人災はある日突然やってくる

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  嵐を起こせ 2  

 退屈な日常、なんて言葉があるけれど。 
 別にジェットコースターのような人生なんていらない。平穏な日々を送れればそれでいいの。
 変に目立ちたくなんてないし、注目を浴びたいとも思わない。
 普通に、のんびりと。
 時々小さな変化が起こるくらいの毎日の中にいられればそれで幸せ。そういう生活に満足していたし、これからもそれでいいと思ってた。
 それなのに、神様は退屈が嫌いなんだろうか。
 秋田君に不用意に関わってしまったばかりに平凡な日常は崩れてしまった。注目、噂、好奇の目――。それにも慣れつつある今日この頃だけれど、やっぱり平穏な日々は恋しい。あの頃に戻りたい。心からそう願ってやまない。
 けれど。
 今回は自分から目立ったり注目されたり周りに激しく誤解されたりするようなこともやむをえない。
 何が何でも、秋田君の本音を引き出してやる。



 12月の朝は寒い。しかし教室には運よく暖房がついている。だからマフラーと手袋を外すことに躊躇いは無く、バサバサと机の上に置いていく。コートはもう少し寒くなったらと決めている。
 バッグの中のものを机の中に移し変え、準備を終えると席に座り込んで視線を入り口へ。自然と強張りそうになる顔を頑張って普段通りに保ちながら件の人物を待った。
 彼が来る時間にはまだ少し早いことを知っている。けれど、教室に一人、また一人とクラスメートが姿を現す度に緊張が高まっていく。
「あったかーい」と笑いながら教室に入ってきた佐和子はこちらを見るなり目を丸くした。
「どうしたの、梢。目が据わってるよ」
 指摘されていけないいけないと笑顔を浮かべる。そうだ、固くなりすぎたら台無しだもの。
「あははー。そっかー、うん、これでどう?」
「なんか怖いんだけど。楽しくもないのに笑わないでくれる?」
 そうね。私だって楽しくないのに笑いたくなんかないよ。
 でも今日は笑わなければいけないのだ。それも自然に。これ以上ないくらいナチュラルに。
「あのね、佐和子。佐和子には言っとく」
「何を?」
「私、今日は秋田君にまとわりつくことにしたから」
「は?」
 佐和子の顔が固まった。それに笑顔で応じる。どうやら私の決意表明は一言ではうまく伝わらなかったらしい。
「ちょっ、あんた何言って――」
 気を取り戻した佐和子が前のめりになって問い詰めてくる。しかし残念ながら佐和子の疑問に答えている暇はなかった。秋田君が教室に入ってきたからだ。秋田君が自分の席に着くのを見計らって即座に立ち上がり、一直線に進む。秋田君の隣の席の椅子を引っ張り出して座り込み、机に肘をついて笑顔を浮かべた。
「おはよう、秋田君」
「おはよう、浅間さん」
「今日も寒いね」
「そうだね。でも中はあったかいからそんなに気にしないかな」
「風がないだけで随分違うよね」
 内容のない世間話は日常茶飯事のこと。けれど普段最初に話しかけるのはもっぱら秋田君の方だった。外側から見れば何の変哲もない光景でも、私達にとっては異常でとんでもないことだ。そう思うのはあくまでこっちだけかもしれない。ちらっとそんなことも考えたけれど、秋田君の反応がそれを否定していた。
「ええと、浅間さん、何か用でもあった?」
「なんで?無いけど。無いと秋田君と話しちゃいけないの?迷惑?」
「や、そんなことはないよ」
 秋田君が戸惑っていることは明白で。それでも口にしない限り、全く気づかないふりをしようと決めていた。だから宿題の話や昨日のドラマの話を次々に持ちかける。秋田君はそれに応えながらも、普段の気軽さはすっかり身を潜めていた。
 いつもの調子はどこに行ったの。
 聞きたい気持ちを抑えながら粘ったけれど、結局朝はタイムオーバー。これと言って大きな収穫は無しに一日が始まった。



 その後も粘ったけれど、十分しかない休み時間ではどうにもできず、四時間目が終了。購買に急ぐべく教室を駆け足で出て行こうとする秋田君を慌てて捕獲した。
「え?浅間さん、どうかした?」
 秋田君が素で驚いている。無理もない。引き留めるために腕にがっちりしがみついたんだから。抱きついた、と思われても弁明できない体勢だ。取りあえず足止めは成功したから腕は解放する。秋田君は驚いたこともちょっと気分がいい。そうそう、どんどん本当の表情を出せばいいのよ。そして、どうせならもっと驚いてもらいましょうか。
「あのさ、俺、早く購買行かないと昼飯なくなっちゃうんだけど」
 行っていいかな、と尋ねる秋田君に首を振って応える。
「その必要はないよ」
「やだな、浅間さん。成長期の俺に昼抜きでいろって?冗談きついな」
 そう言って浮かべるのはすっかりお馴染みの無表情笑顔。なるほどね。
「そんな酷いこと言うわけないでしょ。秋田君の食事を邪魔する権利なんて私にはないもの」
「じゃあさ、先に行かせてもらっていいかな」
「あのね、お弁当作ってきたの」
「…………え?」
 突然の爆弾投下に秋田君が固まった。
 そりゃそうだ。私自身、その辺はしっかり自覚してる。爆弾、ミサイル、隕石――それくらいの破壊力はあると思う。秋田君にとっても、私にとっても。これで動揺しなかったらもう何をしたってダメに決まってる。だから反応がなかったら泣く泣く撤退しようと思ってた。その必要が無くなったことにホッとする。
 秋田君が驚いて動けなくなってる間に、私は机の横に掛けてあったトートバッグを取ってくる。そして、そのまま「行こう」と声を掛けて秋田君を引っ張っていく。目指すは第二自習室。人気のないあの部屋は本当に便利だと思う。
「あのさ、浅間さん、お弁当って一体」
 袖を引っ張られて後をついてくる秋田君がやっと口を開いた。困惑するのも無理はない。私だってびっくりしてるんだから。秋田君の意表を突くために早起きしてお弁当なんて作っちゃったんだから。勿論、普段お母さんにご飯を作ってもらってる身で全部手作りなんてことができるはずもなく、ところどころに冷凍食品が入っている。でも味は確かだから大丈夫。当然だけど、何も仕掛けてない。激辛のおかずや珍妙なトッピングも悪くないけど、流石にそれは嫌がらせじゃない。
 取りあえず、今はこれだけ言っておこう。
「秋田君、たまにはお弁当もいいんじゃないかと思って。早起きしちゃった」
 語尾にハートマートまでつけると、秋田君は再び閉口した。
 自分でも気持ち悪いと思う。でもさ、秋田君。これって普段あなたが私にしてることと同じだって気づいてる?気づいてもらえないとちょっと虚しいんですけど。
 第二自習室に着くと、秋田君を適当な席に座らせて、その前の椅子を一八〇度回転させる。机の上にてきぱきとお弁当を用意する。蓋を開けて「はい、どうぞ」と笑顔を向けるとどもりながらも「ありがとう」とお礼が返ってきた。
 割り箸を綺麗に二つに分けながら秋田君はこちらを窺っている。私は気がつかないふりをして自分のお弁当に手をつけた。
「卵焼き、ちょっと焦げちゃったんだ。食べられるけど、甘さが口に合わなかったら無理しないでいいからね」
「えーと、浅間さんが作ったってこと……?」
「さっきからそう言ってるでしょ」
 秋田君ったら、耳鼻科に行った方がいいんじゃない?――なんてことは勿論言わない。ついつい確認しなきゃいられないくらい驚いてくれたってことだよね。流石の秋田君でもこの状況はサラリと対処できないんだ。なんだか安心する。ただ、自分があまりに際どいことをしてる自覚もあるから、この空気にいたたまれなくなる。それでも自分から仕掛けたことだから、ここで尻込みしちゃいけないと気持ちを奮い立たせる。
「……もしかして、迷惑だった?」
「いや、そんなことは」
 眉を下げて弱々しく尋ねると、秋田君は慌てておかずを口に運んだ。
 よし。取りあえず最難関はクリアしたよね?
 なけなしの演技力を最大に発揮した甲斐があってよかった。
「どう?味は大丈夫?」
「うん。美味しいよ」
「よかった。人にあげるのにまずいのを食べさせるわけにはいかないもんね。ねえ、秋田君はご飯とパンどっちが好き?」
「どっちも好きだよ」
「じゃあ今度はサンドイッチ作ってこようかなあ」
 言いながら、冗談じゃないとつっこむ。
 お弁当攻撃なんてこれっきりにしたい。それでもたくさんの反応を引き出したくて、できることなら秋田君の本音を聞きたくて。
 嘘なんていらない。飾り立てた言葉も。時々言うような、思わせぶりな台詞なんて尚更。
 胸の中でぐるぐる回る怒りにも似た感情を抑えながらにっこりと笑うと、秋田君の手が止まった。
「浅間さん、どうしたの?」
「なにが?」
「今日はいつもと違うから」
 気になってしょうがないってわけね。それで、何か裏があると思ってるんだ。
 そうそう、それでいいの。
 でもね、そう簡単に教えてあげない。
「いいじゃない。それとも、秋田君、こういうの嫌い?」
 あくまで笑顔は崩さない。本当はこういうの大っ嫌いなんだけど。楽しくもないのに笑うのはポリシーに反する。――そう、秋田君が普段やってることだ。だから私は秋田君のそういうところが嫌いなんだ。それだけの人じゃないってわかってるけど。
「弁当は助かるけど」
「けど?」
「浅間さんらしくないよ」
「どういうこと?」
「浅間さんはもっとつれなくて、俺が近づくと迷惑そうな顔をして。でも根気強く俺につきあってくれるんだ」
「それ聞いただけだとすごく人当たりが悪いような感じがするんだけど」
 真実だけどね。でもそんなふうにするのは秋田君だけだよ。それもこれも秋田君が厄介な性格してるのが悪いんじゃないの。
 とは言え、今ここでそんな馬鹿正直にぶちまけるわけにはいかない。そんなことしたら今朝からの努力が水の泡になる。つきあってるわけでもないのにお弁当を作るなんて無理までしたのに。
 ここはひたすら忍耐だ。
「一応、自覚はあったんだ。秋田君にだけ過剰反応してるって。秋田君がどういうつもりなのか全然わからなかったから、必要以上に構えてたと思うの。でも、ずっとそうやってるのもどうかなって。気が変わったの」
 今日の私は嘘ばかりだけど、これだけは本当。ただ、伝わらなくても仕方ない。今の秋田君は目に見えて混乱してるから。
 どうせならもうちょっとかき回したい。そんな願望を持つなんて自分でも意外。でもそうでもしなきゃ今日の私はストレスが溜まってしょうがない。
「そんな顔しないでよ。傷つくじゃない」
「本気で驚いてるだけなんだけどな」
「秋田君が喜んでくれるといいなって思ったんだけど、困らせちゃった?」
「浅間さんがそういうことを考える必要はないよ。普段通りでいてくれれば、俺はそれで」
「なんで?私は今までみたいなの、やめたいのに。せっかくだから仲良くしよう」
 身を乗り出すと、秋田君は椅子に座ったまま背を反らした。
 間違いない。
 今、秋田君は私のことを避けたんだ。
 本気で苛ついた。でも無理矢理口元に笑顔を作って座り直す。
「ま、秋田君にしてみたらいきなりだしびっくりして当たり前だよね。驚かせちゃってごめんね」
 ほら、お弁当の続きをしよう?と促すと秋田君はぎこちない動作で食事を再開した。私も一緒に食べながら、時々「美味しい?」「秋田君の口に合うかな」「味濃くない?」なんてことを尋ねた。秋田君はどれにも当たり障りない答えを返してくれたけど、普段よりも一歩下がった受け答えだった。



 放課後になった頃には、とてつもない疲労感でぐたぐたになっていた。
 普段慣れないこと――しかも嫌なこと――を続けていると心身共に悪い。さっさとこんなことやめてしまいたい。でも今日はまだ終わっていない。
 仕上げをしなくちゃ、と帰り支度をしている秋田君の元に駆け寄った。
 あと一言――一言でいい。
「秋田君」
 申し訳なさそうな顔は多分問題ない。顔を上げた秋田君はいつもの笑顔を浮かべながらも瞳の奥で警戒している。普段とすっかり立場が逆転して、秋田君にとって私は注意対象になってしまっているらしい。それに気づかない振りをして、両手を合わせた。
「ごめんね。今日も秋田君とちょっと話していきたかったんだけど、すぐ帰らなくちゃいけなくて」
「そう。じゃあ急がないとね」
「うん。秋田君と話せないのは残念なんだけど、仕方ないね。だからまた明日。バイバイ!」
 元気よく手を振って教室を出る。
 今日は疲れたし、真っ直ぐ帰ろうと思ったのに、後から追いかけてきた佐和子に捕まった。
「梢、話を聞かせてもらおうじゃない」
「私、今日はすごく疲れて」
「拒否権はナシ。さあ、行くよ」
 がしっと腕を捕まれて、振り払う気力も起こらない。そのままずるずると引きずられ、気づいた時には近場のファーストフード店で小さなテーブルを間に佐和子と向かい合っていた。
「……近すぎない?」
「今日一日あれだけやっておきながら今更人目なんて気にしないでよ」
 そう言われるとぐうの音も出ない。なんてったって、自分から噂を煽るようなことをしたんだから。
「あんたさ、一体どういうつもりなのよ」
 佐和子の眉間に皺が寄る。朝、満足に説明しなかったから相当怒ってるらしい。
「どうもなにも、いつもやられっぱなしじゃ癪じゃない」
「それでなんでああいう行動に出るわけ?見てる方は梢が秋田に優しくなったって思ってるんだからね?」
「意表を突いて、秋田君の本音が聞ければなあって思ったの。お陰で驚いたり困ったりしてる顔は見れたけど……でも、本音は無理だったかな」
 こういうのを頑張り損って言うのかな。でも私はあれ以上、秋田君にとって予想外になるだろう行動も思いつかなかった。あれ以上大胆なことなんてもってのほかだ。そう、例えば、秋田君を誘惑してみる、とか。――考えただけで鳥肌が立ちそう。なんか寒気もする。無理だよ、絶対無理。そもそも、私がそんなことしたら秋田君だって気持ち悪くて本音どころじゃないでしょ。
「本音とかさ……」
 佐和子が渋い顔のまま頬杖をつく。
「秋田が何考えて梢にああしてるのか、気になる気持ちはよくわかるよ?でもさ、梢はそれを知ってどうするわけ?」
「どうするって、そんなの……」 
「ああ、そうだったんだ、わかったよ、それならしょうがないね、って納得したいの?それとも、そんな理由が許されるかー!って怒りたいの?」
 例を挙げられて口ごもる。
 そんなの、考えてなかった。
 どうしたい、どうなりたい、じゃない。今、自分の身に何が起こってるのか、それがわからないままなのが気持ち悪くて、不満だった。だからはっきりさせたくなった。それだけじゃいけないのかな。
 考えていたことを正直に伝えると、佐和子は長いため息をついた。
「……かなりストレス溜まってたんじゃない。それならもっと早く言ってよ」
「いや、そこまでじゃないよ。ただ、この間ふとそう思って」
 佐和子が思うような深刻なことじゃない。でもそれをわかってもらうのはこの状態だと難しそうだ。なにせ、こっちは疲れてあまり労力をかけたくなかったから。
「秋田君が本気で嫌だったらさ、避けて避けて避けまくればいいだけの話でしょ。そうしないのは、全部が嫌ってわけじゃないからだよ」
「それ、無理してない?」
「してない。あ、でも今日のはかなり無理した。やっぱり私、ああいうの向いてない」
「そうでしょうよ。わかってるならもうああいうのはやめにして普通にしてればいいの。全く、見てる方が気が気じゃないって。熱でもあるのかーって思ったんだよ、こっちは」
 椅子の背もたれに寄りかかりながら、佐和子がドリンクをコンと置く。
「健康なのが取り柄だから」と返すと「そうだったね」と同意される。友達だったらそこで他の取り柄も言ってくれればいいのに。ちょっと物足りない。
「まあ、今日限りだから。ずっとやってたらこっちの身が持たないってわかったし」
 元々、一日で終わらせるつもりだったしね。
「当然。でも、周りからなんか言われたら調子悪かったことにしといてあげる。その方が都合がいいよね?」
「ありがとう。そうしといて」
 きっと、何か言う人達がいると思うから。佐和子がそういうふうに言ってくれるなら助かる。
 何も見えていない外野にあれこれ言われるのは気にくわない。秋田君が人当たりのいい温厚な人間だと思ってるような人なら尚更。私だって秋田君の考えていることはよくわからないのに。でも、それを言うなら秋田君は私のことをわかっているのかな。 
――浅間さんらしくないよ。
――浅間さんはもっとつれなくて、俺が近づくと迷惑そうな顔をして。でも根気強く俺につきあってくれるんだ。
 まるで人のことをわかっているような口ぶりだった。間違ってはいなかったけど、結局こっちは秋田君のことはわからないまま。驚いた顔はたくさん見たけど、なんだか疲れ損だったかもしれない。
 明日も学校があるなんて、憂鬱だ。
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