人災はある日突然やってくる

ススム | モクジ

  嵐を起こせ 1  

 休日のファミレス。テーブルに置かれたスウィートポテトのパフェを目の前にして心が躍る。佐和子の前には彼女の大好きなチーズケーキ。二人で「いただきまーす」と声を揃えて期待の一口目を味わえば揃ってとろけるような顔になる。
「あー幸せ。甘すぎないのにしっかり甘いなんて、ほんと贅沢だよねえ」
「梢、なんか日本語おかしくない?」
「美味しいからいいの」
「うん。私も美味しいからどうでもいいや」
 梢よりチーズケーキだよ。普段ならつっこみを入れるような台詞もどうでもいい。今はさつまいもをふんだんに使ったパフェを味わいたい。
 今日は一緒に買い物をする約束をしていた。いろいろ回ってみた結果、買ったのは冬物のスカート一着だけ。本当は上も一枚くらい欲しかったけれどこれというものが見つからなかったので仕方ない。でもスカートはとても可愛かったので満足している。値段もそこそこだったからすごくお得な気分だ。佐和子も何枚か買って「今月はもう使わない」と節約宣言をしたばかり。それは明日から頑張るからチーズケーキは数に入らないらしい。気持ちはよくわかる。
「実際のところ、どうなのよ?」
 デザートに夢中になっていたところに、佐和子が身を乗り出してくる。二人で今日行った店の話をしながら食べていたのに突然話が変わる。聞き流していたつもりはなかったから、佐和子が新しい話題を振ったんだろう。
「なにが」
「秋田」
 なんで休みの日まで秋田君の名前が出てくるのか。
 ピク、と眉が動いたのがよく見えていたに違いないのに佐和子はにやにやと笑っている。わかってやっているあたりがいやらしい。
「いつもからかってるくせに」
 と言うか、今もからかっている。
「それは今はおいといて。……ちゃんと聞きたいと思ってたんだよ、これでも」
 佐和子が笑いを引っ込める。ふざけないで聞くつもりなんだろう。そんなことされても改まって話すことなんてない。
「どうも何も、なーんもないよ」
「学校であれだけベタベタしときながら?」
「ベタベタって何よ。確かに向こうから話しかけてくるけど、そこまでは……」
「放課後の学校で抱き合ってりゃ充分ベタベタしてるって。あ、それもガセ?」
 やめてちょうだい、その話は。これまでにも嫌ってくらい人から聞かれて疲れてるんだってば。思い出すのも億劫だ。こともあろうか秋田君に爆笑されて。あんな秋田君を見たのは後にも先にもあれっきりなのがまた皮肉だ。
「抱き合ってたわけじゃないってば」
「じゃあ、何?」
「足止め食ってただけ」
「……あっそ」
 本当のことなのに佐和子には信じてもらえないなんて。あの時は早く酷い化粧を落としたかったのに秋田君が離してくれなかくて大変だった。ちょっと待って。考えてみればあの酷い化粧をしたのって佐和子じゃない。佐和子が断りもなく人の顔で勝手に遊んだせいであんなことになったんだから。ってことは、あれもこれも全部佐和子のせいじゃない!
「それよりさ、外で会ったり、電話やメールしたりしないの?」
 人の気も知らないで佐和子は次の質問を出してくる。抱きついたとかなんとかって話を続けたくなかったから少し助かったけど結局は秋田君の話題。今まで佐和子はからかう割に根掘り葉掘り聞いてこなかった。でも今こうしてるってことは聞きたいのを我慢してたってことなんだろうか。
「ないねぇ。秋田君と話すのは学校でだけだし。そもそも秋田君の携帯知らないし」
「え、そうなの?」
 佐和子が驚いて手を止める。信じられない。口から出なくても顔がそう言っている。
「そうなの。なんなら見る?」
 テーブルの上に置いていた携帯電話を指す。佐和子は面食らったように背中を椅子に預けた。 
「それは意外だったなあ。なにそれ、それじゃただのクラスメートみたいじゃん」
「クラスメートだよ」
「そんなの私だってクラスメートだよ」
 佐和子はコーヒーを飲み干して空になったカップをわざと音を立てておいた。そして店員を呼んでコーヒーのお代わりを頼んだ。ついでだから私もと紅茶を注文する。ドリンクバーだからお金のことは気にしない。
 店員が向こうに行ったところで佐和子はチーズケーキを再びつつき出す。
「クラスメートって言ったって、秋田にとって私と梢が同じだとは到底思えないんだけど」
「うーん……それはねえ」
 その点については認めざるを得ない。むしろ周りが認めないだろう。私と秋田君がつきあってると本気で信じている人もいる。口には出さなくても「そうなんでしょ?」という空気で接してくる人もいる。そういう人達に流されるわけじゃない。ただ、秋田君の私への態度は他の人とは違うものだと。それに知らない振りが出来るほど図々しい性格ではないつもりだ。
「でもさ、佐和子。ほんと学校の中だけなの。一緒に帰ったことだってないよ」
「時々二人で放課後残ってんのに?」
「それ、大体私が宿題してるところに秋田君がやってくるだけなんだけど。ないよ。靴箱まで一緒に行ったこともないもん」
「なにそれ」
 話を聞いた佐和子は目を丸くした。佐和子が今考えていることは想像できる。
「もっと色々あると思ってたでしょ?」
「思うよ。だって秋田があれだもん。もっと色々あるって考えるのが普通じゃないの?」
 そうかもね、と応えてパフェの最後の一口を味わいながら物思いにふける。
 佐和子の言い分もわかる。と言うか、きっと佐和子が考えていたことは多くの人が考えていたことだ。でも実際は今話したように秋田君との接触は学校を出てしまえば一切ない。平日、学校にいる時間だけ。それだけの平穏を秋田君は私から奪っていったものの、それ以上のラインを超えてこようとはしない。態度だってそうだ。好かれてはいるのかもしれない。ただそれは男女の間に想像されるようなものではない。そう思うのは秋田君が異性のクラスメートや友達に対してはあまりに度が過ぎる接し方をしてくる割に決定的なものを欠いているような気がしてならないからだ。それを人に説明するのはまだ難しい。相手が佐和子であっても。
「私、秋田は梢のこと好きだと思うんだけどなあ。でもどうなんだろう」
 現状を聞いたせいで佐和子はこれまで思っていたことに自信が持てなくなったみたいだ。
「嫌われてはいないと思うよ」
 まさか「一応好かれてはいると思うよ」とも言えないのでそれだけに留める。下手なことを言ってからかわれるのはごめんだ。
 佐和子は少しの間黙って、真面目な顔で口を開いた。
「梢は?」
「ん?」
「梢は秋田のことどう思ってんの?」
 いつかは来ると思っていた質問だった。これまでに数人から聞かれたことがある。その度に「迷惑」の一言で切り捨ててきた。人のことで面白がるような人達にはそれで充分だった。でも佐和子がこの疑問を口にしたのは初めてだ。それも、真剣に。
 普段はからかってくることも多い佐和子だけど、クラスで一番信頼できるのも佐和子だ。そうでなければ秋田君との実情なんて話さない。 
 今、佐和子も自分と秋田君との本当の関係をしっかり見ようとしてくれているからその気持ちに応えたい。
「迷惑かけられてるけど、嫌いじゃないよ。困ることもある。戸惑うことも。でも秋田君とぽんぽん言い合うのは楽しかったりもするの。それから……」
 この先を言うのは少し躊躇いがあった。こっちの一方的な思い込みかもしれない。向こうはそう思っていないかもしれない。でも佐和子が聞いたのは私の気持ちだ。そう思って続ける。
「最近は信頼関係っぽいものも生まれてきたかなあって、思うんだ」
 口にするとさっきまでよりほんの少しだけそれが確かなことのように感じられた。真衣ちゃんと窪田君の仲を取り持つ為に秋田君が動いた時、協力を求められたのはそういうことだったと思っている。いや、そう思いたいのかもしれない。これで信頼関係も何もなければ秋田君との繋がりはとても不確かなもので。不本意でもそれなりに親しくなった身としては呆気なく壊れるものだとは思いたくなかった。
「そっか」
 話を聞いていた佐和子は安心したように頷いた。
「そうなんだ。梢、全く嫌ってわけじゃなかったんだ」
「だったら放課後秋田君がやってくるのわかってて残ったりしないって」
 嫌な人と顔を合わせるのをわかっていてわざわざその場に留まる人なんていない。
「でも、そうだね。嫌になったら言うから、そしたら佐和子、助けてよ」
「いいよ。任せなさい」
 茶化しながら言うと佐和子は親指を立てた。

 

 翌日。
 朝のホームルーム前に佐和子と宿題の見せ合いをしていたら真衣ちゃんがやってきた。
「こずっちー。聞いてよー」
「どうしたの?」
「カズがねー、全然話聞いてくれないのー。酷いと思わないー?」
 ゲームやりすぎて寝不足とか言われてもカズが悪いんじゃんねー。
 同意を求めてくる真衣ちゃんに手を止めて「あはは」と笑い返す。
「今日も朝から元気だね。真衣ちゃん」
「ありがとーこずっち。元気なのが売りだからねー」
 にへらと笑ってピースを作ってみせる真衣ちゃんは窪田君とつき合い出した頃からよく話しかけてくるようになった。それまでは普通のクラスメートでしかなかったのに、最近ではすっかり会話も増えて仲良くなっている。真衣ちゃんがつけた「こずっち」というあだ名は自分にはなんだか可愛すぎていまだに慣れないでいる。
「で、コンちゃん。彼氏はどこにいんの?」
「んー、靴箱まで一緒だったけど頭きたから置いてきちゃった」
 佐和子の質問に真衣ちゃんはむすっとした顔で答える。声も不機嫌なのを隠さない。素直なのは真衣ちゃんのいいところだ。でも今、宿題を片づけたい身としては後にして欲しいというのが本音で。莉奈ちゃんがいないかと教室を見回しても姿がない。よく考えてみたら彼女はいつもギリギリ遅刻しない時間に来るんだった。だから真衣ちゃんも真っ直ぐこっちに来たんだろうけど。
 今朝の窪田君に対する愚痴をくどくどと語りだした真衣ちゃんをどうしようか、佐和子と視線を交わし頭を悩ませていると「おい」と救世主が顔を出した。
「浅間達に迷惑かけんなよ」
「カズが悪いんじゃん」
「悪いとか……寝不足で頭働かないんだからしょーがねーだろ。こっちは眠いんだって」
「そんなの自業自得でしょ」
 目の前で言い合いを始めた二人に、自然と苦笑いを浮かべてしまう。
 あの、そういうのはよそでやってくれないかな。
 絶句していると、痺れを切らした佐和子がトントンと机を叩いた。
「おーい、お二人さん。二人の世界作るのは勝手だけどさ、こっちも二人きりにしてくれる?これさっさと終わらせたいんだよね」
 窪田君は慌てて口を閉じて真衣ちゃんを引っ張った。
「悪い。勘弁な」
 片手を顔の前に立てて軽く頭を下げる窪田君はなんだかさまになっていて悪い気はしなかった。隣に並ぶ真衣ちゃんもばつが悪そうな顔で謝った。
「ごめんね。こずっち、松井ちゃん。邪魔する気はなかったんだけど」
「いや、いいって。気にしないで」
「そうそう、時間はまだ残ってるからそこで何とかするよ」
 今ならまだ朝の内に終わらせてしまえそう。頑張るよ、と目配せすると佐和子が頷いた。
「ほら、向こういくぞ」
「ちょっ、偉そうにー」
 窪田君が真衣ちゃんの手を引いて離れていく。それと同時に佐和子と二人で宿題に没頭した。
 急いで終わらせるとホームルームまであと三分くらい時間が残っていた。佐和子が席に戻るのと入れ替えに秋田君がやってくる。
「おはよう、浅間さん」
「おはよう」
 この登場の仕方はタイミングを見計らっていたんだと思う。秋田君はああいう時には邪魔をしない人だ。
「朝からお疲れ様。あの二人からとばっちりくったんだって?」
「それは言い過ぎ。あーでも多少はね」
 二人のせいで時間を食ったことは事実だ。
 考えてみれば、真衣ちゃんの恋路を助ける秋田君に協力した後から窪田君と話す機会も増えている。秋田君がいなければ二人とこんなに話すようにはならなかったはずだ。
 自分の生活に変化を起こしたのは間違いなく秋田君だ。いい意味でも悪い意味でも。
 そう思うと複雑だ。でもそれを認めざるをえない。
 ただ。真衣ちゃんと窪田君との距離は近くなったのに。
「ねえ、秋田君。窪田君を見てて羨ましくならない?」
 突然の質問に返ってきたのは上辺だけの無意味な笑顔。相変わらずこの顔にはイラッとする。
「別に。浅間さんには俺が朝から痴話喧嘩する二人を見て羨ましがるようなやつに見えるのかな」
「……さあね」
 わかるわけない。そんなこと。
 秋田君の言うことが全部冗談やからかいだとは流石に思ってない。基本的に嘘はつかないし、元は悪い人じゃないことも知ってる。じゃなかったら真衣ちゃんと窪田君の件で秋田君に加担したりしなかった。
 信頼関係らしいものも最近は生まれてきているような気もする。昨日佐和子に言った言葉に偽りはない。
 でも。それは最初に比べればの話だ。
 秋田君はいまだにまともな表情を見せることが少なくて、基本的には他の人に対するのと同じように無表情笑顔で接してくる。だからなかなか秋田君の本音が見えない。
 自分達の間にはまだまだ距離がある。表面的な笑顔がそれを如実に物語っているようで不快だ。中身を伴わない愛想笑いは秋田君の本心を隠す仮面だ。気持ちの伴わない笑顔を見るくらいなら本当の無表情を向けられた方が百倍まし。それくらいあの笑顔が嫌いになっている。
 秋田君が何を考えているのか知りたい。その本心にあるものを見たい。
 たまにしか姿を現さないそれを暴きたいというのはやはり乱暴だろうか。それでも今の気持ち悪い状態のままが続くのはいい加減にして欲しい。ならば行動するしかない。向こうが動かなければこちらが動くしかない。
 人の深いところに足を踏み入れるのはあまり好きじゃない。
 でも考えてみれば先に人の日常を荒らしてくれたのは向こうじゃないか。それも盛大に。
 だったら躊躇する理由もない。
 そうでしょ?
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