人災はある日突然やってくる

モクジ

  わかれ道  

 クラスには必ず一人くらいは、人当たりのいい奴がいるものだ。
 うちのクラスの場合、それが秋田聡。

 人といる時は必ずと言っていい程いつもにこにこ笑っている。それ以外の表情など目にしたことがない。人と言い合いになるところだって見たことがないし、波風立てるような言動もしない。
 親しい仲間といる時は違うのかもしれないけど、それでも教室ではいつもにこにこにこにこ。
 愛想笑いじゃないところがまた奴の凄いところで。
 ただ、思うんだ。あれは奴にとっては笑顔でも何でもなく、デフォルトなんじゃないかって。きっと、あれは表情でも何でもないんだ。
 けど、ずーっと同じ顔してる人がいるわけないでしょ?きっと彼も色んな顔を持っていて、私はそれを見たことがないから知らないだけなんだよね。うん、そうだ。そうに決まっている。
 そう思ったら、彼がどんな顔を持っているのか興味が湧いて。
 今日一日、彼を観察することにした。


 朝。
 秋田君はHRの10分前に登校してきた。教室に入ると、その辺にいる人達にいつもの穏やかな笑顔で一通り挨拶を済ませ、自分の席に着いた。
 秋田君の席は、私の隣の列の前から2番目。私は前から4番目だから、観察にはなかなかもってこいの位置だ。
 2時間目の英単語テストの範囲を開いて読んでいるふりをしながらちらちら様子を窺っていると、秋田君と仲のいい窪田君がやってきた。秋田君は他の人に向けたのと同じ笑顔で窪田君にも挨拶をしている。その後、二言三言喋って、窪田君は自分の席に行ってしまった。秋田君は私と同じように英単語帳を開いて視線を落とした。流石に、笑ってはいない。何も読み取れない、正しく無表情だ。
 

 午前中。
 授業中の秋田君は、何の表情も浮かべていなかった。ただ、時々隣の席の男子が話しかけてくると、すぐに笑顔を浮かべて言葉を返したり頷いたりしていた。
 休み時間は、大抵窪田君と一緒にいた。でも4、5人で集まる時もあった。数人でいる時はいつも笑っていたけれど、窪田君と二人だけの時は笑っていたり笑っていなかったりで、でも、どちらも特別な表情ではなかった。


 昼休み。
 4時間目が終わると、秋田君はすぐに教室から姿を消した。しかし、10分くらいして戻ってきて、窪田君達と一緒にお昼をとっていた。秋田君は購買でパンを買ってきていた。結構ボリュームのあるパンを3つ持っていた。やっぱり、男子はいっぱい食べるんだね。
 私の席から、丁度秋田君の横顔が見えたけど、秋田君はご飯を食べている間もみんなと話してる時も、無表情orいつもの笑顔しか見せなかった。お昼を食べ終わった後は、昼休みが終わるまでずっと4、5人で話をしていた。秋田君はずっと笑顔を浮かべていた。疲れないのかな、あれ。私だったら絶対に顔の筋肉が引き攣ると思うんだけど。
 途中、秋田君と同じ委員会の女の子が話しかけていた。女の子は両手を合わせてお願いポーズをとってぺこぺこ頭を下げていた。何か頼み事でもあったんだろう。秋田君はやっぱり笑顔で接していた。


 午後。
 午後の授業も、午前中と大して変わらなかった。ただ、多くのクラスメートと同じように秋田君も睡魔に襲われていたようで、5時間目は瞼が重そうだった。6時間目は途中15分くらい眠っていた。起きてすぐに先生に指名されてそつなく答えていて、タイミングよく起きたことにちょっと感動した。


 放課後。
 HRが終わると、秋田君は友達への挨拶もそこそこに教室を出て行った。荷物は机の上に置いてあるから、何か用事があったんだろう。


 なんかなあ。
 結局、笑顔と無表情しか見られなかった。
 しかも、笑顔がいっつも同じって、ほんとにどういうことなんだろう。
 仲のいい窪田君と、普段大して話しもしない人に向ける笑顔が一緒なんだもの。実は内心みんなのことどうでもいいと思ってるんじゃないの?って疑いたくなってくる。
 もしかして、とんでもない不器用君なのか?まさか。
 だって、人付き合いの方はそつなくやってるんだから。顔だけ不器用なんて、そんなことがあるわけないよね。
 それとも、あれでも純粋に笑ってるんだろうか。本当に楽しくて、心の底から笑ってるんだろうか。
 ――それで、あれ?
 やっぱり有り得ない。
 だって、楽しいにも色々種類があるじゃない。だから、笑い方にも色んな種類があるのも当たり前で。
 小さくクスッとか、口大きく開けるとか、涙目になるとか。
 そういう変化がないんだもんなあ、秋田君。
 一日見ていて、2つの表情しか見られなかったとか、ほんと有り得ないって。
 あー、なんか損した気分。いや、収穫がなかったわけでもないんだけど。もういいや、これで秋田君に関する疑問は一応解決したってことで。
 結論。秋田聡は2つの顔しか人に見せない。以上。
 よし、そろそろ帰ろう。今日は見たいドラマがあるんだから。さっさと帰って宿題片付けとかないと。
 家で必要な最低限の教科書とノートだけを詰め込んでいると、教室に誰かが入ってきた。気にせずに帰る準備をしていると、「浅間さん」と名前を呼ばれたので顔を上げた。すると、私の隣の列の前から2番目の席に、その席の主――秋田聡が笑顔を浮かべて私を見ていた。
「秋田君」
「今から帰るとこ?」
「うん。さっきまで委員会のアンケートの集計してたんだ」
 ほら、と言って一学年分のアンケートの山を抱えてみせると、秋田君は「それは大変だったね、お疲れ様」と優しい言葉をくれる。
「俺も委員会の集まりがあって。思いの他長引いたから疲れたよ」
「お疲れ様です。お互い、今日は疲れたね」
「今日、と言えばさ。浅間さん、今日ずっと俺のこと見てたよね」
 驚いた。
 秋田君、気づいてたんだ。
 何て言っていいのかわからなくて黙っていると、秋田君は笑顔のまま続けた。
「何だか、視線を感じると思ってたんだよね。浅間さんだってわかったのは、昼休みの終わりくらいだったけど」
 そうなんだ。
 ここは否定してもしょうがないよなあ。何しろ、真実なんだし。それでも、はぐらかしたいという思いもあって。
「私が見てたことは否定しないけど、私以外の人も見てたかもしれないよ」
「それはどうかな。俺にはわからないや。俺が気になったのは浅間さんだけだから」
 あくまで、私を追及する姿勢は変えないらしい。にこにこしてるのに、食えない奴だ。
「理由を、聞いていいかな」
「理由?」
「うん。何で見てたの?」
 そうだよね、普通は気になるよね。ろくに喋らないクラスメートの異性がずっと自分のことを見てるんだもん。私が秋田君と同じ立場だったら、やっぱり気にする。私何か変なのかなとか、私何かしたのかなとか、もしかして私のこと好きなのかなとか。前2つはあながち間違いでもないけれど、最後の1つは完全にアウトだから、はっきり言っておいた方がいいかもしれない。
「残念だけど、私、秋田君のこと好きでもなんでもないから」
「うん。そういう視線じゃないなあと思ってた。だから余計に気になるんだよ」
 なんだ、それもわかってたんだ。
「聞いてどうするの」
「別に、どうもしないよ。気になることを知るのはいけないことかな」
「そんなことはないけど。確かに、秋田君には知る権利があると思うよ。でも知らないでいる権利もある」
 秋田君の言うことも間違ってはいないけど。
「悪い話?」
「どうかな。でも、気持ちのいい話じゃないと思うんだけど」
「いいよ、聞かせてよ。浅間さん」
 やっぱり、にこにことした笑顔で尋ねてくる秋田君。
 言わない方がお互いの為だと思うけれど、ここで話を誤魔化して終わらせる程の話術は私にはない。だったら、向こうも望んだことだし。
「ただ、秋田君の表情が見たかっただけだよ」
 正直に白状すると、一瞬、二人の間に沈黙が降りた。それをすぐに破ったのは、やっぱり笑顔を浮かべた秋田君で。
「俺の?よく笑ってると思うんだけどな。奇妙なことを言うね」
 そりゃそうでしょうよ。だって、無表情か笑顔かの二択なんだもの。一日見てて、それだけはよーく分かったんだから。
 もうこの際何でもいいや。言いたいだけ言ってしまえ。
「あれは、私の中では表情の内に入らないから。だって、秋田君、本気で笑ってないでしょ」
「そう見える?」
「あくまで私には」
「それで、見れた?俺の表情」
「ううん。今日一日じゃ見つけられなかった。秋田君って、ほんと無表情な人だなって思ったよ」
 こんなこと言われて、よく笑顔のまま会話ができるな、なんて感心していたら、ここにきて秋田君は黙り込んでしまった。
 言い過ぎただろうか。いや、確実に言い過ぎた。ただのクラスメートにこんなことを言われたら誰だって気分を害して当たり前だ。それでも秋田君は笑っている。ずっと同じ表情だ。そこに救いを求めるようにじっと視線を注ぐと、瞳の中に今日初めて見る光を見つけた。それは、ほんの僅かな変化。口の角度も、眉の位置も、全く変わっていないけれど。瞳の奥には苛立ちの感情が確かに存在していた。
 しまった、と思って慌てて口を開く。
「あ、でも、これは私の勝手な思い込みと感想だから。もう今日みたいにずっと見たりしないし。気にしないで。気を悪くさせてごめんね」
「……今は」
「え?」
「今も、俺は無表情なのかな」
「そう言われると困るけど。でも、怒ってるよね」
「あれ?俺、笑ってない?」
 秋田君は自分の顔を指す。
「笑ってるよ。いつもの顔だけどね。でも、いつもとは目が違うから。私が怒らせちゃったんだよね、ごめんなさい」
 正直に答えて、謝った。すると、また秋田君の瞳の奥に小さな変化が起こった。苛立ちの感情が消え、微かに穏やかな色が現れる。そして、口元の笑みが消えた。
「いい目を持ってるんだね」
 そう言う秋田君の声は心なしか普段より優しげで。どう返していいかわからなかった私は、取り敢えず明るい声を出す。
「コンタクトで矯正してるから。ばっちり1.0だよ」
「へえ、そうなんだ。でも、それだけじゃないよね」
「どういうこと?」
 私の苦手な意味深な言い回しに困惑する。
 すると、秋田君は私の目の前にやってきた。そして、私の顔を覗き込む。
「どんなに視力が良くても、見えない人には見えないものがあるってこと。そして、浅間さんはちゃんと見てる人だ」
 ああ、表面だけじゃなくて、その奥に隠れた部分まで見てるかどうかって、そういう話か。
「見えるだの見えないだの、まるで幽霊の話みたいだよ」
「わかっててはぐらかすのは、卑怯じゃないかな」
 確かに、先に話を振ったのはこっちだったけど。やっぱり中途半端じゃ終わらせてくれないわけね。温厚な皮を被ってるのに、意外と手強いじゃないの。でもね、こっちはこれ以上秋田君に関りたくないんだよね。そろそろ逃がしてくれない?
「だからこれ以上、秋田君の機嫌を悪くさせちゃいけないと思って。もうやめよう?私が悪かったから。それは認めるから。私はこれからも秋田君に話しかけたりしないし、関っていくこともない。このことを誰かに言うつもりもない。だから、秋田君が気にする必要なんてどこにもないよ」
「せっかくこうして話してるのに、明日からはまた話もしないクラスメートに戻っちゃうの?」
 表情は変えずに、声だけ寂しそうな色を帯びる。それで確信した。秋田君は絶対に性格が悪い。そんな人とはお近づきになりたくない。
「今話してることの方が異常なんだってば」
「そうかな。俺はそうは思わないよ」
「じゃあ、何?」
 やばい。何だか嫌な予感がする。
「さあ。何なんだろうね。わからないや。でも」
 秋田君は口元をゆっくり上げた。
「お陰で、浅間さんに興味を持ったよ」
 いつもの笑顔で、死刑宣告。
 背中を変な汗が伝うのがわかる。
 もう嫌だ。ここから逃げ出したい。今すぐ逃げ出したい。うちではドラマが待ってるんだ。宿題だってあるんだ。もういっそこの場から消えてしまいたい。
「やだな、そんなの。そんな興味とっとと捨てちゃって。私なんかに興味を持ってる時間が勿体ないよ」
「謙遜しなくてもいいよ。浅間さんみたいな人は初めてだ。何考えてるのかわからないと言われることはあっても、笑ってるのに本当は笑ってないとか無表情だとか言われたことはなかったよ」
「思ってても、普通は言わないんじゃない?」
 私が特別ってわけじゃない。そう言おうとしたのだけど。
「でも君は言った。それが決定打だ」
「決定的って」
「これからよろしく、浅間さん」
 目を細めてにこにこと笑う秋田君は、一方的に私の手を取り、握手をした。私は力の入らない手をただ呆然と見ていることしかできなかった。
 なんだか、とんでもないものに目をつけられてしまったらしい。
 いくら気になるからって、秋田君の観察なんかするんじゃなかった。
 しかし、反省してももう遅い。
 後悔先に立たずとは、まさにこのことだった。
モクジ
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