようとしたところを秋田君に捕まり、引っ張られるようにして教室を出た。
「秋田君!離してよ」
「嫌だ」
 お願いも聞き入れてもらえず、二人ずんずんと昇降口に向かっていく。
 最初は手首をがっちりと掴む手を振り払おうと抵抗していたけれど、全く通じない。その内、人目が気になって抵抗らしい抵抗もできなくなってしまった。
 騒いだら余計に注目される。それは嫌だ。そんな私の性格をよくわかっていてやってるんだと思う。悔しいけれど。
「ねえ、どういうつもり?」
 とにかく何をしたいのだけでも聞いておきたい。靴箱で声を顰めて尋ねた私に、秋田君はやっと手を離した。
「明日から冬休みだよ」
「そうだけど」
「わかってる?次に会うのは年明けだってこと」
 そんなの当たり前じゃない。
「今年最後の我が儘につきあってくれてもいいんじゃない?」
 秋田君は自然な動作で私の手からバッグを取った。
「え?え?」
 今年最後の我が儘。実に疑わしいその言葉と、秋田君につきあうことと、私の荷物と。一体何の関係があるのかと戸惑っていると、秋田君はにっこりと笑顔を浮かべた。
「充電させてよ。そしたら、返してあげるから」
 


 まさか秋田君に脅迫される日がくるなんて。
 たかがバッグ、と言えたらどんなにいいだろう。でもあの中には、お財布・ケータイ・定期が入っている。ついでに成績も。つまり、あのバッグがなければ帰れないわけで。
 何度か取り返そうと努力したけれど、全部水の泡。秋田君はこっちの動きを読んでいるかのように、軽くかわしてしまう。挙げ句の果てには、「大人しくしてて」と手を押さえつけられた。力はそんなに強くないけれど、離そうとするとがっちり掴まれてしまう。最初はそれでも抵抗したけど、その内、どうでもよくなってしまった。端から見れば、手を繋いで歩くカップルにしか見えないのが悲しい。せめてもの救いは、恋人繋ぎじゃないことだろうか。
「どこまで行くの?」
「もうすぐ着くよ」
 駅に真っ直ぐ伸びる大きな道を進んでいく。
 吐く息は白くて、せめて温かいところがいいなあ、なんて思う。手袋をしながら繋がっている手はさっきから温かい。お陰でもう片方の手が妙に寒くて、さっきからずっとコートのポケットの中に入れている。
 街はすっかりクリスマスモードに入っている。ショーウィンドーはどれもクリスマスらしくディスプレイされていて、流れてくるのもクリスマスソング。でも、これだって数日後には新年バージョンに変わっていく。
 一年の終わりへと確実に向かっていることを嫌でも実感する。
 なんで秋田君と一緒にいる時に、そんなこと。
 そもそもこの状況を受けているのがおかしいんじゃないのか。そう思ったところで、秋田君の足が止まる。
「ここ」
 秋田君は上を見上げながら言った。その視線の先を追うと、大きなクリスマスツリーがあった。この間、夕方の番組で紹介されていた。毎年恒例の、駅前広場のクリスマスツリー。イブには恋人達がクリスマスの雰囲気を味わいにやってくることで有名だ。けれども、今日はまだ足を止める人や待ち合わせをしているらしき人が数人いる程度だ。見知った顔がないことに安心する。
「当日は、来ないからさ」
「つき合ってないってこと、忘れてない?」
 だからイブだってクリスマスだってここには一緒に来ない。そんな当たり前のことを言われても困る。
「忘れてないよ。だから今日で我慢してるんだって」
 秋田君は苦笑して、繋いだ手に力をこめ直した。痛くはないけれど、窮屈さを感じる。
「浅間さんと見れたらいいなって思ったんだ」
 近くで落とされた言葉に、心臓が大きく鳴る。
 けれど、それで黙り込むのも癪で、わざと険のある声を出す。
「それは、私を落とすため?」
「違うよ。俺の希望っていうか願望?」
 返ってきた声は、静かで、落ち着いていて。その言葉は妙にすんなりと胸に落ちた。いちいちたてつくのも馬鹿みたいだ。それでも「わかった」というのも違うような気がして、黙ってツリーを見上げる。
 冬の夕方はもう薄暗くて、ツリーに点されたランプがキラキラと輝いている。色とりどりの明かりは文句のつけようがないくらいに綺麗だ。真っ暗になったら、もっと綺麗になるに違いない。
「そのまま聞いて」
 一拍おいて、秋田君が話し始める。
「この間も言ったことだけど。俺にとって浅間さんと出会えたことはすごいことなんだなって、改めて思ったんだ」 
 それを言うなら、私だって秋田君と近づいたことはすごいことだった。きっと、秋田君の言う「すごい」とは意味が違うんだろうけど。
「俺は浅間さんから嬉しいものをたくさんもらってる。だから、俺も浅間さんに何か返せればいいと思う。今のところ、全然上手くできてないけど。――浅間さんがちょっとでも俺といてよかったって思ってくれるといいんだけどな」
 秋田君が視線をツリーからこちらに移すのがわかった。そっちを向きたくなったけれど、その後どうすればいいかよくわからなくて敢えて視線をツリーに向けたままでいた。
 妙に大げさな秋田君の言葉を頭の中で繰り返す。
 秋田君に嬉しいものをあげた記憶なんてこれっぽっちもない。平穏な日々を返してもらいたいと常々思っているけれど、それ以外のものを何かもらおうなんて全く考えたことがなかった。今までそれを望んだことはないし、これからもそれは変わらない。
 そんなこといいよ。
 そう言うこともできた。でも、そんな言葉で片づけるのはいけない気がした。
「……これは見れてよかったよ。秋田君と来なきゃ、絶対に見なかった」
 少なくとも、この綺麗なツリーをこうして間近で眺めることはなかった。
 それをラッキーだと思う気持ちは嘘じゃない。
 視線を合わせると、秋田君はホッとしたように笑った。
「そう、よかった」
 その顔がとても柔らかかったので、つられてこちらの顔も緩んでしまう。
 多分、ううん、きっと。
 秋田君のこういう表情を見られるようになれたのは、秋田君と関わるようになってよかったことだ。
 だから。
「もう少し一緒にいようよ」
 普段なら即座に却下するそのお願いに、すんなりと頷いてしまった。
 もっと暗くなった時のツリーを見たくなった。
 そんなふうに考えることすら言い訳だと思う。
 でも、本当にツリーが綺麗だから。そして、二人で静かにツリーを眺めているのを心地よく思うから。
 辺りが真っ暗になるまではこのままでいようと、繋がれた手を握り返した。
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