人災はある日突然やってくる

モクジ

  それは老婆親切です。  

 月に一度のクラスのイベント。他のクラスの子からは羨ましいと言われる席替えも、私にしてみれば嫌な意味での一大イベントだ。
 はい、と目の前に差し出された青いビニール袋からじっと目が離せなくなる。
 中に入っている紙はおよそ十枚。既に二十枚以上が人の手に渡っているとはいえ、この中に外れがないとも限らない。それを引いた時のことを想像すると恐ろしい。
 お願いだから、本当に――。
 手を合わせて最近悪態をついたばかりの神様に祈りを捧げる。いや、手を合わせるだけなら仏様だろうか。神様でも仏様でもなんだっていい。誰でもいいから、外れだけは引きませんように。
 いつまで待たせるんだ、という委員長の視線なんてなんのその。それよりも重大なのは今から自分の身に降りかかるかもしれない出来事を振り払えるかどうかということで。緊張しながら袋の中に手を入れる。目隠しをして何が入っているかわからない箱の中に手を入れて中身を当てるゲームがあるけれど、もしかしたらそれよりも怖いかもしれない。だって、ここに出た数字次第で明日からの心の平和が脅かされるかもしれないんだから。――平和なんてとっくに遙か昔の話だなんてつっこみはおいといて。
 お願い、と祈りを込めて一枚の折りたたまれた紙を取り出す。委員長はそれを見届けて、前の席の人にまた袋を差し出す。自分さえ済んでしまえば、他の人のことはどうでもいい。たった一人を除いては。それでも、まずは自分自身のことだと短距離走を五本くらい続けてやらされた時並に激しく動く心臓と戦いながら紙を開く。現れた数字は三。慌てて確認すると、廊下側の席の真ん中だった。この際、冬なのに寒い場所になっただなんて文句を言いはしない。それよりも、問題は別のところにある。ざわめく教室の中、気になって振り返ると、こちらを見ていた秋田君がひらひらと手を振った。
「何番?」
「三番。秋田君は?」
「二十七番。……結構離れちゃったね」
 人を一人挟んでいるだけなので、これ幸いと座ったまま話をする。秋田君の新しい席は窓側から二列目の一番後ろ。
 やった、神様は私を見捨てなかった!!
 脳裏にピンクの花畑が広がり、明るい音楽が流れ出す。さっきまでの緊張感とはうってかわってさわやかな気持ちに包まれる。今だったら秋田君にも無条件で優しく出来そうだ。
 一度は秋田君が故意に真衣ちゃんと席を変えたせいで隣になってしまったことがあった。その時の注目の集まり具合と言ったら、自分がパンダかコアラにでもなった気分だった。好きでもないのに勝手に檻に入れられ、衆人環視の中で行動しなければならない辛さといったら。
 取りあえず、その次の席替えでは秋田君は変なこともしないでいたけれど、結局近いことに変わりはなく。今度こそ、と強く願っていただけのことはあった。やっと本当の意味で席が離れた。これなら、授業中くらいは静かでいられそうだ。それが嬉しくてたまらない。
 この間、わけあって秋田君と喧嘩をした。それでまた人々の興味を引き、噂のタネになってしまったわけだけれど、それが一段落した途端、秋田君は以前にも増してなにかとやってくるから噂の方は益々凄いことになってしまった。いろんなところであれこれ変な憶測をしてくれるもんだから、喧嘩の原因は浮気、三角関係、ただ気をひきたかった、なんてものから聞きたくもないような下世話なものまで。仲直り後もいろいろあるけれど、「離婚しなくてよかったよー」なんて言ってくる子達なんかもいて。もうやめてよ、ってげんなりしている。「別れるかと思ってひやひやしちゃった」って言われるのも嫌だけど、離婚とか、もうつっこみどころが多すぎて。とにかく、それが先週の話だから、こんな状態で秋田君の隣になることだけはどうしても避けたかった。それが叶ったことが嬉しくて、今までの苦労が報われたような気持ちになる。
 ああ、これで次の席替えまでは、少しは落ち着いて生活できるんだ。――少なくとも、授業中は。
 条件つきだっていうことから敢えて目を背けて感動に浸っていると、黒板に貼られた新しい席と名前の表を見てざわめきが起こった。その八割くらいが私と秋田君の席について話していることに笑顔が引きつりそうになる。そんな中、冷静さに定評のある委員長は視力等の関係で席を替わりたい人達の希望を聞いて、一部を動かしていく。これで一段落し、後は机を動かすのみとなった時。
「ちょっと待って」
 手を挙げたのは前期に副委員長をやっていた活発で可愛くて行動力のある女の子だった。彼女が口を挟むなんて、まだなにか問題でもあっただろうか。浮かんだのは純粋な疑問だった。けれど、彼女はとんでもないことを言い出した。
「秋田君と浅間さんの席が離れすぎてるよ。西尾君、平野さん、川瀬さん、誰か替わるべきだと思う」
 ちょっと待って。いきなり何を言い出すの、この人。
 一気に血の気が下がる。
 名前が挙がった三人は私と秋田君の隣の席になる人達だ。私と秋田君が近くじゃなきゃいけないなんてルールはどこにもないのに、なんでそんな真剣な顔でそういうこと言うわけ?開いた口が塞がらない。そんな不条理なこと言ったら皆から非難されるに決まってるのに。
 呆れていると、信じられない声が飛び出した。
「そうだよな。そこはセットじゃないとな。おい、誰か替われよ」
「そうだよ。二人とも仲直りしたばかりなんだよ。こういう時に気を遣わないでどうするの?」
「離れてたらおかしいだろ、やっぱり」
 次々と上がる声にうちひしがれていく。
 なに、なんなのこれ。
「いや、あの、そのままでいいから。お願いだからそういうことしないで!ほら、委員長も何か言ってよ!」
 セット扱いされるのは困る。そもそも、つき合ってる二人が席も近くなきゃいけないなんて誰が決めたんだ。しかも、実際は全然つき合っていないっていうのに。それなら、真衣ちゃんと窪田君だって近くにならないといけなくなる筈。でも、二人は三列くらい離れているけれどどうってことない顔をしている。真衣ちゃんに至っては、皆に混じって「替えてあげなよー!」と拳を上げている。お願い、本当にやめてってば。
 くじで引いた席を替えていいのは、視力や身長等のどうしようもない事情に限る。四月にそう決めてある。委員長ならそう言って、この騒ぎを終わらせてくれるに違いない。期待の眼差しを向けると、委員長は「うーん」と顎に手を当てた。
「西尾、秋田と替われば?」
 ざっくりと放たれた一言に、私は机に沈んだ。西尾君が「そうする」と普通に答えているのもおかしいと思う。いや、一番おかしいのはずっと教室にいるのに何も言わない先生だって。生徒の自主性に任せる、とか言ってる場合じゃないよ、これ。
「みんなの厚意だし、受け取っておけよ。な?」
 委員長の意見に、拍手が起きる。
 うわ、なにこれ。私そっちのけで決められてる。
「よかったねー」
「そんな謙遜しなくてもいいのに」
 周りから掛けられる声。行き場のない思いが一気に溢れてきて、気づいた時には叫んでいた。
「やられた!」
 今回はいい席だったのに!
 そのままでよかったのに!
 平和を送るはずだったのに!
 結局秋田君の隣になるってどういうこと!?このクラスおかしいって!!
「なんて言うか、行き過ぎた親切だよね」
 顔を上げると、秋田君がすぐ傍に立っていた。気づけば、周りは既に移動を始めている。
「なんで何も言ってくれなかったの」
「ん?だって俺には都合がよかったから」 
 反論するわけないよ。
 秋田君は「運ぶよ」と言って私の机を廊下側に持って行く。
 これから一ヶ月、冬休みを挟むとはいえ、またしばらく落ち着かなくなる状況にため息がこぼれるのを止められなかった。
モクジ
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