人災はある日突然やってくる
嵐を起こせ 5
女として好きになったら、ちゃんと言うから。
その一言が頭の中をぐるぐると回って、他のことは一切考えられなくなった。でも、その一言すらまともに理解できない。脳が受け入れを拒否している。
だって、そういう状況になるってことは、秋田君が私に告白するってことじゃない。
ない。それは絶対にない。あっていいわけがない。
その先にあるものを想像するだけで恐ろしかった。今ですらこれなのに、恋愛対象になったら一体どうなってしまうのか。頼むから今のままの感情で止まって欲しい。それ以上は望まないから。
少し落ち着いてきたところで再び視線を合わせると、秋田君は腕を緩めた。
「俺の考えてることは大体話したよ」
今までのが全部、秋田君の本音が知りたいという私の要望への答えだったことを思い出す。知って安心した部分もある。でも最後のだけは知らない方が良かった。お陰で胸が休まらない原因が一つ増えてしまった。
秋田君の腕を押して、少し距離を作る。
「言い分はわかった。でも、迷惑かけられるのはやっぱり嫌。こういうのもなんか困る」
だからやめて。
暗にそう言い含めると、秋田君は軽く首を傾げた。そのすぐ後に浮かべたのは、いつもの無表情笑顔。
即座に厄介な状況を悟り、腰一つ分後ろに下がる。けれど、そんなものは結局大した距離でしかない。秋田君は身を乗り出すと皆から人の良さが滲み出ていると勘違いされている笑顔でにこにこと追い詰めてくる。瞳の中には、心底楽しそうな色が見えている。危険だ。頭の中でサイレンが鳴り響く。
「迷惑じゃなくせばいいんだね」
「え?」
「浅間さんが俺のこと好きになれば問題ないよ。俺も浅間さんのこともっと好きになりたいし」
「え、ちょっと……」
何を言い出すの、この人は。
私が秋田君を好きになる?その「好き」は当然、友達としての「好き」じゃない。つまり、それは――。
「その為には、俺しか目に入らなくなるようにしないとね。期待に添えるよう頑張るよ、浅間さん」
「えーーーーー!?」
一体なんでそういう展開になるの!?
あまりにぶっ飛んだ秋田君の理論についていけず、再び真っ白になった私に、秋田君はにやりと笑ってみせた。
「楽しみだな」
それが無表情笑顔じゃなかったのは幸か不幸か。いや、絶対に喜べるようなことじゃない。
秋田君の本音を知りたいと思った。無意味な表向きの顔じゃなくて、もっといろんな表情を見たいと思った。でも、なにもこんな状況じゃなくてもよかったのに。寧ろ、違う状況の方が良かった。
私が開けたのはパンドラの箱だったに違いない。
願いが叶う代わりに、とんでもない災厄を呼び起こしてしまったらしい。
後悔先に立たず。それを痛いほど実感したはずなのに、なんでこんなことになってしまうのか。自分の学習能力の無さに、これから降りかかるだろう災難に頭を抱え込んだ。
神様、私、本当に何かしましたか。
翌朝、起きた時から気が重くなっていた私を教室でいち早く出迎えたのは佐和子だった。昨日、メールで救いを求めたら今朝は早く学校に来てくれると約束してくれた。できれば電話で話しても、と思ったけれど、昨日の段階ではまだまだ頭が整理できなくて、待ってもらうことにした。
そんなわけで、まだ二人しかいない教室で昨日の報告をする。喧嘩状態は脱したこと、秋田君の本音も聞けたこと、けれど、以前よりも大変な日々になりそうなこと。本当に簡単な説明しかできなかったけれど、三つ目の報告に佐和子が眉を顰めたのは無理もなかった。
「それってさ、秋田があんたに対して今まで以上に積極的になるってこと?」
「……やっぱそう思う?」
秋田君しか目に入らなくなる状況なんて、要は強くアプローチに出るってことで。ただでさえ周りに勘違いされるような言動をとってきた秋田君が、その気になったらどうなるのか。昨日はそればかり考えてしまって、なかなか寝付けなかった。
「他になにがあるっての。ただまあ、人前ですごいことするよりも、人がいないところでもいろいろ仕掛けてくるって考えた方がいいんじゃないかなあ」
「えー」
「だってさ、秋田はあんたに『好きにさせてみせる』宣言したわけでしょ。嫌がられるようなことばかりするわけないじゃん。その分、人に見えない部分での頑張りが増えるんじゃない?」
難儀だよね、梢も。気の毒だわ、本当に。
佐和子から寄せられた深い同情が余計に憂鬱な気分にさせる。
人に見えない部分って――。
「……どうしよう、佐和子。秋田君と携帯番号交換しちゃった。メールも」
「あーあ、やっちゃったね−」
昨日、帰り際に秋田君の方から「教えて」と言われ、特に何も考えずに応じてしまった。正確には、秋田君に言われたことで頭がいっぱいになってそれ以外のことはもう考えられなくなっていたのだけれど。
昨日は確認メールしかしていない。だからそっちまで気が回らないでいた。でも改めて振り返ると、考えなしだった自分が恨めしい。
「ねえ、今日会ったら、実は昨日のは冗談でしたーってならないかな。私、今なら怒らない」
「無理でしょ」
願望を口にすると、佐和子がばっさりと切り返す。
「大体、他でもない梢が冗談じゃなかったって思うからそんなに危機感持ってるんでしょ。だったら秋田は間違いなくそうすると思うよ」
そう言われたら身も蓋もなかった。
そんなの買い被り過ぎだよ、と言えたらどんなに良かったか。
でももう遅い。
これ以上物を言う気が失せて、机に突っ伏していると、段々教室に人が入ってくる。時間が経つにつれて増え、今日もひときわ元気な声が降ってきた。
「おっはよー、こずっちー」
「……おはよう、真衣ちゃん」
のろのろと体を起こして挨拶をすると、校則違反のピンクのマフラーが眩しい真衣ちゃんが目を丸くしていた。
「どうしたの?具合悪い?」
大丈夫?と尋ねられて「ちょっとね」と答える。他に言い方が思いつかないけれど、元気と言うこともできなかった。真衣ちゃんの後ろから心配そうに見ていた窪田君が顔を覗き込んでくる。
「もしかして、昨日の?」
原因を言い当てられ、なんともいえない気持ちになる。やっぱり、昨日、窪田君と一緒に帰っていればよかったのかもしれない。そしたらこんな変なことで気を揉まずに済んだのに。
「聡からは解決したってメールがきたんだけど……」
嘘だったのか、あの野郎。
窪田君の低い声に、慌てて首を振った。
「あ、一応解決はしたよ」
「一応?だったらなんでそんなに沈んでんだ?本当に調子悪い?」
窪田君に気を遣ってもらって、どう言うべきか迷っているところに人影がさす。
「カズ、近いよ」
そう言いながら窪田君を後ろに下がらせた秋田君は目が合うとにっこりと笑った。顔のパーツはあくまで無表情笑顔と同じ。けれど、いつもと違うのは瞳がしっかりと笑っていた。要は、ちゃんとした笑顔を向けられたわけで。
「おはよう、浅間さん」
「おはよう」
胸の奥がざわざわするのを抑えながら返すと、秋田君は私の額に手を置いた。外からやってきた秋田君の手はひんやりと冷たい。秋田君は自分の額にも手を置いて、数秒した後に手を離した。
「うん、熱は無いね。でも調子悪いなら無理しちゃだめだよ」
「いや、大したことないから」
優しい言葉をかけながらも、きっと秋田君はわかってる。体調が悪いんじゃなくて、秋田君のことを考えていてこうなったんだって。でも、他の人の前では知らない振りをして、わざと熱を測るふりをして触れてきて。
『俺しか目に入らなくなるようにしないとね』
早速秋田君の思う壺になってるのがなんだか悔しい。
私ばかり翻弄されて、本音探りついでにやり返そうとしても、結局こんなふうになってしまう。
それでも関わりを断ってしまわなくて良かったような気がする。今は今で困るけれど、早まらなくて良かったと思う。
ただ、やっぱり秋田君にやられてばかりでいるのも嫌だから、憂鬱な気分を向こうに押しやって笑顔を浮かべる。
「秋田君は機嫌が良さそうだね」
「うん。浅間さんと仲直りできたしね」
そういうのは普通、人前で本人に言うことじゃないよね。クラスメートだって聞いてる人がいるわけなんだし。ああ、真衣ちゃんが瞳をキラキラさせてる。多分、いろんな想像してるんだろうなあ。そして、きっと「仲直り」って言葉に喜んでいるはずだ。そんな真衣ちゃんを視界の隅に置いて「そう」とだけ返す。
どうしてそんなに素っ気ないの、という真衣ちゃんの声が聞こえてきそうだけれど、これ以上秋田君に好きになってもらう必要はないから、わざわざ気に入られるような態度を取りたくない。要は、私への興味が薄くなれば問題ないに違いない。
秋田君は耳元に顔を近づけて囁く。
「そんなに構えないでよ。俺は長期戦でいいからさ」
「熨斗つけて返すよ」
「手厳しいな」
そう言いながらも、秋田君は微塵も堪えた様子はない。笑顔でそれを受け流し、窪田君を連れて向こうに行ってしまう。
予想していたよりは軽い接触に、ちょっとだけ安堵する。でも油断は禁物だ。
前と変わった部分だってある。触れたり、表情を見せたり、意味深な言葉が増えたり。
こっちは平和でありさえすれば他にはなにも望まないのに。
どうやらそれはまだまだ先の話みたいだ。
もういい、神様になんて頼らない。
こうなったらやれるところまで頑張るしかないもの。
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